みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

遣わされた地に住む

2020年11月11日 | エレミヤ書

エレミヤ書 40章

「…彼とともに、その地に残された民の間に住んだ。」6節

 きのうは「みことばの光」2月号の版下制作をしました。いつもの月と違い、2月号には1年間にどの聖書箇所を読むのかが分かるカレンダーが載ります。細かな作業なのですが、4月のイースターの頃にはコロナはどのようになっているのだろうか、今年中止になったクリスマス市(いち)は11月終わり頃には大勢の人で賑わっていてほしい…などと思いながら、カレンダーに聖書箇所を埋めていきました。

 この時エレミヤの目の前には二つの道が開かれていました。バビロンの親衛隊長はエレミヤの鎖を解いて解放し、いっしょにバビロンに行くならば世話をすると、ことばをかけました。

 4節の「全地はあなたの前に広がっている」とのことばは、聖書のどこかにもあったと欄外の中を見ると、創世記13章9節、20章15節、47章6節がありました。13章9節はアブラハムが甥のロトに語ったものです。それを聞いたロトは、目で見て豊かに潤っているヨルダンの低地に歩を進めていきました。しかし、それはロトと家族を悲惨な経験へと誘うものでした。

 親衛隊長のことばを聞いたエレミヤは、バビロンではなく、この地にとどまることを選びました。「その地に残された民の間に住んだ」ということばが心に響きます。「残された民」とは、39章10節によるなら「何も持たない貧しい民」のこと。

 祖国を離れて当地で働き生活をする人々の多くは、「とどまるか戻るか」という思いを何度も抱くことだろうと想像しました。私たちも「それはいつなのだろうか」と考えます。信仰者にとっての模範解答は「主が動きなさいと言われた時」ということになるでしょう。「いついつだ」と聖書に記されていたら、どんなに分かりやすくていいだろうなどと思うこともあります。もちろん、そのようには書かれていませんが、聖書によって主は語っていてくださる時が来ると信じて、6節のことばを頼りに歩みます。


都は破られ…

2020年11月10日 | エレミヤ書

エレミヤ書 39章

「あなたは剣に倒れず、あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる。あなたがわたしに信頼したからだ。」18節

 きょうはいつもの写真ではなく、私の身の回りの一枚を…。大きな瓶の中に何種類ものキャンディが入っています。ほぼ一日に一粒ほどその時になめてみたいキャンディをいただくことにしています。ちょっとした気分転換になります。

 ついに都エルサレムはバビロン軍によって破られてしまいます。神が長い間預言者エレミヤによって語ってこられたとおりになったのです。39章にはエルサレム破壊に伴う三通りの人間模様が描かれています。

 ゼデキヤ王は夜陰に紛れてエルサレムを脱出しましたが、捕えられて自分の目はえぐられ、息子たちや側近たちは殺されます。最後まで潔さを感じません。窮地に陥ってもそこから逃げようとする姿には、ゼデキヤがどのような人物なのかが浮かび上がります。

 エレミヤはバビロン軍によって長い間幽閉されていた監視の庭から連れ出され、自由を得ました。表面上はバビロンのために預言したのでバビロンからの褒美(ほうび)のように見えますが、そうではありません。長い間神のことばを忠実に語り続け、そのために迫害され、いのちの危機に瀕することがあっても止めることをしなかった彼を、神は顧みられたのです。

 エベデ・メレクは、前章で泥の中に沈められたエレミヤを助けました。18節の「あなたがわたしに信頼したからだ」ということばが心に響きます。神は彼の行動を覚えておられ、それを彼の信頼、信仰とみなしてくださったのです。

 信仰者の思い、行動を神は覚えておられるのだということを心から改めて覚えます。


ことばにいのちを懸けて

2020年11月09日 | エレミヤ書

エレミヤ書 38章

「もし私があなたに告げれば、あなたは必ず私を殺すのではありませんか。」15節

 前章で丸天井の地下牢に投げ込まれたエレミヤは、もうこんなことはこりごりだとして神のことばを語ることを止めてしまったかというと、そうではありませんでした。38章の記事を37章と同じ出来事について述べていると考える人もいますが、別の事柄であり、事態はエレミヤにとって一層深刻になったということをむしろ伝えています。

 今度は彼は、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ込まれました。6節に「エレミヤは泥の中に沈んだ」とあります。ゼデキヤ王はエレミヤ憎し、殺すべしと主張する者たちの声に抗し切れずに彼らのやりたい放題を許します。「王は、あなたがたに逆らっては何もできない」は、ゼデキヤがどのような立場に置かれていたかを垣間見ることのできることばです。

 エレミヤを救出するところから考えると、ゼデキヤはエレミヤへのある種の敬意のようなものを抱いていたのかもしれません。彼のことばは受け入れ難いが、真実が語られているのではないかと、エレミヤを無視することができないのです。そのエレミヤからゼデキヤはことばを引き出したいのです。自分を支え、慰めになるような…。

 しかし、エレミヤからのことばは変わらないものでした。それとともに、ゼデキヤにはこの時点でなお、チャンスが残っていたこともエレミヤのことばから分かります。「バビロンに降伏せよ」を聞くか聞かないかは、神がゼデキヤに与えられた最後のチャンスでした。しかし、彼はそれをみすみす逃してしまいます。

 神のことばを語ることにいのちを懸けるエレミヤと、神のことばを受け入れることを拒むゼデキヤの姿がここにはあります。


焼かれても残ることば

2020年11月07日 | エレミヤ書

エレミヤ書 36章21−32節

「あなたは再びもう一つの巻物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた最初の巻物にあった最初のことばを、残らずそれに書き記せ。」28節

 金曜日午後は市の西方にある山の峠を越えてのドライブを。20キロ少しでこんな場所に来れるのかと、感動しました。

 神がエレミヤに書き記せと命じた巻物に書かれてあることを、バルクは王の前で読んだことがここに記されています。エホヤキム王は巻物に書かれていることが読まれるごとに、それを暖炉の火で焼いてしまいます。罪を悔い改めるがなければ,バビロン王が必ずやって来てこの地を滅ぼすと書かれたあったことばが気に入らなかったのです。

 驚くのは、神からのことばを聞いても、王や側近たちがだれ一人恐れおののくことはなく、衣を引き裂くこともしなかったということ。そこに書かれていたのは、ユダの将来を左右することでしたが、王たちの心には響きませんでした。それほど、彼らの心は堅く、そして鈍くなっていました。

 エホヤキムは、焼いてしまえばそれで終りと考えたかもしれません。しかし主は、焼かれた巻物に書かれていたことばを残らず書き記すように命じられます。ここに,ご自分の民を思う神の熱心が込められていると,私は考えました。

 人が消そうとしても、神のことばは決して無効にはなりません。耳を塞げば,目をつぶればだいじょうぶだ,などということはないのです。

[お詫びと訂正]

 前日に掲載しましたが、本日の「みことばの光」の16頁3行目の記述に誤りがあります。

 (誤)ゼデキヤ王    (正)エホヤキム王

 編集者による誤りです。お詫いたします。ご訂正ください。PDF版の「みことばの光」については、訂正したものを送らせていただきました。


どうしても伝えたいこと

2020年11月06日 | エレミヤ書

エレミヤ書 36章1−20節

「ユダの家は、わたしが彼らの下そうと思っているすべてのわざわいを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしも、彼らの咎と罪を赦すことができる。」3節

 この時期にはありがたい晴天が二日ほど続きました。陽が差し込んでぽかぽか気持ちの良い室内。そのつもりで、夕方外に出ると、寒かったです。太陽が沈む頃になると急激に気温が下がります。

 昨日書きましたが、「みことばの光」の本日の箇所には誤りがあります。冊子を用いておられる方は、14頁9行目の「ここからは、ゼデキヤの時代である」を削除してください。まことに申し訳ありません。

 1節にエホヤキム王の第四年とありますので、エルサレム陥落はまだ先のこと。この時に神はエレミヤに、ご自分のことばを書き記すようにと命じられます。預言者エレミヤは主の宮で神のことばを伝えてきましたが、「私は閉じ込められていて、主の宮に行けない」とバルクに言っていることから、エレミヤが主の宮で語るのを禁じられていたとも考えられます。

 主はそれでも、人々に伝えなければならないことばをエレミヤに託されました。そのために主が用いられたのは、書き記させてだれかが主の宮で語るということでした。どうしても主が民に語らなければならなかったわけは、悪を行っているユダの家が「悪の道から立ち返るかもしれない」そうすれば、主も彼らの咎と罪を赦すことができるからだというのです。

 神にはどうしても伝えたいことがあると、ここから教えられます。それは、ここでエレミヤに託し、エレミヤが口述によってバルクに書かせ、主の宮で読んだことばはもちろん、聖書全体がそうなのだということに、改めて気づかされます。


お詫びと訂正


明日11月7日の「みことばの光」には、編集者である私の錯誤による誤りがあります。「みことばの光」エレミヤ書の解説を書かれた松原智師と読者の皆様にお詫びいたします。

冊子をご使用の方は、次のように訂正をお願いいたします。

 1)11月7日 エレミヤ書36章21-32節 16頁3行目

「ゼデキヤ王」を「エホヤキム王」に訂正をよろしくお願いいたします。

なお、PDF版の「みことばの光」については、修正版を送らせていただきました。


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