転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



瑞巌寺の手前の、某お店に松尾芭蕉の人形があった。
芭蕉は、松島では一句も読んでいないのだそうだが、
本来なら奥の細道のハイライトとなるべき光景を
描ききるに足る句が、結局、芭蕉をもってしても浮かばなかった、
ということなのだろうかと想像すると、少し面白かった。
ちなみに、この「松おばしょう」は
小さな記念撮影スポットであるがゆえに、一日中観光客にいじられ、
時には子供らに鼻をほじられたりして、お疲れ様だった。
なかなか良いお顔だし、風情もあるのにな(苦笑)。

さてその肝心な瑞巌寺なのだが、国宝の本堂は修理中のようで、
今は、門から参道、法身窟のあたりまでが見どころという感じだった。
『奥の細道』にも、勿論、瑞巌寺の描写が出ている。
『・・・雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改まりて、
金壁荘厳光を輝かし、仏土成就の大伽藍とはなれりける』。
雲居禅師(うんごぜんし)の名が可笑しすぎる、
雅号なのに、なんでもうちょっと考えなかった、
これじゃホントに雲黒斎なんてのもアリだよねえ、
と笑いが止まらないころもんであった(--#)。

一方、戦国BASARAの片倉小十郎が大好きな娘にとって、
みちのく伊達政宗歴史博物館は外せない場所だった。
彼女の話によると(私は行かなかった)、ここの博物館の蝋人形は、
いろいろな名場面を再現していて楽しかったそうなのだが、
ただひとつ、政宗の子供時代の梵天丸の人形が、
あまりにも、顔がオッサンで、笑えたそうだ。
聡明なる少年・梵天丸が、どこかの高僧に向かって、
『なぜ不動明王はこのように恐ろしい顔をしているのですか』
と質問している場面もあったそうなのだが、娘の感想は、
「いやそれより怖いのはあんたの顔だから梵天丸」。

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(写真は、今朝の松島・福浦橋)

5月3日の午後4時4分、清志郎の出棺のとき、
都内の彼の自宅上空に虹が二本、かかったそうだ
http://sns.nikkansports.com/users/c_kobaya/diary/show/109532)。

その情景を思いながら、今朝は福浦橋を渡った。
ただ繰り返し波の音だけがして、とてもとても、静かだった。

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