みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

何に期待するか

2013年10月30日 | コリント人への手紙第一
コリント人への手紙第一 16章1-12節


 ドイツやスイス滞在中も、Wi-Fiが利用できる場所では家族とほぼ毎日、顔と顔とを合わせて会話を続けることができました。子どもの頃、「鉄腕アトム」の中に「テレビ電話」が出てきて、こんなことができるようになるのかしらと信じられないでいたことを思い出しますが、片手で操作できる電話でできるようになったというわけです。

 コリント人への手紙第一も終章まで来ました。きょうの箇所はパウロがそばにいるようです。飢饉のために援助を必要としていたエルサレム教会への献金についての具体的な指示、パウロを始めテモテやアポロのコリント訪問の見通しについて読むと、パウロがコリントの教会に期待し、彼らと共に働きたいと心から願っていたことが伝わってきます。

 ところでパウロは、不確定なことや困難だと思えることについては、「主がお許しになるのなら…」と書いています。自分ではしたいと思うけれども確かではない、だから主に期待し、ゆだねようというのです。
 見通しがつかないけれども主がなんとかしてくださると期待しよう、ダメかもしれないけれども主が進めてくださるかもしれない、このように期待できるのは幸せなことだと思います。

 あすは、駅に荷物を預け、日本語教会の祈祷会に行き、終わったら駅に戻って荷物を受け取って空港に行き、チェックインして予約していた便に乗って帰国するという予定です。そのために、市内電車(トラム)の路線地図をダウンロードし、教会がある近くの停留所を確認するという準備をしました。その通りに行くのか行かないのか、今のところ私にもわかりません。なんとかなるだろうと思っています。そう思わなければ、心配でたまらなくなるでしょう。

 不確かなことがたくさんある中でも、共に主が歩んでくださるという事実が自分を支えていると教えられます。
  
     


2011-2024 © Hiroshi Yabuki