みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

善を行なう力があるとき

2013年10月05日 | 箴言
箴言3章21-35節


 「みことばの光」をご利用になっていて、用字用語に戸惑いを覚える方もおられることでしょう。きょうのタイトルには「善を行なう力があるとき」とあり、本文の見出しには「あなたの手に善を行う力があるとき」とあります。
 これは、「みことばの光」編集上の用字用語が送り仮名を従来の‘長い’を採用し(新改訳聖書第二版も)、新改訳聖書第三版では‘短い’を採用しているために起こるズレです。
 いずれ統一できたらと考えておりますので、このような箇所が出てきたときにはお手数ですが「変換」をよろしくお願いいたします。

 さて、箴言3章後半で心に留めたのは、今取り上げさせていただいた「善を行う力があるとき」との27節のことばです。以前も紹介しましたが、ラジオの「世の光」(5分デイリー)の土曜日の担当は友人のH氏。H氏はできるだけその日の「みことばの光」の箇所から話してくださいます。
 H氏の話の初めは「一日一善」についての誤解から。「一日一膳」だと思っていたというのです。それを聞いて、私もそうだったなと回想。http://pba-net.com/5min.mp3

 「善を行う力」はどこから来るのだろうかと考えました。その前に繰り返されてきた、そしてこのあとも繰り返される、知恵を求めるということから来るのではないでしょうか。
 3章26節にはすぐれた知性と思慮を見失わない者には主がわきにおられるとあります。

 善を行なうのに躊躇することがあります。そのようなときにこそ、わきにおられる主が押し出してくださるのではないかと考えます。
 「一歩前に!」です。
      


2011-2024 © Hiroshi Yabuki