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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

平成は地域ごとのカラー、令和になって昭和のオリジナルカラーに逆戻り

2019-08-10 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 東京から新大阪までJR東海の東海道新幹線、新大阪から博多までJR西日本の山陽新幹線。素直に西日本のEXカードで決済すればいいのに、左上に【海C】、下部に(3-タ)と印字されているのでJR東海で決済。昔から、かなりひねくれた買い方。JR九州を利用するときは、小倉駅の新幹線側、すなわち西日本の窓口。JR西日本を利用するときは南口の九州窓口。東京に来てからも、東日本を利用するときは東京駅丸の内側にあったJR北海道プラザ

 やってきました、さくら号。さくら号は九州西日本の共同運用。

 運よく、九州の「さくら」号でした!!JR九州を応援しているので、嬉しくなってしまいます。

 「のぞみ」の普通車は2列&3列なので、少し窮屈だけど、こちらは普通でもシートピッチが広く、2列&2列。

 友人の朝ごはんは大阪名物の「たこむす弁当」。


 私はサンド。

 あっという間に岡山駅でーす!!吉備線がまだ未乗区間なので、これも片付けに・・・。

 経由欄に注目。「岡山・吉備・伯備・山陽・広島」マルスをたたいてくれた、名古屋駅の駅員さんは難しい要求でも臆することなくスピーディーに発券!!発券スキルはすば抜けて素晴らしい。全国の路線図を頭にインプットしているレベル。


 国鉄時代の1979(昭和54)年、老朽化したキハ20などのディーゼルカーを更新するために導入。

 当時は古くって、ボロ汽車ばっかりなので、1984(昭和59)年頃、山陰本線に初デビューした直後は真新しくって青々しく光るシート。新しい「香り」が抜けないうちに乗車。車内も明るくて洗練されたデザイン。

 今年は2019なので、もう35年前ですかね・・・。

 35年前だったら、ピカピカ!!真新しくて国鉄の洗練されたデザイン・・・だったはずですが、今はご覧のとおり。シートの色が変わりましたが、ほぼ当時の原型を留めているので、懐かしい。

平成最後の新開業路線

2019-08-01 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 2019(平成31)年3月16日、新大阪駅から放出駅間の「おおさが東線」開業。「令和」が発表される前の、平成最後の新規開業路線。

 開業日当日の乗車券で、「未乗区間」の片づけに成功!!経由欄に「おおさか東」が印字されていなくても、最短距離の切符で大回り乗車が可能な大都市近郊区間が適用され、「東海道」経由であっても、「おおさか東線」に乗車可能。

 まず、鴫野(しぎの)駅で本日開業したばかりの「おおさか東線」に乗りかえ。

 本数はたくさんあります!!

 うわー、懐かしい。201系。

 すると、新大阪行きがやってきました!

 新しく開業した路線に、国電の201系なんて少しギャップを感じる。「こくでん」は国鉄時代、東京や大阪の近距離用通勤型103系を差していた。のちに、中央線のオレンジ色201系(昭和54)年、山手線で初めてステンレス製が入った205系(昭和60)年も「国電」。
 私鉄と区別するため、国鉄線は「こくでん」とごく当たり前のように使われていた。1987(昭和62)年、JR発足。もはや「こくでん」は通用できず、それに代わる名称として「E(イー)電」と命名したが、長続きせず消滅。旧国電区間であっても、「ジェーアール線」で定着。

 JR野江駅。JR西日本の新規開業駅に私鉄の駅とタブらないように「JR」を冠するようになっています。

 城北公園通駅。

 JR淡路駅。淡路島を連想していまいそうですが、全く別です。

 あっという間に新大阪!!奈良方面から新大阪へのショートカット路線!

友人は大正駅立ち寄り、私はホテル直行

2019-07-20 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 和田岬駅出発~!!雨風しのぎの小さな屋根が付いているだけで無人駅の青空改札。

 昼間は滅多に来ない和田岬線だというのに、夕方になると利用客がどっと押し寄せてきます。

 兵庫駅の和田岬線専用改札口。現地の和田岬駅が青空改札なら、ここはちゃんと和田岬の自動改札機が置かれています。
 朝早く出発して、昭和駅、それから和田岬。大正駅に寄るとかえって疲れてしまうので、ホテル最寄り駅まで。

 友人はちゃっかり、昭和の次は時代を遡って大阪環状線の大正駅まで。次は平成駅。3つの元号が付く駅を制覇!!
 発行箇所の名古屋駅MR18は(隠された、R(レ)1(イ)8(ワ)=令和)

 兵庫駅から大都市圏の電車。東京の通勤型電車車内の雰囲気に似ているので、駅に停まるたびに写真は撮らず。ここがホテルの最寄り駅。

 ピカピカの真新しいホテル。

 合格!!ホテル仕様であっても、「字幕切替」付き。地上デジタル放送が始まったときは黎明期。ホテル仕様のリモコンは「字幕」が付かない。私がホテルにこのリモコンは字幕を出せないので、メーカー純正のリモコンをお借りしたいとか、字幕を出せないテレビなんて言語道断と苦情ばっかり言うので、ようやく重たい腰をあげ、「字幕」が付くようになったのか。よかったな・・・。

JRになっても最後まで旧型客車が残っていた路線(和田岬線)

2019-07-14 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 2019(平成31年)3月15日(金曜日)17時30分。その頃の神戸は日没時刻18時06分なので、夕陽が差し込んでいます。

 和田岬線の時刻表を見ていると、
 【平日】
 朝7時から9時までに7本。
 9時から16時まで空白(1本も走っていない)
 17時から21時台に10本。
 
 【土曜日】
 朝2本  
 夕方以降6本 
  
 【日曜日、祝日】
 朝1本
 夕1本

 そのような極端な時刻表になっているのは、和田岬駅の利用者は鶴見線に工業地帯があると同じように三菱重工業株式会社神戸造船所の社員のためにあるようなもの。私の大好きなところへ連れてくれる、「たちばな丸」「あおがしま丸」「おがさわら丸」は、私の故郷、山口県下関市の三菱重工業下関造船所で製造。次期「のぞみ」の最新型車両、「N700S」も山口県下松市の日立製作所笠戸工場で製造。山口県で製造された乗り物が行きたいところへ連れてくれます!!日立のマルス(列車予約システム)は全国から10時打ちで殺到してもサーバーがフリーズしない。ずっと昔から頑丈なメーカーとして知られています。家電具も然り、長持ちできる。「おがさわら丸」の予約は繁忙期だと、必ずフリーズする。ネットも使えない、電話も使えない。お盆休暇を狙っているわけだけど、比較的空いている時期に予約しようと思っていた私にまで巻き添え。お盆期間中は全部×××××××ですな・・・。平成から令和に改元する10連休も、小笠原では人が殺到~!!10連休にオガサワラに行きたい!!と小笠原海運の窓口に発売前夜から並び、並んでいたのに予約が取れなかったトラブル発生~!!そのため、夏季における「おがさわら丸」発売初日のみ小笠原海運の窓口は閉鎖。ネットまたは電話のみで受け付けとなっていたけれど、ネットはサーバーダウン。電話もずーっと話し中。ネットが使えないとわかると、一斉にダイヤルするから回線がパンクか?
 青ヶ島もキャンプ場ではマナーを遵守しない方もいらしたそうです。ルールを今までよりさらに厳しくするのは仕方がないことです。あまり混まない時期を選ぶとか、勤務先の休みの取り方も工夫して欲しい、と思っています。
 三菱重工業(船)、日立製作所(新幹線)、おがさわら丸の予約、繁忙期におけるトラブル・・・かなり話が脱線。

 和田岬線に話を戻します。


 2019(平成31)年3月の和田岬駅。友人いわく、「あれれ?ずっと昔に行ったときとすっかり変わっている!!」とのこと。私は初めて行く場所なので、すっかり変わったと言われてもイメージはつかめず。

 所属する路線は山陽本線であっても盲腸線の証、行き止まり。

 平日の17時台なので、サラリーマンたちが電車にめがけてゾロゾロ歩行中~!!
 
 何が変わったかと言いますと、友人から送られてきた画像を見て納得・・・。


 2000(平成12)年当時。古めかしい木造の駅舎があって、改札ラッチも見える。

 和田岬線が電化されたのは2001(平成13)年から。ロングシートのディーゼル、キハ30がまだ走っていた頃。

 キクハ35 という形式名だけど、扉は片方しか使われていないからと改造されています。

 さらに調べてみたら・・・1987(昭和62)年4月1日。日本国有鉄道が解体し、7つの旅客鉄道株式会社発足。JRになったとたん、性急に改革するのは厳しい。切符の地紋も「JNR」のままだし、駅名標も国鉄様式のままだし、駅員さんも国鉄の制服に6つのカラーに塗られた「JR」の徽章をつけただけ。6社ごとの特色が出始めたのは、民営化2年目の1989(平成元年)あたりから。民営化になって各社そろって新型電車が出そろうようになる。ところが、和田岬線だけ、1990(平成2)年まで旧型のボロ客車の前後にDE10ディーゼル機関車を連結し、プッシュプル方式で運転。客車の前後にDE10機関車がつながっている状態だと、朝夕のピストン輸送でも機関車を付け直す必要はなくかなり楽。
 1990(平成2)年からキハ30の6両を和田岬線専用のキクハ35に改造し、運用開始。それも11年後の2001(平成13)年に引退し、電化。キクハ35は11年しか使われていなかった車両なんですが、今となっては貴重な写真。

【快速】片町線→JR東西線→福知山線直通

2019-07-07 11:18:01 | 2019_春_改元の旅

 片町線乗車中。まだ京都府内。

 京都府内はここまで。次の駅から「大阪府」に入ります。片町線の始発は木津、終点は大阪環状線の京橋までだけど、レールはJR東西線と直通しているので、そのまま大阪環状線内側の地下を走行。兵庫県の尼崎に着く前に地上に出ます。それから福知山線に乗り入れ、塚口まで。京都府の木津から兵庫県の尼崎まで2府1県を通過するので、途轍もなく遠いかなと思ったら、なんと57.3キロ、運賃は970円なり。JR東西線のおかげで直線で行けるから距離も短縮。
 尼崎で東海道線に乗りかえます。東海道本線は東京から神戸まで、「東海道線」と名乗っていても間違いはないんですが、地元では大阪を境に西は「JR神戸線」、東は「JR京都線」という愛称で呼ばれています。
 神戸までは、東海道本線、ここから門司まで山陽本線。(「下関-門司間」の関門トンネルはJR九州の所有する山陽本線)

 和田岬線の始発、兵庫駅到着~!!兵庫県の県庁所在地は神戸で駅も神戸駅が中心駅だけど、1つ隣にひっそりと「兵庫駅」があります。

 なるほど。鶴見駅と同じく、無人駅の続く鶴見線から乗り換えに中間改札付き。和田岬できっぷを回収しない代わりに、ここで回収される仕組み。
 記念に持ち帰りたいと、少し離れたところの有人改札通路に申し出。

 「はい。いいですよ~」と乗車記念のスタンプにパンチ穴。和田岬線のホームに向かう途中の有人通路からホームへ。

 兵庫から和田岬までわずか2.7キロ。ここでも山陽本線の支線。

 電車は懐かしい「昭和」の通勤型103系でした!!新しい225系が相次いで登場しているので、そのお下がりの221系が来るかと思ったら、令和になっても103系がバリバリ現役。

 片道2.7キロ。往復5.4キロを細々と活躍中。

 6両編成なのは驚きましたが、大勢の通勤客を一度に運ぶためなんでしょう。今の新しい山手線や大阪環状線は扉の上にハイテクな情報機器が備え付けられていますが、これが国鉄通勤型の原型。

 今でも103系に乗れるとは思いもしなかった。JR西日本さんはモノを大切するところが1番素晴らしい。

 まもなく和田岬です。わだみさき~!!




関西大回り乗車中

2019-06-28 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 京都から和田岬まで、経由は東海道・山陽。最短距離の切符ですが、大阪近郊区間の大回り乗車が認められる区間を利用して、私の未乗区間を片付くプランニング。私は乗車券の旅客営業規則に強くて時刻表で計画を組み立てるのは不得意。友人は1度通ったものを2度通らない、待ち時間を省くなどの時間を有効活用できるプランニングがとても得意なので、2人でコラボできたからこそ実現できた旅。
 最初は律儀に 奈良線・片町線・東西線・・・の経路を組み込んだところ、友人が「京都から新大阪の区間を乗り捨て、大阪近郊区間の制度を利用」のアイデアが出て、計算してみたら、そっちのほうが安くなっていました。(ただし、途中下車や改札口を出ない条件付)
 名古屋駅の令和になる18番窓口の駅員さんはさすがに話が早い。細かくルートを説明しなくても、京都-新大阪間は昭和から平成行きの切符では含まれているが、この区間を乗り捨て、別区間の乗車券を発券。

 京都から木津間は奈良線。221系。

 奈良線は半年前に利用したばかりなので、掲載を割愛。
 木津駅の自動改札機だけど、京都 → 和田岬の切符では通れないし、途中下車も不可。認められるのは改札内の駅構内のみ。(大都市近郊区間の大回り乗車は決して処罰の対象となるキセルや不正乗車ではありません。目的地までいくつかのルートを乗客に任せているため、最短距離でなくてもOK)

 ここからは片町線です。木津といえば・・・京都府木津川市。ジローの妹さん(私から見れば叔母)の最寄り駅。聞こえる方でも、ジローさんとともに過ごしていた時期もあるので、手話も上手に話せる方。ふてにゃんの家系は「手話はみっともないからダメ!!」と厳しかったけど、緩やかだったのはジローの家系。手話はみっともないなんて、なんやねん!!と怒りたくなりますが、昭和はそういった時代なので、仕方がありません。昭和は甚だしい差別、テレビも字幕無し。手話通訳無し。情報が全然行きわたっていない。ろう学校も手話を使うな!!と手に叩かれたり、将来役に立たない厳しい発音訓練ばっかりで肝心な授業は受けられなかった。平成20(2008)年、日本で初めて手話で授業を行う明晴学園開校。教師たちもろう者の方で教育職員免許状所持。平成の最後に障害者差別解消法制定(2016年)。やがて、2019年令和時代に突入!!テレビも地上デジタル化に伴い、字幕が付く。生中継のときも、キーパンチャーが音声を文字に変換。タイムラグでしっかりと字幕付き。電話リレーサービスも法制定化に向けているようです。正直に言うと、電話リレーサービスは通話先と私の間につなぐ通訳料も公共料金のひとつとして電話会社に支払う料金に加算しても良いと考えている。
 
 木津発JR東西線直通の電車です!!つまり、ここから尼崎まで乗り換えなしで行けるってことですかね・・・。大阪へは長いこと行ってないので、関西圏のJRがすっかりと変わってしまっているのに気づかず。

 真新しい電車!?と思ったら、207系。2005(平成17)年の事故も同系列になりますが、イメージを払拭するため、車内もリニューアルされています。

海芝浦で観光終了、これから予定通り品川

2019-06-20 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 海芝浦で観光終了、これから予定通り品川へ向かいます。本当は尻手から浜川崎までの南武線はその時点で未乗区間だったんですが、その1ヶ月後乗車済。

 かえりの切符を用意しますが、無人駅なので、スタンパー無し。新元号発表前の平成31年2月、名古屋駅で買いましたが、この切符にレイワが隠されています!!発行箇所がMR18。

 この状態で18番窓口に誘導されるとは思いもしなかった。
 国道からの続きは・・・

 昭和から乗って国道で途中下車して、国道→海芝浦の往復乗車券なので、国道から有効。
 鶴見線内は鶴見を除いて無人駅なので、鶴見駅で中間改札。

 発駅に代わって鶴見駅でスタンパー捺印。

 反対方向に乗って、横浜、新横浜から新幹線に乗ると発駅が「昭和」ではなく「【浜】横浜市内」になってしまうので、わざと東京へ向かいます。
 品川駅で駅弁を購入し、今度は

 大府駅の熱転写MV機で購入した新幹線特急券。東海の地紋に西日本で発行された「西C」(4-タ)印字。山陽新幹線に乗るときは「海C」(3-タ)。いつもあべこべな買い方。

 あの・・・品川駅員さんよ~最初に「入鋏済」のスタンパーが入っていれば、再び捺印する必要はないんですよ。二重入鋏になってしまう。
 旅客営業規則第230条 
 普通乗車券を使用する旅客は、旅行を開始する際に、当該乗車券を係員に呈示して入鋏等を受け、途中下車をする際に、これに途中下車印の押なつを受け、また、乗継をする際に、これを係員に呈示して改札を受けるものとする。
 最後の部分の「改札を受けるものとする。」となっていて、入鋏を受けるものとするとは書いていない。


 のぞみ31号 12時17分発 博多行き。なんと、私の故郷まで連れてくれる新幹線ですが、今回は京都まで!!

 まもなく入線。JRのロゴがオレンジ(海)?青(西)?と気になるところ。

 故郷からやってきたJR西日本が東京まで迎えに来てくれました!!品川からずーっとJR西日本の旅です!

 品川駅弁でランチ。

 あっという間に平らげ、少しお腹が減ったな・・・と

 車内販売のワゴンから2食目を購入っ!

 なんで京都なんですかっ!?と思われたかも知れませんが、実は時刻表にとても詳しい友人がプランニング。私が片町線や、JR東西線、おおさか東線、山陽本線の和田岬線が未乗区間だったことを着眼し、計画を立ててくれました。
 最初は乗車する経路のとおりにマジメに品川・新幹線・京都・奈良線・片町線・おおさか東・新大阪・新幹線と考えていましたが、大阪近郊区間の大回り乗車制度を利用すると友人からの提案があったので、「品川・新幹線・岡山」にして、京都から別途区間購入。

海芝浦~!!(東芝社員専用の駅)

2019-06-06 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 浅野を出た電車は、新芝浦停車。

 芝浦といえば・・・東芝の前身、明治時代に「芝浦製作所」創設。昭和14(1939)年、東京電気株式会社と合併して東京芝浦電気株式会社発足。1984(昭和59)年に「株式会社 東芝」が正式名称となりました。な~にもない山口県の実家から歩いて数分に「東芝ストア」なので、我が家の家電具はほとんど、傘マークの「東芝」。昭和時代の電子レンジはめらぼうに高すぎる。200萬ウォン(≒20万円)、聖徳太子の1万円札を20枚。瞬時に食べ物が作りたてのように暖まる!!子供のころだった私は東芝の電子レンジが神様のように見えては仕方がなかった、という思い出が・・・。
 昭和、平成、令和・・・になった現在、電子レンジといってもオーブンが付くなど多機能で数万円程度。昭和みたいに聖徳太子の万札を多量というわけではない。

 隣の「海芝浦」は東芝の私有地であり、改札からは出られないんですけど、こちらは改札を出られる。しかし、目の前に東芝工場。

 電車はまもなく終点、海芝浦。

 海芝浦駅ホームです!!

 撮影はここまで。
 自動改札機なんですか!と思ったら、東芝社員専用の出入口。社員証のICカードをかざさないと出られない仕組み。

 この駅名のとおり、目の前が海。

 もともとは山手線を走っていた205系なのに、鶴見線という地味なローカル線に左遷させられやがったな!!と文句言いたげな表情ですが・・・。

 都心をくるくる回るよりも、ここのほうが潮風が当たって気持ちよさそうではないですか、205系さんよ~!!

 ホームの向かい側は、海芝浦を訪ねてきた乗客が退屈しないように公園。

 もともと何もないところでしたが、東芝さんが公園を設けて下さいました。


 海芝浦観光 END!!


今度は海芝浦(浅野で乗り換え)

2019-05-28 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 国道駅の最新型自動券売機。

 「最新型、というのはオレンジカードは使えないかもね・・・」
 「いや、よーく見たら・・・」

 あ、ありましたよ!!昭和の遺産、オレンジカード、平成初期の遺産、イオカードまで使えるんです!!
 イオカードのロゴマーク懐かしいですねぇ・・・・。オレンジカードと同じく磁気プリペイドカードなので、混同しないように当初のころは券面全面このロゴマーク。
 1991(平成3)年3月1日、東京山手線内で自動改札機初デビュー。券面は3000円と5000円の2種類。
 その頃はなーーーーにもない山口県の漁村暮らし。東京の洗練されたイオカードを持ってみたい、とエリア外だというのに、ちゃっかり2種類をゲット。
 きっとオレンジカードと同じ仕様だから、JR西日本の券売機でも切符が買える!とわずかな期待をかけながら、試しに挿入。金額が表示されず、ピッ!と弾かれたときは、がっくり。
 イオカードデビューの10年後の2001(平成13)年の11月、現在のICカードとなるスイカデビュー。スイカは1枚さえ持っていれば、何度もチャージができる。オレンジカードやイオカードみたいに使い捨てにすることはなく、環境にもよい。2021(令和3)年で20年目になりますが、ずーっと将来も使えそうです。

 防犯のためなのか、高額紙幣は受け付けず千円札のみ。

 無人駅、しかも簡易スイカ設置なので、入鋏のチケッター無しで電車に乗ります。

 浅野駅で海芝浦支線に乗り換えるため、下車。

 1・2番線は鶴見線本線、3・4番線は海芝浦支線。本線から海芝浦支線に乗り換えるのに構内踏切を渡って、乗り換え時間がたっぷり余っていて、退屈な状態だったら駅の外に出られます。

 ここは踏切からみた海芝浦支線のホーム。

 浅野駅も新型の券売機でした。オレカ、イオカ、ICすべて対応可。

 海芝浦から鶴見方面のホーム。

 昔の人は背が低かったのか、屋根も低め。

 古いですな・・・

 1952(昭和27)年建立でした!!1926(大正15)年開業なので、26年目にして建て替え。その後、67年もずーっと現役。

 海芝浦行きの電車がやってきました!!

鶴見までわずか900m!昭和の初めころの雰囲気が漂う国道駅

2019-05-18 00:00:00 | 2019_春_改元の旅


 横浜市鶴見区。横浜市の最東端に位置し、川崎市に隣接。西側は横浜駅なので、東京と変わらないマンモス都市であることは変わりないですが・・・鶴見駅からたった900メートルの駅にこんな風景に出くわすとは思いもしませんでした。

 この風景からにすると大都市のど真ん中ですよね・・・

 しかし、ホームから下は異様な空間。1930(昭和5)年に開業された当時のまま、取り残されています。

 開業時はきっと、駅員さんが立って切符を切ったり回収していたに違いない場所に今は簡易スイカ設置。

 うわわわー!令和直前の平成31(2019)年3月になっても、大正から昭和にかけての雰囲気がそのままですよ!!

 国道15号線に面しているから「国道駅」と命名。

 昭和の懐かしい香りがプンプン漂う居酒屋。夜になるとオープンか!?

 し、し、し、しかし・・これですよ。全面喫煙可。煙だらけの空間に好んで行く人間はいないに決まってんでしょ!?この表示があると、入るのに躊躇してしまいそう。

 この奥は・・・・ホーム真下だというのに、住宅を兼ねているようです。

 ポストの下に何か書かれていますね・・・

 駅舎を住宅用に提供許可票っぽいですが・・・・
 
  昭和82年の表示が・・・・!!!昭和62年は国鉄が民営化された年、1987年と覚えているので、昭和82年だとしたら、20年加算し、2007年。すなわち、平成19年3月31日までなんですが、あれから12年。平成31年(令和元年)になっても、住み続けていらっしゃいます。
 免許証も、平成31年4月30日にゴールド免許に更新された方は、「2024(平成36)年〇月〇日まで有効」。平成が36年も続く、超レアな免許証になります。私も今年更新年なんですが、「2024(令和6)年〇月〇日まで有効」の表示になるでしょう。

 鶴見まで900m。しかもここでも乗降できる、駅前1等地の住宅。

 どんな方がお住まいなんでしょうかねぇ・・・。

 釣りショップのようだけど、閉まっていました。

 反対側の出口。超高層マンションが見えるのに、駅は無人なんてありえない!

 表面は国道15号線に面しており、かなり賑やかだけど、裏は御覧のとおり。


 昭和への逆戻りを楽しめた一時。

昭和の懐かしいもの見っけ!

2019-05-10 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 昭和駅。開業は、1931(昭和6)年3月20日。昭和電工の企業がこの近くにあることから「昭和」と名付けられた。
 昭和天皇が25歳で即位したため、62年間も在位。(昭和元年や64年は1週間しかなかったため、実質的に62年)昭和の初めに生まれた方は御年93歳。昭和の最後、64年生まれは30歳。平成元年に生まれた方も30になりますが、今年の1月から4月の終わりに生まれた赤ちゃんも、「平成」。まだ0歳なのに「平成」と「令和」2つの元号を持つことになります。
 学年も、令和元年度は平成31年4月2日から令和2年4月1日生まれを対象。平成31年(4月の1ヶ月間のみ)、令和元年、令和2年の3つが混ざっても、1つのクラスになる。そのような現象は、昭和63年度にも見られた。昭和63年、64年(1週間のみ)、平成元年(1月から3月)の3つ。

 昭和駅は無人駅なので、スタンパーも捺印無し。【浜】横浜市内であっても、昭和からの単駅指定で発券されているので、時間調整のため途中の鶴見小野駅で途中下車可能。
 名古屋駅MR18発行の発行表示は、次の元号はR(れ)1(い)8(わ)ですよ、と未来から隠されたメッセージ。本当に不思議。
 対応して下さった駅員さんも、超面倒くさい乗車券の発行でも笑顔で引き受け、発行後も丁寧にリクエストされた経路通りなのか、何度も照合。
 JR東海だというのに、稚内から枕崎まで全国の路線を熟知しているのか、何も見ないでマルスの取扱いは超スピーディー。私みたいな超オタクで変な経由でも扱いに慣れている感じでよかった。もしかしたら、対応してくれた駅員さんも鉄道ファンなのかねぇ・・??

 時間調整のため、鶴見小野駅で途中下車します。昭和 → 平成 に「鶴見小野」の下車小印を押してもらいたいですが、ここは無人駅。

 鶴見方面のホームです。昭和っぽく、天井が低い。戦前の日本人の平均身長が現代よりも低かったため、このような構造になっているかも知れない。

 無人駅でも自動券売機設置。

 横浜まで170円なんですかっ!?大都市の駅からわずかな距離に無人駅なんてありえない!!

 鶴見方面の駅舎はこの表示。

 踏切を渡って反対側へ。

 浜川崎方面では、懐かしい昭和のもの見っけ!!

 スチールの改札口。昭和時代の東京駅、新宿駅、渋谷駅もこのタイプの改札口。ひっきりなくお客さんからのきっぷを受け取ってはパチンと切っては返す。定期券も両方の駅名と、日付を瞬時に確認して通す。

 今の自動改札機だったら、人間の目では見落としていた切符や乗車券類も「入場記録がありません」とバタンと閉まって通せんぼ。

 ニックネームが「自動改札君」と一緒に仕事していた頃が懐かしい。非常に細かくって、少しミスっている箇所でもバタンと閉まる。稟議書をオンラインで提出すると、数分後自動改札機みたいにピッと吸い込まれパンチを開ける。なんと早いこと!!コンピュータに匹敵するほどの電子頭脳なお方なので、「紙」で出力することや、「付箋紙」は使わなかった。自動改札君の方針に従い、資源の無駄となる「用紙」や「付箋紙」は極力避けていましたが・・・4月に入ってきた、若い子は付箋紙が大好き。伝言内容をパソコンではなく、名刺サイズの付箋紙をデスクに貼ってくれる。イヤでも目に入るし、依頼内容を優先に解決しようと思えるようになる。解決できたら、用済みとしてはがして捨てる。もちろん、パソコンでも伝言を表示させることはできるが、面倒くさい内容や引き受けたくない依頼だと「×」にクリックして、無かったことにしたり、握りつぶすのを防ぐ作戦!?
 (書くのが面倒くせぇ~!!)の仲間が多いさなか、まめに丁寧に書いてくれるのは4月に入ってきた若い子です。

 あの・・・ここは切符を入れる場所じゃないんですよ。

 鶴見方面の看板は少し古いけれど、浜川崎方面は現代風。

 中国語、ハングル表記付きの駅名標は最新版。

 今度は、国道駅へ途中下車。

 ここで、どんな風景が見られるのか。続きはまた今度。

次は昭和駅を探検

2019-05-03 16:47:58 | 2019_春_改元の旅

 扇町駅に到着した電車。折り返して、鶴見行きになりますので、1つ隣の昭和駅に向かいます。

 平成最後の年に「昭和から平成ゆき」のきっぷで鉄道旅を楽しまれた方がたくさんいらっしゃったとか・・・。
 大正15(1926)年12月25日、大正天皇が47歳で崩御。その翌日、昭和天皇が25歳の若さで即位。当時は崩御と即位は当日だったので、当日中に「昭和」に改元。
 当時の毎日新聞が新しい元号は「光文」と報じられ、当時の宮内省(現:宮内庁)が内部情報を漏らしたことに立腹し、次の代替案の「昭和」が決定されたという伝説もあるそうです。
 昭和の由来は「(百姓(ひゃくせい)明にして、萬邦(ばんぽう)を協す」。
 2019(平成31)年4月1日午前11時42分頃、菅官房長官が「新しい元号は令和であります」と額縁を持って発表する瞬間、地上波デジタルの映像でくっきり最北端から最南端まで全国隅々までタイムラグもなくリアルタイム。1億国民が当時に知った時でもあります。きっと、Aの「安(あん)」やKの「幸(こう)」が付くかも!と期待していたのに、まさか「R」行の元号とは!と驚くとともに、昭和の「和」が再び復活!?と思ったのは確か。発表前の朝、友人から新しい元号は「和」が付く、とメールが来たときは、まさか「昭和」の「和」が使われているので、それはないかも?と思ったら、「令和」ぴったりではないですけど、「和」が付く予想は的中していました。何で未来の文字が見えるんですかねぇ・・?
 大正から昭和に改元したときは、青ヶ島村にそのことを行き届いておらず、1年近く村役場の公文書では「大正壱拾六年」が記されていた。1927(昭和2)年の暮れ、青ヶ島周辺で遭難した土佐の乗組員たちを助けた際に昭和になっていたことを知ったと島史に記されています。
 昭和天皇が若くにして即位されたため、在位期間は62年間。(最初と最後は1週間しかなかったので、実質62年)

 この切符の中に、2月17日購入時ではまだ未発表の「令和」が隠されています。きっぷオタクの方が見れば、すぐわかると思いますが、名古屋駅MR18発行の部分。POSみたい3ケタの「018」だったら、奇跡かも知れません。空いている窓口へ誘導されたところはたまたま18番なので、次の新しい元号を意識していたわけではないです。
 令和の年に018(れいわ)を足すと、西暦の数字が出ます。例えば、令和3年に18を足すと、21なので、2021年と瞬時に計算ができます。

 わずか1駅ではありますが、昭和駅下車っ!!


 名古屋駅MR18の「R」を「れ」に読み替えて、1「い」8「わ」のきっぷで昭和から平成ゆきを行使!!

 1989(昭和64)年1月7日。昭和最後の日、記念に自動券売機から切符を買い求めに行列ができたと聞きましたが、今は券売機が撤去され、その代わり簡易suica改札。

 元号を意識して「昭和駅」を設置したわけではなく、駅前に昭和電工の工場の最寄り駅であることから、この名前が付けられた。

 私がここの駅員になりきって、切符確認っ!!鶴見から扇町間の回数券。パンチ穴に改札を通過した印付き(5.-7)。これは正しい。ヨシ!5.-7はたぶん、15日の7時に入場したってことかも。

 ん!?これは!?東神奈川から220円区間。

 すかさず、運賃表を確認。東神奈川から220円で合っている。これはヨシ!!神奈川県民はマジメでよろしい。

 ここから熊本県の平成へ向かいまーす!

 駅舎が新しく建て替えたようです。旧駅舎のほうが昭和の香りがプンプン漂っていて、いい味が出ていたのに残念。

 翌日からダイヤ改正なので、15日までの仮の時刻表が貼られていました。


 ここからまっしぐらに平成駅に行くのにその日のうちに着いてしまいますが、途中で未乗区間を経由してゆっくりと時間をかけて・・・。

今度は扇町へ!

2019-04-27 17:41:18 | 2019_春_改元の旅
 平成31(2019)年4月26日。業後、受付の日付印を更埴。ついに、「31」の「3」を取り外し。メモ用紙に押印。1.-5.-7。これでついに平成も、もう終わり・・・。
 硬券のダッチングマシン風の回転日付印も、-1.-5.-7。こういう日付印を見るのは、実に30年ぶり。平成改元時も、「64」からいきなり「1」。昭和天皇が崩御され、静かに平成の幕開け。今回はあらかじめ5月1日から新元号になると公表されており、システムエンジニアさんは架空の漢字2文字を次の元号とし、正常に作動できるか検証を繰り返していた。30年前の改元時は、郵便貯金や銀行などで翌日から施行される「01」や「平成元年」と改修させるのにかなり大変だったのでは。
 今回は天皇陛下が御存命中に譲位なので、鉄道会社も「ありがとう平成、ようこそ令和」の記念切符の売り出しや、車内で令和を迎えるイベントなど、祝賀ムードが広まりつつです。

 大川駅は無人駅なので、入鋏済のチケッター無し。自動改札機もないのでパンチ穴無し。
 さらば、大川駅。行くときはサラリーマンで混んでいましたが、戻るときはガラガラ・・・。

 大川を出ると、運河を横切って安善駅。

 「あんぜん」を「安全」とも読めるので、縁起の良さそうな駅名。

 ここで扇町行きに乗り換えです。

 横浜市内の駅なのに、どこかローカル線っぽい雰囲気。

 扇町行き、やってきました!

 途中の駅は、武蔵白石、浜川崎、昭和。あっという間に終点。

 四方を運河に囲まれた地域に化学工場も多く建っているので、製品を輸送するためJR貨物の駅として兼用。

 貨物のコーポレートカラーはコンテナブルー(紺色)。東日本のグリーン、2色を同居。

 駅猫。

 無人駅なのに、定期的に餌をやりに来る方がいらっしゃるそうです。




 この駅の近くに昭和のレトロっぽさが残るビジネス旅館あり。さかゐビジネス旅館。1泊2食付きで5000円~。1階に食堂「さかゐ」営業中。工業地帯のさなか、ビジネスマンのための宿泊施設、食堂。

【番外編】昭和から平成ゆきの旅行中に未乗区間発見!

2019-04-22 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 2019(平成31)年3月15日。鶴見線全線を片付いてから昭和から平成ゆきのきっぷで旅行中のとき。扇町行きに乗っていると、浜川崎駅停車。すると、友人が「浜川崎駅はとても珍しい構造になっていて、ホームが真っ二つに分かれている。いったん改札の外を出て、再び改札に入る。ちょうど大回り乗車中(※)なのに改札の外に出られるなんてレアケースなこと」と話してくれたとき、ん!?向こうにある路線って何線?

 尻手から浜川崎間の南武線支線だ!!南武線は全線乗車済かと思ったら、支線のほうはまだ。ここで予定変更してしまうと、予定が狂ってしまうので、今度乗りに行こうと思いながら、やっと本日実行。
 (※)大回り乗車=JRの大都市近郊区間のみを利用する場合の「特例」として、実際にご乗車になる経路にかかわらず、最短距離のきっぷで近郊区間の範囲内なら途中下車はしない限り、いくつかのルートを選択しても良い。

 対岸の川崎に行くのに、JRだとかなり遠回りになる。アクアライン高速バスで行けば、あっという間。

 指定席券売機(MV50型)は印字が薄くて好きではない。みどりの窓口では混んでいて列をなしていたので、仕方がなく、券売機で購入。発行駅表示は「川崎駅VF4」。

 多くの人が行き交っていて、わずか160円区間の無人駅、浜川崎に出かけるような雰囲気ではない。

 まず、1つ隣の「尻手」に行くには、立川行きの南武線(本線)に乗車。

 20年くらい前はカナリアイエローのボロ国鉄103系だったのに、現在はオールE233系に更新!!2007(平成19)年、中央線に201系置き換えとして、E233系が初デビュー。キラキラ輝く真新しい中央線E233系だ!と初乗車したのはまるで昨日のように思い出しますが。もう12年目。早いですな・・・。中央線の次は、京浜東北線、埼京線、京葉線、横浜線、南武線・・・次々と量産。

 南武線のモチーフは音符ですね。

 南武線のラインカラーはブラウンにカナリアイエローの2色なので、まるで木の葉が色づき、美しく過ごしやすい季節のオータム(秋)カラー。
 横浜線はグリーンにライトグリーンの2色、初夏の若葉カラー。

 2分経たぬうちに尻手駅。ここで乗り換えです。

 川崎から立川間の南武線はかなり本数が多く、数分ごと電車が来る。しかし、南武線支線は極端に少なくなるのではと思ったら、そこそこありますね。

 終点は東芝事業所の海芝浦の休日ダイヤは極端に少ないけれど、ここは沿線住民の生活路線。

 南武線支線は車両止めのある3番線から発着。

 ワンマンで2両編成の南武線支線カラーの205系が入線。

 ここで折り返して、浜川崎へ。

 座席もにぎやかな音符。続きはまだ今度。

鶴見線旅の始まり~

2019-04-18 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 3月15日(金)の朝8時台の鶴見駅。京浜東北線のホームと鶴見線ホームの間に中間改札があります。鶴見線は全駅無人駅なので、ここで自動改札機が乗車券チェック。IC交通系のICカードをタッチしても、ここで打ち切ることはない。大勢の通勤客や学生たちが足早に次々と改札を通過。鶴見線の鶴見駅に電車時刻表が掛けられておらず、大川行きは、2つあるホームのうちどれが発着するかわからない状態。ここにいる人たちは普段から鶴見線を利用していて、確認しなくても慣れている様子。
 
 大川行きの電車に乗車。車内ではもう大混雑。各駅に停まる駅の様子を撮る暇もなく・・・


 運転士目線の大川駅。このあたりは工業地帯なので、サラリーマンたちが大勢下車。車掌さんも乗務していましたが、乗車券回収無し。ほとんど簡易スイカ改札機にIC定期券をタッチ、タッチ、タッチ・・・。IC定期券は 入場→出場/入場→出場 のように入と出の処理ががワンセットとなっていて、出場タッチを忘れても当日中に出場用の機械にタッチして、再び入場用にタッチすればOK。ただし、翌日になった場合は無効になってしまうので、乗車駅証明書を取り、有人駅でロックを解除。

 サラリーマンたちの行列・・・。

 1930(昭和5)年開業だけど、駅舎は1950(昭和25)年建立。単純に計算すると70年近くになる。

 大川駅の住所は、川崎市川崎区大川町2-2。ここの対岸は、首都高速湾岸線。何度もクルマで往来していたんですが、横浜に向かう途中の右側にそんな駅があったとは気づかず・・・。

 通勤客で混雑する風景はほんの一瞬。

 どこか秘境の終着駅っぽい雰囲気が漂う。

 東京駅まで たったの470円区間っ!!新宿も550円区間。

 山手線の駅から数百円でこんな風景の駅に出会えるなんて信じられない。

 がらんとした駅。この写真だけで東京駅から乗っても、500円でお釣りが来るとは誰も信じてもらえなさそうな風景。昔は有人駅だったらしく、木製の改札ラッチもあったようだけど、今は撤去。自動券売機もあったようだけど、今は無くなっています。その代わり、乗車駅証明書を取り、鶴見駅の中間有人改札通路で清算。
 鶴見線内の無人駅同士で乗り降りする場合は、細かい小銭を用意して、下車駅の切符入れに投函する仕組みだけど、千円札しか持ち合わせがないとか、そのようなケースはどうするんですかっ!?サツマノカミし放題になる。ドア扱いと、運賃取りこぼしを防ぐ車掌さん2人が乗務し、検札や清算をまめにやらないと!!(鶴見線よりも、距離が長い青梅線に実施して欲しい。例えば、最低区間のきっぷで無人駅が続く奥多摩までキセルされてしまうとJR東日本の損害が大きい。商売気質といわれる大阪に本社を置くJR西日本は少しでも取りこぼしは許さない。無人駅から車掌さんが乗り込み、打ち抜き的に特別改札実施~!!私は東と西どちらかと言えば、西。出前屋さんに電話をして、集金は各自にお任せ~の状態だと「〇〇円足りないです」って電話した人に請求が来る。最初の頃は仕方がないな~と自分のポケットマネーで出していたが、最近は西日本のように、その場で決済しお釣りを渡したり、各店舗ごとの代金袋に入れるなどにして厳しく管理。宵越しの金は持たぬの江戸っ子(東日本)じゃないからね・・・。

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