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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

今度は熊本へ

2020-01-20 00:00:57 | 2019_春_改元の旅

 あき亀山から広島へ戻り、今度は新幹線で一路、熊本へ。

 昨日の新大阪から岡山までも同じ「さくら549号」。岡山から未乗区間を片付くため、吉備線、呉線、可部線。翌日も広島から昨日と同じ「さくら549号」なので、JR九州所属の車両。

 新大阪から岡山まで山陽新幹線なので、JR東海のEX予約で指定席購入。自由席の料金で指定席に乗れる割引制度を利用。
 広島から熊本までは山陽新幹線から九州新幹線をまたがるため、EX予約では買えずJR西日本のe5489またはJR九州列車予約サイトで予約。JR九州列車予約サイトで予約すると山陽新幹線は定価のままだけど、九州新幹線のみ少し割り引かれるサービス付き。
 2022(令和4)年の春からEX予約サービスを鹿児島中央まで延伸する予定です。価格などは具体的な内容は決まり次第、お知らせするとのことです。東京から鹿児島中央(新大阪または博多のりかえ)まで1枚にまとめた内容で出てくるかも知れません。

 発車案内。のぞみはイエロー、こだまはブルー、さくらはピンク。見た目、とってもわかりやすい。

 少し待ち時間があるので、少し腹ごしらえ。

 天ぷらうどんをオーダー。西日本の「つゆ」なので、あっさりとした味。子どもの頃からずーっと慣れ親しんだ味なので、懐かしい。日清のどん兵衛も、パッケージに「E」または「W」を刻印しており、それぞれ味が異なる。発売地域の境目は天下の分け目、関ヶ原の戦いに関係ありそう。

 新幹線が入線!!

 「さくら」は列車ごと停車パターンを変えていますが、たまたま新下関停車っ!!そのまま素通りするなんて何もない実家の近くに住んでいる親戚の方々には申し訳ないな・・・。

 在来線の歴史はとても古く、1901(明治34)年に「一ノ宮」駅として開業。1916(大正5)年に駅名重複解消を図るため、「長門」を冠した「長門一ノ宮」に改名。1975(昭和50)年に山陽新幹線が開業するとともに今の「新下関」に改名。新幹線と在来線のホームが離れているため、国鉄で初めて「動く歩道」を設置。
 私が子どもの頃、夜でも明るい街やいろーーーんなモノであふれている賑やかなところが大好き、と関門トンネルを潜ってはよく小倉に出かけては、都会の街並みにワクワク。(青ヶ島を題材にした映画のアイランドタイムズに出ていたと同じように都会に憧れていたが、今は田舎暮らしに逆戻りしている)小倉駅に停まって、博多。ここで西日本から九州にバトンタッチ。車内を巡回する車掌さんも制帽に青ラインから「つばめ」のエンブレムに変わる。

 昭和から平成ゆきの乗車券もラストスパート。熊本駅で下車。

 8000番台はJR九州所有の車両。ちなみに7000番台はJR西日本だけど、中身のインテリアはどちらも全く同じです。

終着駅は新興住宅地

2020-01-13 00:00:01 | 2019_春_改元の旅

 終着駅らしく、鉄路はここまで。全国の終着駅はあと1つだけ、宮城県の東北本線利府支線の利府駅さえ制覇できば・・・。

 住民の請願により、いったん廃線したものをここまで引き延ばしたのに周辺は何もない。地図を見ると、街を形成している市街地はここからおよそ500メートル先。市街地に突っ込んで線路を敷くのは厳しいため、町外れのところに線路を敷いたらしいです。

 無人駅のため、通せんぼバーが付かない、IC交通系カード対応の簡易改札機。

 2017(平成29)年3月4日に開業したばかりなので、新しい雰囲気が漂います。

 広島まで410円。(10%導入後の運賃は420円)

 街を形成しているところは駅の向こう側。

 亀山なので、亀のモニュメントが置かれています。

 簡易券売機はオレンジカード非対応、イコカ対応。

 可部線全線乗車を果たせたので、あとは広島へ戻るだけ。

 わざわざ簡易改札機にパンチ穴を開けてもらわなくても乗れるんですけど、本当にあき亀山から乗車したという印を付けるため、改札を通した方が良い。

 有人駅の自動改札機は裏面で入れても瞬時に表面にひっくり返してこの駅からで正しいか、有効期限内であるか、その2点が正しければ、入場時間をインプットしてパンチ穴を開けて処理時間1秒の早業でピッと出てくる。乗車券だけではなく特急券やグリーン券など2枚重ねて投入しても、問題なく処理してくれる。しかし、この簡易改札機はコストを削減しているのか、1枚のみで裏面で入れても表面にひっくり返す機能はついていないため、表面で入れてくださいと表示。

 パンチ穴がついた状態で出てきました。

 広島まで18.6キロだけど、駅の数が多く、こまめに停車するので40分もかかります。途中の停車駅を可部・緑井・大町・横川とする快速があれば便利ですけど、可部線は全線単線でしかも本数多い。どこで追い抜くか、ダイヤグラムの設定が難しく、全列車各駅停車。

あき亀山駅

2020-01-03 00:00:57 | 2019_春_改元の旅

 下祇園を過ぎたあたりから車内はガラガラになり・・・

 古市橋。

 大町駅。広島高速交通アストラムライン線への乗り換えです。大町って、立山黒部アルペンルートの長野県側玄関口の「大町市」があって、大糸線。長野県は「信濃」を冠して「信濃大町」なので、区別が付く。

 緑井駅。時刻表を見ていると、あき亀山、緑井、あき亀山、緑井・・・というパターンがほとんどなので、ここで折り返す本数も多い。

 七軒茶屋駅。東京の東急東横線にも三軒茶屋という駅があります。岡山から高松に向かう瀬戸大橋線にも「茶屋町」。岡山から高松まで乗り換え無しで行ける電車を一般的に「瀬戸大橋線」と案内されますが、厳密に言うと茶屋町までは宇野線、茶屋町から宇多津までは本四備讃線。岡山から(讃)高松のマルスで発券された乗車券では律儀に「宇野線・本四備讃・予讃」と印字。

 上八木駅。

 中島駅。
 中島の次は、かつての終着駅、可部駅。可部線はもともと三段峡まで開業しているのに、2003(平成15)年をもって可部から三段峡間は廃線。いったん、可部から先の廃線した路線に復活させるのは全国でレアケース。

 河戸帆待川(こうどほまちがわ)。地元でなければ一発で覚えにくい駅名だな・・・。廃駅の「河戸(こうど)駅」は400メートルほど離れた位置にあるので、廃線された線路とは全く別の場所で復活。

 いちおう、ここでも【広】広島市内。広島市の区は8つあり、中心地を成しているのは「中区」。原子爆弾のグラウンド・ゼロはやはり中区。8つの「区」の中で1番面積がひろーくて人口も少ないのは安佐北区なので、このようなのどかな風景が見られます。

 ついに終点、あき亀山駅。廃線の旧「安芸亀山」駅から3.4キロ離れたところです。読み方は全く同じなんですけど、線路は旧線を復活させたわけではなく、別の場所へ。

 運転士さんはここでしばし休憩。

 終着駅らしく、車両止め。全国で唯一、終着駅のなかでまだ行っていないところは宮城県の東北本線の利府支線の利府駅。
 2018(平成30)年の夏,長崎駅に行ったときは地べたの終着駅だったんですが、現在は九州新幹線に対応できるように高架駅に向けて新築工事中。長崎県庁も長崎駅前に移転し、ホテルなどの複合施設も建築工事中。

広島の未乗区間を片付けに

2019-12-26 00:00:23 | 2019_春_改元の旅
 現在の広島は新型車両で統一されているので、漢字変換の学習機能もようやく「広島」になりました。47都道府県の中で古くてボロ國鐵の割合を占めているのは、おそらく山口県内。山口県内最東端の南岩国から広島方面は新型の227系で統一されている「広島シティネットワーク」。南岩国を境に下関方面は、新しい車両が来るのは、徳山まで数本か広島からの延長として来ている。しかし、徳山からはもう100%ボロ國鐵車両。新型227系に比べると乗り心地が悪くって、振動も凄まじいから、山口県民もボロ電車をどうにかして欲しいと思っているに違いない。民営化30年過ぎても、昭和時代に製造された車両がバリバリ現役なんて骨董品そのもの。

 広島のホテルはよかったです。この付近は昭和20(1945)年8月に遡ると爆心地に近く、がれきの山だったに違いない。その後、広島は復興し続け、中国地方最大の都市となりました。

 比較的新しいホテル。

 テレビはホテル仕様のリモコンだけど、ちゃんと字幕付き。およそ10年前はホテル仕様のリモコンだと「字幕」が付かず、何度も苦情を言いつけた甲斐もあったかも知れません。

 朝ご飯。

 友人は2度も可部線、しかも「あき亀山」延伸開業直後乗りに行っているので、完乗を目指す私とは同行せず、市内で用事があるとのこと。あき亀山から戻ってくる時間を調べ、その時間帯に待ち合わせ。
 ホテル目の前にある、「ひろでん」の停留所へ。

 路面電車で広島へ。1942(昭和17)年に製造された651,652形は1945年に原子爆弾で被爆されつつも、今も現役で活躍中だけど、巡り会えることはできず・・・。

 2019(平成31)年3月撮影ですが、新しく駅ビルに建て替える計画が出ているようです。

 この切符であき亀山まで往復しまーす!

 1本目を見送って、次の電車。

 可部線も新しい227系に統一。

 乗り心地は静かでよい。

 横川駅。ほとんど広島が始発だけど、横川で可部線に直通。

 ラインカラーは青。
 参考画像として、ここからは友人の画像をお借りしました。

 可部駅止まりだった頃の画像。(2015(平成27)年)

 延伸開業直後の様子(2017(平成29)年)。

 わずか2年前だというのに、現在は新しい227系で統一されているので、このような國鐵様式の風景は2度と見られず。

今夜の宿は・・・平和公園近く

2019-12-08 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 翌朝もJR広島駅からスタートなので、駅前のホテルにすればよかったんですが・・・希望するところを見つけても禁煙、予算など条件に合うところ無し。条件に合うところは広島市の中心部、平和記念公園の近く。すなわち、74年前は爆心地に近いところです。爆心地における風速は440メートル以上と推定されているので、この周辺にあった住宅はすべて無くなり、焼け野原。道だけが残されている状態でした。原爆ドームは爆心地に近いのにドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残されているので、負の遺産として世界遺産に登録。

 広島電鉄の路面電車に乗ります。ひろでんの歴史はとても古く、大正時代に創業。1945(昭和20)年8月6日の午前8時15分に原子爆弾が落とされた直後から全線運休。一部復旧したのは爆弾が落とされた3日後の、8月9日から。「これくらいのことでへこたれてはならん。みんな会社再建のためにがんばろう」(多田恒二郎・広電社長(当時))の指示のもとで、爆心地付近の変電所は全滅したが、宮島付近の廿日市の変電所からの送電線を敷き、爆心地から西へ2キロの天満町まで線路沿いにまだ死体が横たわっている状態で復旧。

 原爆が落とされてわずか3日後電車が動いたといった話は、何年前かの平和記念特番で見たような記憶があります。
 
 ホテルへチェックイン。友人と翌朝のスケジュールについて少しだけ打ち合わせ。私は未乗区間の可部線に乗りに行くが、すでにあき亀山まで乗ったことのある友人は別行動。広島駅の在来線改札前で〇時〇〇分に待ち合わせ、と約束し、解散。

 あ~、今日は1日中電車に乗りっぱなしで疲れた~!!と部屋で引きこもり。テレビをチェックしたら、ちゃんと字幕を出せる。このホテルは名の通っている全国チェーンのものだけど、やはり安心できる。全国どこに行っても同じサービスを受けられる。

 私はホテルの部屋から1歩も出なかったんですが・・・行動派の友人は颯爽と散歩へ。ここからは友人のカメラに入っていたものを拝借。私が実際に出かけて撮ってきたものではありませんが、今の広島に目を見張るような画像データが入っていたので、掲載させていただきます。


 ホテルの近くに流れている、太田川。74年前の夏・・・水を求めて多くの方々が入水し、遺体が多く浮かんでいる光景だったそうです。水を飲むと安心したかように亡くなられた方が多かったと聞いています。

 このような過ちを2度と繰り返さないように、原爆の悲惨を世界にアピールするための資料館は平成31(2019)年3月当時、リニューアル工事中でした。

 日没後でもライトアップしているとは知りませんでしたが、朝まで夜通しで点灯されているとのことです。

 この建物の正式名称は、1915(大正4)年4月5日に竣工、同年8月5日に開館した「広島県産業奨励館」。

 建物が出来てから30年後の1945(昭和20)年8月6日、200メートル先の爆心地から爆弾が落とされたままの姿で保存。

 設計はチェコ人の建築家、ヤン・レッツェル氏。風速440メートルでも耐え抜いています。(千葉県に甚大な被害をもたらした台風15号の最大瞬間風速は60メートルなので、およそ7~8倍)

 昼間だったら、賑わっているのであろうアーケード街。

ひろしま

2019-11-30 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 広島駅の中央改札口。広島駅を利用したのは平成の初め頃、まだ国鉄の匂いがぷんぷん漂わせるような駅舎だったのに、現在はもうすっかり近代化。小倉駅、博多駅、熊本駅、鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)も昔の面影すら無くなり、すっかり変わっている。
 自動改札機が赤いのはJR九州カラーではなく、プロ野球球団の広島東洋カープ色。広島都市圏の真新しい電車の227系もRed Wing(レッド ウィング)という愛称が付けられ、広島らしさ「赤」を強調。

 広島駅舎。何度もリニューアルしているからでしょうか、新しそうに見えても1965(昭和40)年建築の2代目。ちなみに先代は1922(大正11)年建築の鉄筋コンクリート。爆心地から2キロ地点なので、窓枠などは爆風で吹き飛ばされているものの、あまり建物が大きく破壊されるなどの被害は受けていなかった。建物が半世紀以上経過しているのに、建て替えの計画はないのかと調べてみたら、な、な、なんと!来年の2020(令和2)年3月から解体工事に入り、2021(令和3)年の春から着工し、2025(令和7)年にホテルなどの複合施設の入った新しいビル開業予定。
 出所は こちら

 広島駅のエキナカにお好み焼きの店舗がひしめきあうように連なっている。博多駅は博多ラーメン、仙台駅は牛タンといったように、ライバル同士の店舗で集結。どの店にしようかと迷っていたら・・・

 ねぎが好物なので、この店に決まり!!

 かんぱーい!!


 ねぎの量がすごいけれど、美味しくいただけました!!トッピングで卵乗せ。

 鉄板で焼いた、豚の焼き肉。ごちそうさまでした~!!

広島までノンストップのはずなのに運転停車

2019-11-22 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 懐かしいキハ47を観光列車に改造された、快速マリンビュー。呉線は全線電化されていて、ディーゼルの出番はないはずなんだけど、山口県の山陰本線も海岸沿い。他線への貸し出しも可能になるようにディーゼルにしているかも知れない。
 呉を出ると、次は終点広島なので、普通電車より速く着けるかと思いきや・・・・ドア扱い無しの運転停車も多いし、停車時間も長い。
 川原石駅通過。(撮影日は平成31年3月なので、朝ドラは「まんぷく」。今だったら、主役の「川原喜美子」さんを連想)

 ドアは開かない運転停車中。

 次は、かるが浜駅。停まって、しばらく出発するかと思ったら、長いですよね・・・。

 天応駅通過。呉ポートピア駅通過。小屋浦駅通過。やっと快速らしく。今度は水尻駅停車。

 坂駅通過。矢野駅。海田市駅で山陽本線に乗り入れ、ノンストップで広島。

 快速なのに、各駅停車の要所時間とあまり変わらぬ。観光列車だからでしょう。

 指定席の内装はこちら。

 ここでも指定席。

 自由席は、こちら。観光列車の雰囲気が出ていますが、座席はノーマルタイプ。今の時間はもう夕方。旅の続きは明日にするとして、広島で宿泊。

くれ駅

2019-11-14 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 新広駅。「広」駅が本家で「新広」はあとから新しくできた駅でしょう。調べてみたら、開業は2002(平成14)年でした。

 安芸阿賀駅。あきあが。わるあがきを連想・・・。
 次は、呉です。「くれ」を「ください」の命令になるので、「呉市」の手話表現は、片手を差し出して「よこせ」の表現になるのではと思ったら、地元ではこの表現を使わない。指文字の、「く」、「れ」。

 呉駅は自動改札化されており、有人通路でこの切符を差し出し。経由欄が「山陽・広島・新幹線」となっていても、特定区間の運賃計算特例により、100キロ以上の乗車券なら三原から海田市間は山陽本線、呉線どちらでも乗車可能。山陽本線経由の切符で呉線内で途中下車も可能となっています。
 みどりの窓口のマルス端末では、この旅客営業規則第69条が組み込まれており、呉線経由を選択しても強制的に山陽本線経由に修正。正式な乗車券として「呉」の途中下車印を押してもらい、改札の外へ。

 目的地は駅の向かい側にある、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)。近くに港があり、ここ呉市は戦艦「大和」を建造したところなので、その歴史を垣間見ができる博物館。

 呉港のあるところは江田島や倉橋島に囲まれており、波もあまり来ない入り江。その立地条件がよくて戦前は軍港として栄えていたところです。

 1940(昭和15)年。ハガキ2銭。その10年後の1950(昭和25)年のハガキは2円。100倍ものインフレ。1951(昭和26)年から5円に・・・。そして、現在は63円。
 他に興味深い展示物もいろいろありましたが、ここでは割愛させていただきます。

 呉駅に向かいまーす。

 な、な、な、なんと!今度はディーゼルカーですよ!指定席と自由席連結。指定席にしようかな~と思っていたんですが、廣島までわずかな距離なので、自由席でも大丈夫かも!と購入は見送り。

 つづく・・。

廣島縣の、ひろ 駅

2019-11-03 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 ボロ國鐵廣島と入力しすぎたのか、日本語入力システムがヒロシマといえば、旧字体の廣島だなと学習してしまったようです・・・(汗)JR西日本の廣島支社は、ボロ國鐵王国だったというのに、そのイメージを払拭してくれたのは2015(平成27)年登場の新型227系。113系や115系はデビューしてから40年以上。関西圏のアーバンネットワークに相次ぐ新型電車が導入し、古くなった117系を廣島エリアに転勤させるほど、平成の最後になってもまだまだ國鐵。もっと酷いのは山口県。私が物心ついた頃から全く同じでディーセルカーのキハ40や47がバリバリ現役で活躍中。昭和30年代から40年代にかけて製造されたキハ20系(20,23,25,26,30,35,45)急行タイプの28系(28,58)は平成の半ば頃に淘汰されてしまいましたが、40や47は1979(昭和54)年から量産された比較的新しいものだけど、もう40年前後活躍。
 JR九州のキハ66は山陽新幹線が博多まで延伸された年の1975(昭和50)年の筑豊地区の輸送レベルを上げるため、特別に製造されたもの。最も古いのは1974(昭和49)年製造。令和になった現在も、長崎エリアの大村線などで活躍中だけど、令和元年製造の新型車両、YC1系登場により、キハ66の勇退も近いかもしれません。YC1系ってあんまり聞き慣れないものだけど、「やさしくて(Yasasikute)」「ちからもち(Chikaramochi)」という、JR九州独自の造語。「蓄電池搭載型ディーゼルエレクトリック」というシステムを採用したハイブリッド車両なので、環境にも大変よく、省エネタイプなんです。軽油をよく食うキハ66はもうお別れしたい、とJR九州は考えているかも知れませんので、乗りに行くなら今のうち!!


 安登駅。(あと、と聞けば「後」を連想してしまいそうですが・・・)

 安芸川尻駅。

 仁方駅。

 広駅。JR西日本の駅名標は都道府県や市町村名が入らない。ここはどこなのかわかりにくいだけど、もう呉市内に入っています。風早駅は東広島市。安浦駅からは呉市。

 どのような由来で「広」1文字にしたんでしょうか・・・。

 ここで廣島行きにお乗り換えです。

 「がんばろう!廣島」は平成30年7集中豪雨で廣島縣が被災地に・・・。三原から安浦間に土砂崩れなど71カ所が被災。バスによる代行輸送が続いてきたが5ヶ月かけて復旧工事。平成30年12月に全線復旧してから3ヶ月なので、このような表示が付いてると思います。

 廣島行きだけど、呉で観光するため途中下車しまーす。

東京ディズニーランドの逆の駅名

2019-10-25 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 博多ラーメンを連想してしまいそうな、安芸長浜を出ると、次は大乗駅。そのまま読むと、おーのり、だけど、仏教だと「だいじょう」。気合を入れる「大乗(だいの)り気」という意味もある。

 大乗駅は少し高台にありました。


 次は、広島県竹原市の中心駅、竹原駅。古くから瀬戸内の交通の要衝として発展し、現在は「安芸の小京都」と呼ばれています。


 竹原を出ると・・・次は


 吉名駅。

 安芸津駅。ずっと大昔に東京都東村山市の「秋津」というところに住んでいたところの最寄り駅はJR武蔵野線の新秋津駅または西武の秋津駅。JRと西武は少し離れていて、いろんなお店が何軒も連なっているアーケードのない路地だということは覚えている。

 高知県の「くろしお鉄道」も「安芸」(あき)という駅名があり、広島県でもないのになんで高知県に「安芸」なんだ、と思ったことも。

 風早と書いて「かざはや」。「風」の字を見ると被災地の方々は台風を連想してしまいそう・・・。

 次は千葉県の浦安と読み間違えてしまいそうな、安浦駅。

 千葉県の浦安駅は東京メトロ線の駅、新浦安駅はJR京葉線だと区別されていますが、「浦安」というJR駅があります。それは鳥取県の山陰本線。
 「浦 安 → 安 浦
   経由:山陰・伯備・山陽・須波
   10月25日から10月27日まで
                 ¥5,170
   新浦安駅E1発行 (2-タ)」
 こんなふうに、千葉県の新浦安駅で鳥取県の浦安から広島県の安浦までの乗車券を発券するのも面白そう。
 (※)三原で呉線に分岐して最初の駅、須波と印字するはずだと思うけれど、OKI電気のME4端末では山陽・三原・呉線と印字するかも?

呉線は新型の227系

2019-10-14 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 国鉄からJRに民営化された直後は一斉に新しい車両に投資できるわけではなく、国鉄車両で収益を上げ、JR初の新型電車が出たのは平成になってから。本社のある大都市圏のみ運用。平成の20年頃からローカルの支社でも老朽化した車両を置き換えるため、次々と新型車両が相次いで投入されているのに、最後の最後まで國鐵車両が残っているところは國鐵廣島と揶揄されている広島支社。(現在は國鐵山口に移行)
 そんなイメージを脱却するため、2015(平成27)年頃から最新型の227系を廣島都市圏に投入。227系が量産され、可部線、呉線に新型車両の運行が増えるようになり、2019(平成31)年3月時点では、オール227系。量産し続けているわけなので、早く下関まで運用し、「國鐵山口」を脱却せよ!
 SLの蒸気機関車。動力は、石炭を燃やしたボイラで発生させた蒸気をエネルギーに変えてピストンを動かす。機関士さんは鉄道時計とにらめっこしながら、次の駅の到着時間にぴったり合わせるようにスピードをコントロール。国鉄電車の103系から205系の運転席はコンピュータによる制御が付いているとはいえ、自動車で言えばマニュアル。

 今の新しい仕様は速度もコンピュータがコントロールしてくれる、オートマ式。蒸気機関車は機関士さんは距離、スピード、時間を計算しながら操縦しているわけですが、あれから1世紀後。コンピュータ制御に変わり、運転士さんも少しは楽になったかも知れません、

 呉線は海岸沿いを走行。

 海の近くなので、「須波」という駅名。

 瀬戸内海の海を眺めながら・・・


 安芸幸崎駅。最初は、あきこうざき、と読むかと思ったら、「あきさいざき」。

 次は忠海駅。忠海とかいて、「ただのうみ」。 いたって普通のただのうみ、という意味になってしまいますが。

 ここはウサギが目立ちような駅名。ここはウサギの名所、大久野島の最寄り駅。
 大久野島に行けば、たくさんのウサギさんに出会える島として有名。しかし、戦前の大日本帝国時代に遡ると毒ガス製造工場があった島。
 外国に攻撃を仕掛けた、当時の総理大臣、東条英樹(A級戦犯者として、1948年12月23日の0時に死刑執行)。ダイニッポンが戦争を仕掛けていなければ、廣島や長崎に原爆は落とされずに済んだかも知れない。

 次は安芸長浜駅。ナガハマと聞いて、福岡のラーメン!と連想してしまう方は、故郷が福岡の方なんでしょう。もともとは、長浜ラーメンと博多ラーメンは別モノだったですが、最近、地元の比較的若い世代層ではほぼ同義語と捉えています。どちらも同じトンコツスープなので、長浜と博多の違いはわからないくらいです。(懐かしいです、博多らーめん!!)

呉線も全線!!

2019-10-05 00:40:33 | 2019_春_改元の旅

 尾道を出ると、次は終点、糸崎。進行方向の左側にこのような瀬戸内海を眺めながら・・・

 糸崎で岩国行きの電車に乗りかえます。

 倉敷から糸崎まで乗ってきた電車は国鉄の113系だけど、製造番号は2018。平成30年を連想。

 岩国行きといっても、終点まで乗るのではなく、となりの三原まで。
 三原から海田市まで山陽本線経由で65.0キロ。呉線経由だと87.0キロ。差は22.0キロだけど、旅客営業規則では経路特定区間に指定されているので、どちら経由で乗っても距離が短い山陽本線の運賃に適用。100キロ以上の乗車券であれば、山陽本線経由の乗車券で呉線での途中下車も認められている。マルス端末も、無理にして呉線経由を入力しても強制的に「山陽」と印字。東京から蘇我間の総武線、京葉線も経路特定区間に適用。どちらも43.0キロだけど、東京近郊区間外から蘇我以遠の乗車券で京葉線と印字されても、総武線各駅に途中下車可能。ただし、自動改札機は京葉線経由って磁気情報に書いてあるからここはダメだなと瞬時に判断し、通せんぼバーが閉まる。有人通路で駅員さんに確認してもらえば、通してもらえる。
 69条、158条に則り・・・

 経由が ・・・・伯備・山陽・広島であっても、三原駅で呉線に乗りかえ。

 この電車でとなりの三原まで乗ります。

 ようやく、広島都市圏に真新しい電車。國鐵廣島から國鐵下關に移行しつつ・・・。

 広ヒロ と言っても、「下関総合車両所広島支所」の略号。この電車でも「下関総合車両所」所有なら下関まで定期運用すればいいのに~。
 山口県内は「広クチ」(新山口支所)または「広セキ」(下関総合車両所)。
 ちなみに山手線は「東ヤテ」(東京総合車両センター)、京葉線のE233系やボロ房線を走る209系は「千マリ」(千葉支社幕張車両センター)。「横フナ」は総武横須賀線快速のE217系。しかし、最近になって「横クラ」に表示変更。大船から鎌倉に変更したのに伴う。
 鉄道業界はこういう電報略号を好んで使われている。JR東海の清水駅。国鉄のオレンジカードを消化する目的で券売機で購入したものを「みどりの窓口」で乗車変更を申し出。原券となる切符に赤鉛筆で発行替えした券番を書き込み、「ヘコ」。「ヘコ」とは「変更」を意味します。特に国鉄時代は取消「トケ」、改正「カセ」、車掌「レチ」(列車長の略)、何々していただきたい「乞う」の「コ」などなど・・・電報略号だらけだったのに、今の若いJR職員さんもこういう略号を使うんですよね・・・。先輩から引き継がれているんじゃないかな・・・。

 三原駅の中にセブンイレブンがあったので、ランチにカルボナーラ購入っ!!ちゃんとした三原駅弁が欲しいけれど、時間に余裕無し。

 ここから呉線でーす!初めての乗車になります。なるほど、海岸沿い。まだまだ旅は続きます。

広島県尾道市は「坂の町」

2019-09-26 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 倉敷を出た、ボロ国鉄115系電車はモーターを唸らせながら走行。古くてボロ電車の走行音がうるさいけれど、どこか懐かしさを感じる。
 今の新しい電車は省エネのインバーター制御が進化し続け、とても静か。消費電力量は国鉄よりほぼ5割は削減。JR西日本は古い車両を大切に使い続けるけれど、その反面、電気を食いますが・・・。

 笠岡駅までは、岡山県。隣の大門駅からは廣島県。「ボロ國鐵廣島」と入力しすぎたのか学習機能で「廣島」と変換・・・。たしかにJR西日本廣島支社は、全国で最後まで残っていたボロ国鉄の牙城。しかし、現在は新型227系が相次いで導入し、運用エリアも拡大。それも徳山まで。本州最西端の下関まで来いってば。

 福山を出ると、次は

 備後赤坂駅。東海道本線の支線、美濃赤坂駅もあります。本家は、東京都港区の赤坂駅。JRの駅ではなく、東京メトロの千代田線。
 「8時だよ!全員集合!」が1985(昭和60)年の年末で放送終了。当時、字幕がなくても、コントがとっても面白おかしく喘息発作するほど爆笑。学校の授業でも、先生が何と言っているのかわからない。(当時、聾学校では手話が禁じられ、口話教育)面白くないし、つまらないときは何か楽しいことを考えようとドリフのコントシーンを思いめぐらす回想。突然、1人笑い。先生が「何ですか!いきなり笑いだすのは!?」と怒るわけですが、怒る姿が先生役のいかりや長介にタブって見えるので自分で笑うな!と思ってもそれが抑えられず、「もう・・・・先生がおかしくってたまらないんです!!」こんなこと何度もあったな~。先生が黒板に向かって板書きしている間も、息を殺して、声をうっかり出さないつもりで笑いだす。(うっ、・・・フッ・・・ハッ・・・ハッ)鋭い目つきで私に振り向く。なぜかバレた。聴者の耳って、そんなに鋭いんですかねぇ・・・??
 子供のころ、赤坂といえば志村けんの住んでいるところとなぜか思い違い。懐かしい。

 次は松永です、まつなが~!!

 東尾道駅。その頃から、風景が少しずつ・・・・

 すごい坂道に家が建ち並んでいます。

 急な斜面に家が建つなんてすごいな・・・。

 このあたりの住民は毎日昇り降りしているから、足腰も強いだろうな、きっと。長崎市、熱海市(静岡県)もそうだし。

 まもなく・・・

 尾道駅。やはり、「坂の町」でした。

岡山から糸崎まで昭和の車両

2019-09-17 00:00:00 | 2019_春_改元の旅

 この乗車券の中に、昭和、平成。新元号発表前だというのに、未来を物語っているかように名古屋駅MR18発行。令和〇年に「018(れいわ)」を足すと西暦になる。とても覚えやすい。例えば、令和7年。18を足せば2025年。なぜ、18番窓口に誘導されたのか、私もよくわかりません。18番窓口の駅員さんも、JR東海だというのに他社線の路線名にとても詳しく、要求通りに瞬時発券。私みたいなヘンな人が来ても、神ってるってわけです。
 奈良県の県庁所在地、奈良駅で時間が余っているので、今のうちに!と他駅発の乗車券をリクエスト。窓口は空いていて、暇を持て余している駅員さん。旅客営業規則20条を盾に「ここで発券できない」と門前払いにした駅員さんよ、複雑な経路を操作するのが面倒くさいってことなんだよね。奈良駅で断られた乗車券を道中の山陰本線馬堀駅で発行。マルス端末が1台しかなく、後ろに行列が出来ているのに気づき、途中で譲ってあげたり・・・。奈良駅は仕事ができない。馬堀駅は変な経路に慣れない若い女性だというのにしっかり仕事が出来ている。先月の旅行で、下関駅の若い女性の駅員さんに変な経路をリクエスト。端末の画面とにらめっこしながら目的地までの路線図と照合したり、「佐久平ってどのあたりですか」と私に確認するなど、時間がかかっても丁寧に対応するのは評価できる。奈良駅だったら、「北九州市内発だから、小倉駅で」と追い出すかも知れない。JR西日本のキク象(お客様の声)に苦言済。
 20条とは、国鉄時代に制定された「駅において発売する乗車券類は、その駅から有効なものに限って発売する」。マルス端末はオンラインで全国のどの区間からでも瞬時に計算ができるので、全国どこからでも発券可能。所持している乗車券を確認し、追加する形なら発券が可能。定期券も、全国どの区間でも発券は可能ですが、例えば、稚内駅で「東京 ←→ 千葉 経由:新日本橋・錦糸町」の磁気定期券を購入。もちろん、地紋は「北」。万が一落として紛失。拾った人が最寄りの駅に届け出るが、発行箇所が稚内駅なので、稚内駅まで送る。「定期券が届けられてきましたので、取りに来てください」と連絡が来てしまうと、また稚内駅に出向かなければならない事態が出てしまう。そのため、定期券の購入は連絡が来てもすぐ取りに行けられる範囲の駅に限る。

 新大阪・新幹線・岡山・吉備・伯備・山陽・広島・新幹線 のうち、現在は、吉備線を乗車中。


 服部駅。

 この駅名の手話は忍法を唱えるような表現、または手裏剣を投げる表現のどちらか。「服部」と書いて「はっとり」と読むのは、珍名字というわけでもなく、割とありふれた名字。不思議。

 東総社駅。

 次は、吉備線の終着駅、総社。

 岡山から410円区間でした。20.4キロ。山陽本線・伯備線経由だと少し遠回りになり500円になりますが、イコカが使えるエリアなので、どちらも最短距離の410円で精算されると思います。

 吉備線の総社駅。電化区間に直通することはなくここで打ち切り。車両止めが付いているので、まるで終着駅のような風景ですが・・・。

 吉備線は桃太郎線なので、ラインカラーはピンク色。

 倉敷行きの電車がやってきました。さっき乗ってきたばかりの吉備線は国鉄のキハ47、これも国鉄の115系。

 伯備線のラインカラーはオレンジ色。

 山陽本線の糸崎行きも、国鉄の115系。さっきからずっと昭和の車両です。

吉備線も初乗車!

2019-08-21 00:00:00 | 2019_春_改元の旅
 2018年のゴールテンウィーク。枕崎から稚内行きの乗車券(経由欄は数えきれないほど)で日本列島ジグザグ縦貫旅。
 山口県の宇部線を回って、
 新山口・新幹線・新倉敷・山陽・伯備・吉備・津山線・姫新・姫路・山陽・加古川線 を検討してみたが、どうしても時間的に無理。
 
 新山口・新幹線・岡山・津山線というルートになったので、吉備線はまた今度の機会にしようと友人が今回の昭和から平成行きに私の未乗区間をプランに組み込んくれました。


 岡山を出て、最初の駅。備前三門駅。岡山市も政令都市になり、4つの区が設けられました。中心地は、中区、北部は北区、東部は東区、南部は南区。岡山駅は中区?と思ったら、北区でした。吉備線は全長20.4キロ、岡山から北上する形で線路が敷かれ、隣の総社市の総社駅まで。
 歴史はとっても古く、1904(明治37)年開業。当時は官製鐵道ではなく、私鉄の「中國鐡道」が敷設。全国に散らばっている、私鉄が敷設した鐵道を國が買収し、のちほど「鐵道省」発足。国鉄の前身なわけですが・・・時代の流れとともに当時は栄えていた鉄路が赤字に転換。それでも日本国有鉄道としての使命を果たすため細々と運行し、国民の税金で賄えていたため、それでもつぶれない。莫大な赤字を抱えていても、賃金を上げろ!とストライキもあった。子供のころだったかな、国鉄がスト!学校は休校!!の日はものすごく喜んでいたっけな・・・。ストで汽車が動かなくなる意味がよくわからなかったんですけど、大人になってようやく理解。コクテツの労働組合はかなり過激だった。
 岡山地区では、路線ごとのラインカラーや愛称が付けられていて、「桃太郎線」なので駅名標はピンク帯。


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 次は備前一宮。千葉県の外房線に上総一ノ宮という駅名があるけど、「ノ」が付く。こちらは付かない。

 吉備津駅。

 ここでも「明治」が・・・。「明治天皇御駐車跡」の石碑。令和、平成、昭和、大正、明治なので、今上天皇の高祖父にあたります。1910(明治43)年10月14日、16日の2回吉備津駅に到着されていたお印。

 最上稲荷の大鳥居。遠くからでもはっきり見えます。

 大鳥居の最寄り駅は、ここ。備中高松駅。備前から備中に変わる境目。


 この規模なら、「みどりの窓口」はあるかも、と思ったら、ありました!!「高松」の本家は、香川県の県庁所在地。石川県の七尾線にも「高松」があるので、四国は(讃)高松。石川は(七)高松で区別。

 足守駅。岡山市北区はここまで。となりの駅からは「総社市」に入ります。

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