水配り像の近くに「パチンコ」の文字が見えました。
都会のパチンコ屋さんだと、華々しい装飾になっていますが、神津島はひっそりしています。
神津島でもパチンコ屋があったのですかっ!と興味津々。
中に入ってみると、ビックリ!内地とほとんど変わりはありませんでした。
同じフロア内にパチスロコーナー。 お洒落なカウンター。
カウンター真後ろの景品は、出玉の数に応じてもらえるのですが、ほとんど現金が欲しいからと現金引換用の景品を受け取ります。
1990年代の後半・・・・何もない漁村から初めて大都会の東京に移住。当時の友人に勧められ、あまり乗り気でないままパチンコ屋へ。
初めてのパチンコは「フィーバーパワフルⅢ」という機種でした。投資額は500円。
すると、7,7・・・のリーチ。まさかの「777」、フィーバー!!
1箱分の玉が出終わっても、連ジャン。4、5箱は出てきて、換金すると約2万5千円。
500円が万札に化けてしまうなんて、美味しい話だとあれ以来からパチンコに没頭しすぎてしまい、気が付けば、万単位で負けてしまうのも、しょっちゅう。財布の中を全部スッカランにして、心も身もボロボロ・・・という日もほとんど。
パチンコに投資した時点で負けている。結論から言うと、最終的にパチンコ屋がもうかる、カラクリになっている。
福沢諭吉さんを100枚以上貢いでしまった時点でパチンコはバカバカらしいと思うようになり、スパッとやめてしまいました。
当時の銀行通帳を広げてみると、収支がめくちゃくちゃ。同じ日にATMで何回も引き落とした記録あり。「もっと引き出せ!もっと負けろ!」と煽るかように、パチンコ屋のとなりに無人ATM。負けた腹いせで何とかして取り戻してやる!とさらに投資する行動が目に見えてくる。今思い起こせば、もったいないことをしたな、と。
当時、福沢諭吉さんを何枚か貢いでしまった人生初のパチンコ動画を少し紹介。(ユーチューブより)
7,7のリーチが何回も出て来る絵柄なので、今にでも当たりそうだと倒錯的な快楽に陥ってしまいます。
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