転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「お母様。オミヤゲです」
と今日、主人が職場から持って帰ってきてくれたのは
地元紙・中国新聞の夕刊だった。
夕刊の存在する地域は都会、というのが私の昔からの認識で、
それはともかく、どうして私が主人の「お母様」なのだろう、
というのも今は関係ないから、それもまたともかくとして、
何が載っていたかというと、『愛してま~す 忌野清志郎』。
中国新聞にまでこんな記事が載るなんて。

訃報以来、私は改めて、忌野清志郎の大きさを知り、
彼の遺したものの影響力が、今になってわかったりもして、
ファンとしてそれはとても嬉しくはあったのだが、
しかし、何かこう、連日の報道を読んだり聞いたりしていると、
『それは、清志郎の立ち位置とは違うのでは』
と、ぼんやり感じることも、ときどきあるようになった。

彼が時代を築いた先駆的英雄だったという主旨の称賛、
42000人の参列した葬儀は美空ひばりと同記録だなどという報道、
国民栄誉賞を授与したら良いのではないかという意見、
そういうのは、私の捉えていた清志郎とは、どこか相容れないものだ。
特に、国家的な権威づけや「お墨付き」など、
清志郎には一番似合わないと、私は思っている。

長い間、私たちだけのものだった清志郎が、
訃報以来、突然、大勢の人によって好きなようにされてしまった、
みたいな、・・・勘違いファンの我が儘なんだろうけど
たまに違和感を覚えるワタクシなのだった(逃)。
勿論、私の見た清志郎がすべてでないことはわかっているので、
私の希望なんか全然、この際問題ではないわけですが。

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清志郎がいなくなってから、私なりに、
とりとめもなく、いろいろなことを思うのだが。

人間は、事故や自殺によらない限りは、誰でも、
いつかどこかの段階で病を得て、それが原因で亡くなる。
誰かが病気で死ぬとき、その周囲にいる大半の人は、
一応、健康だったりまだ病識がなかったりして、
「気の毒な人が亡くなって行く。私は大丈夫」
という位置関係にいる。
が、結局、早いか遅いかの違いで、皆、同じことになるのだ。
今、誰かを失って泣いていても、いずれ間違いなく自分の番が来る。

「自分だけは癌にならないと思っていた」
「どうして私がこんな病気に。何も悪いことしてないのに」
などと言う人が、世の中には時々あるようなのだが、
私は全然、自分についてはそのように思ったことがない。
子供の頃から「丈夫」とは言い難く、だのに節制はしていないので、
癌だけでなく様々な悪性疾患にかかる可能性が充分あると思うし、
悪いことはヤマほどして来たから、もし何かの罰で病むものであれば、
私など、どうやっても逃れられないと思う。

それで私が以前から思っているのは、もし、自分が突然死でなく、
悪性疾患になったり重篤な状態に陥ってなお時間があったとしたら、
あまり「告知」などはして欲しくない、ということだ。
ウソでもいいから明るい情報だけを聞かされていたほうが、
私のような自己中で脆弱な人間にとっては幸せのような気がする。
病期にもよるが、私の希望は、「何が何でも完治を目指す」ことより
「自覚症状の緩和」「心の平安」「QOLの維持」などのほうだ。
どちみち、なおるものは、なおるし、なおらないものは、なおらない、
と、私は、がんセンターや大学病院で行き交った人々を見ていて思ったし、
また、私は元来、病気に限らず何であっても、
「何もかも知る」という態度を、必ずしも良いことだと思っていないのだ。

尤も、今時なので、治療にしても症状コントロールにしても、
それを受けたいのなら全く病名を知らないままでというのは
きっと許されないだろうから、告知は現実には仕方がないだろう。
ウソをつき続かなければならないのは、つらい、
という医師のエッセイも読んだことがあるので、
主治医がつらくないように、私は耐えて病名を聞かなくてはならないだろう。

「知る権利」じゃなくて「知らない権利」のほうはないものだろうか。
別に積極的にウソで全部を塗り固めて欲しいとは言わないが、せめて、
「私が訊ねないことは言わないで欲しい」という依頼はできないものか。
最悪でも私は「悪いほうの予後」とか「余命」に関する説明を
聞かされることだけは断固拒否したい。
時間が限られているなら是非しておきたいこと、
……というのは、今の私の場合あまり思いつかない。
家族や友人以外で、最後に是非会っておきたい人など居ないし、
死ぬ前に行っておきたいところ、というのもない。
私はこれまで既に、実に思い通りに暮らして来た人間だと改めて思う。
強いて言えば、残された時間が長くないなら、
大嫌いな「料理」という行為を、本日をもってやめる、
というのを周囲に認めて貰って清々したい、という希望ならあるが(爆)、
しかしそんなのは割とどうでも良いことだ。
もともと、家より、いつでも医師や看護師のいる病院で死にたいし、
周囲の状況や自分の症状から、だんだん自分で悟るようになる、
というほうが、私には良いような気がする。そうして、もし私が、
自分は、もう、なおることは難しいのだな、と感じ、
その問いを発したら、そのとき初めて答えてくれればいい。

以前、ホスピス医の書いた文章を読んだときに、
「ホスピスに来て疼痛から解放されると、苦痛が消えたことにより、
患者さんは病気がなおっているのではないか、と考えることがある。
だがそれは錯覚だと教えてあげなくてはならない」
という箇所があって、私は同意できないものを感じた。
『良くなっている』と本人が思うのなら、それでいいではないかと。
医学的には癌なり何なりへの治療をしていないのだから、
医師から見ればもうすぐ死ぬ患者だとしか思えないのだろうが、
本人がそう感じないのなら、それを尊重したほうが良いのではないか。
病気の経過なんて医師にだって100%はわからないのだし、
本当になおるかもしれないという可能性も否定はできないと思う。
「準備があるので、余命についてはできるだけ厳格な予想を聞きたい」
という患者側の強い要望がある場合は別だろうけれど。

昔、うちにいた猫たちのことを思い出してみると、
彼ら・彼女らは、死ぬとき大抵、目を覆うばかりの状態になった。
だから私は、死ぬというのは、甘くも美しくもない、
むしろひどい、凄惨なことだと思っている。
一緒にして申し訳ないが(爆)舅にしたって、
亡くなるときは、それまでのじーちゃんとは別の人になった。
祖父も祖母も病死だったが、決して簡単ではなかった。
ゆえに、私は自分の死に様に関しても、幻想は持っていない。

しかしまた、うちの猫たちが、
自分が死ぬなんて全く考えずに死んでいったことを思うと、
その点はとても羨ましい。
動物には病識がないから、体がつらい間は寝ていて、
飼い主が来たら嬉しいから顔を上げて、
いい匂いがしたら、よろよろと起き上がってみたりして、
最後まで、絶望などとは無縁だった。
猫たちの行動を見ていると、少なくとも私の目にはそのように映った。
どれほど苦痛が激しくても、あのように死ねたらどんなにいいだろう。

尤も、これらは全部「現時点での私は」という前提での話だ。
『余命まで含めて詳細な説明を聞いた上で、自分で治療法を選択し、
納得のいく闘病をするのが最善である』という考え方に反対はしないし、
自分だって、そういう考え方に変わる可能性はあると思っている。
人間は猫じゃないのだから、知識の限りを尽くして自分の病について知り、
最後は死ぬと自覚して死ぬべきである、と考える人はそれでいいと思う。
最終的に、本人が、これが一番良かったと思えることが大切なのだ。
また、死は凄惨だとさきほどは書いたけれども、
「美しい」「甘い」「簡単な」死に様というのも、
単に私が知らないだけで、世の中にはあるのかもしれないとも思う。


ときに、占い師の友人が言っていたが、
「死期を占う」ことは、占い師としてタブーなのだそうだ。
特に、自分で自分の死ぬ日を、占ってはならないと、
師匠から厳しく言われているということだった。
それで私は思ったのだが、
「自分がいつ死ぬかを知る」
というのは、人間にはもともと許されないことなのだ。
自分がいつ死ぬか、知らないからこそ今日を生きられるのだし、
自分の終末の日を明らかに知った上での人生が、
もしあるとしたら、それはもう「人生」とは言わないのだ。
生き物というのは本来、決して、自分の余命や死に様を
生きているうちに知ってはならないものなのだと私は思っている。

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