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今の紋穂内駅は昔、貨物列車の最後尾をぶら下がっていた車掌室を待合室に改造したものなのに、大昔は立派な駅舎でした。
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えええーっ!100年前は駅前に70戸もあったんですかっ!?今は何もない秘境駅になっていますのに。
日本一秘境駅の小幌駅も昭和18年に信号場としてできたときは、立派な駅舎もあったそうです。海岸に向かう途中でも漁師さんの住宅も数軒あったとか・・・。
去年9月に行ったときは、その形すら無くなっていました。小幌駅の待合室に棲みついた仙人さんがお亡くなりになったあと、その建物は撤去されています。
四国の坪尻駅も昔は駅員さんもいて、線路向かいに商店もあったりして栄えていました。
故郷の長門二見駅も立派な木造駅舎。駅長をはじめ、出札係、改札係、荷物係(鉄道で荷物を送るときの窓口)、ホーム係など8人の駅員さんが24時間体制で駐在。(最終列車は上りの滝部行き23時40分、朝の始発は下り滝部発下関行き3時27分)カンカン部隊(ブリキの箱に鮮魚を入れて、小倉や博多へ行商)や、通学生やマイカーを持たない通勤客など利用者もたくさんいて、賑わっていましたのに、今は本数もかなり減らされ、すっかり寂れています。
今の紋穂内駅も、写真のような面影は全然見られず女子高校生1人が利用者になってしまいました。