転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



3日の早朝、携帯にたくさんメールが来ているのを不審に思い、
開いてみて、その一通目で清志郎の死を知った。
あとのメールも全部、清志郎のことを知らせてくれた、
友人たちからのものだった。

あの清志郎がいなくなってしまった。
BOSSだったのに。KINGだったのに。GODだった筈なのに。

自分に近しい人が亡くなったのとは別の種類の、
とてつもなく大きな喪失感があった。
例えば太陽とか北極星みたいな、大きくて、いつも遠くにあって、
いちいち存在さえ確かめなくても、そこにあるのが当然で、
とても頼りにしていて、見上げればいつでも目に入って、道標だったもの、
……が、不意に、見えなくなってしまったような気がした。

目の前の人間に何らかの影響を与えることは、ある意味当然で、
無意識に誰でもがしていることだけれど、
一度も個人的に働きかけることのない関係のままで、
人の人生に深い何かを与え、その気持ちを揺り動かし続けることは、
選ばれた人間にしか出来ないことだ。
清志郎は、私にとって、四半世紀以上、そういう人だった。

『ずっと夢みさせて くれて ありがとう』
『眠れない夜ならば 夜通し踊ろう』
『大人だろう 勇気を出せよ』
『誇り高く生きよう』
『最後のバラードまで そばに居てくれる
 本当さ それだけで感謝してる』
…………。

清志郎からは、数え切れない、たくさんの言葉を貰った。
普通の、私たちがいつも使っている言葉が、
こんなに綺麗なものだったなんて、清志郎が教えてくれたことだった。
若いときの清志郎は、
『お月様 お願い あの娘を返して』
『僕の心が死んだところさ そしてお墓が立っているのさ』
『汚れた心しかあげられないと あの娘は泣いていた 綺麗じゃないか』
等々と、哀しい歌をたくさん作ったけれど、近年になってからの詞で、
『今日も朝が来て 君の笑顔を見て 100%以上の 幸福を感じる
100%以上の 幸福を感じる  365パーセント 完全に幸せ』
と歌ったことを考えると、ファンとして、今、とても慰められる思いだ。
彼は、最後に、ひとりではなかったのだ。

ネットの情報によると、9日、13時からの青山葬儀所での告別式は、
一般も参列可能で、仕事帰りや遠方からの弔問客のことも考慮し、
かなり遅くまで会場を開けて待っていてくれるとのことだ
追記:その後の情報によるとおよそ18時までらしいとのこと)。
広島ベイベーである私には、9日当日の参加は時間的に難しいが
それでもなお、夜までにはもしかして辿り着けるかも?
というあたりは微妙で、今、往生際悪く考えているところだ。

いつも、ライブの最後に、
「とうとう最後の曲になっちゃいました」
「きょうも最後までこんなに盛り上がってくれてどうもありがとう感謝します!」
と必ず清志郎は言ったものだった。
それから、「OK、チャボ!」の声で、ギターが始まり、
『雨上がりの夜空に』を全員で歌って……。
私たちは、声を限りに歌って、踊って、それでも、
まだ終わってほしくない、もう一度出てきて欲しい、
と思いながら、会場を離れず、いつまでも拍手を送り、
清志郎ー!!清志郎ー!!と彼の名を呼んだものだった。

だから9日の午後も、私はどこにいようとも、
清志郎がもう一度姿を現してくれるのを待ちながら、
心の中で、最後まで、「きよしろっっ!!」と声援しようと思っている。
そして、盛大な拍手をもって見送りたい。
私たちは、ステージを降りる清志郎に、いつもそうやって、
賛辞と感謝を熱く熱く、表現して来たのだから。

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音羽屋(菊五郎)ファンとして今回の『加賀鳶(かがとび)』は
近年でも目を見張るような出来映えで、本当に観られて良かったと思った。

もう少し若い頃の菊五郎に関しては、私はやはり、
色気のあるいなせな江戸っ子風情が見たくて、
80年代の終わりだったか、初役での法界坊を国立劇場で観た頃でも、
「こっちまで兼ネルのかー。まぁ悪くはないんだけど」
と、まだ、どこか入り込めないものを感じていた。
が、4日に観た竹垣道玄は、もう、文句なしだった。
ボウズ頭で、汚れ役で、ニの線からは程遠いにもかかわらず、
今の菊五郎の良いところが全部出ている最高の舞台だと思った。

最初に天神町梅吉で出て来るところは、おっ!こりゃ辰五郎!と
胸ときめく男ぶりで、これはこれでさすが音羽屋だったのだが、
梅吉は実は、豪華で贅沢な前振りに過ぎなかった。
今回の音羽屋の真骨頂は、次の幕から出て来る竹垣道玄のほうだ。
わざと目の悪いフリをして、いんちきな按摩として稼いでいて、
同じく悪の仲間であるお兼(時蔵)を愛人にして、
ゆきずりの男を殺害して金を盗み、
妻を騙し姪を女郎屋に売り飛ばし、
姪が世話になっていた奉公先の伊勢屋の旦那のところへは、
うちの姪を蹂躙しやがってと強請りに行き、
……と極悪非道の限りを尽くしている道玄なのだが、
なんともこれが愛嬌があって、絶妙に可笑しいのだ。

最低の人間であることは明らかなのだが、
物凄く魅力ある男であることも間違いなく、
お兼が道玄に惚れているのは勿論、妻のおせつ(東蔵)だって、
もともと道玄を愛していたのは確かだろうし、
これからだって彼が改心してくれるなら、……するわきゃないのだが(笑)、
おせつは、きっと一緒にやり直したいと思ったに違いない、
などなどと、想像してしまった。

音羽屋ならではの、冴え渡るような口跡が見事だったのは無論のことだが、
一瞬の目の色の移り変わり、歩き方や腰つきひとつとっても、
道玄としての一挙手一投足が手の内に入っていて圧巻だった。
また、「むっちりした足に色気がある」と語っていた、
寺島しのぶちゃんの言葉にも改めて納得した。
音羽屋のあの体型や身のこなしは、ホントにいいと思った。

多分、二十年前の音羽屋では、こうは演れなかった・演らなかっただろう。
こういうふうに、今の年齢になったからこそ出来る、
という舞台を見せて貰えるのは、ファンとして実に幸福なことだ。
そして、音羽屋には、これまでの役では観せて貰っていないものが、
隠し球みたいにまだまだありそうだな、とも思った舞台だった。


しかし、この絶好調の舞台で、
一箇所、音羽屋が「かんだ」のを私は久しぶりに聞いた。
胸のすくような台詞回しの真っ最中に、なんと、
『こらしめ』という単語の発音に失敗していた。
好事魔多し、とは、よくぞ言った(爆)。

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