カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

カタツムリを探してみよう   歌うカタツムリ

2024-06-25 | 読書

歌うカタツムリ/千葉聡著(岩波書店)

 副題「進化とらせんの物語」。生物進化を考えるにあたって、スター的な存在の生き物がいる。それがカタツムリである。カタツムリは非常に多様な生き物だからである。住んでいる場所で、山であるとか谷であるとか、その形状ごとに同じ種でも形や色やその他の特徴が違う。カタツムリを子細に調べることで、さまざまな進化の議論が展開されてきた歴史がある。そうしてそのような議論の証明や考え方に、カタツムリそのものが答えてきた壮大なドラマがあるのである。
 そんなカタツムリに魅せられた研究者たちの戦いの歴史を軸に、その考え方の解説がなされていく。環境に適応して違いが出ることから、適応的な進化をするとする立場と、それでも時間の経過などで偶然に進化するとする立場とが、激しい論戦の戦いを展開させてきた。また、その説明に適合する状況を、カタツムリは提供しているように見える。だが一方で、その説明に合わない状況も時折見つかる。天秤が揺れるように、歴史の上で両者の軍配が、揺れてはまた逆に傾いていく。そうして時には人間の仕業で、絶滅に追いやられることもある。人間は神の領域に、踏み込んでいくような愚かさのある存在なのである。
 そのような研究者たちの系譜に、著者である研究者たちもその知見を積み重ねていく努力を日々行っている。過去の亡霊やあたかも呪いのようなものと戦うべく、現代もその論争は続いている。ただし、新たな統合的な行方も示唆されている。著者はどちらが勝者だという考え方よりも、その二面性を統合して考えることを進めているようである。それらの研究の上に、新たな発見や知見が生まれるのであるから、一見過去の誤りに見える研究であっても、無駄にはならないということなのかもしれない。
 進化論というのは、DNAの発見や過去の化石なども含めて、実験や観察や歴史も含めて、実に総合的な見方を必要とする学問である。そうしてそれは、生き物だけの不思議を解くだけでなく、物理法則や地球の在り方や宇宙に至るまで、実に様々なものを語ることにもなる。そうしてそれらを語る存在として、カタツムリは重要な位置に居続けているのである。身近でありながら壮大な物語の世界に、魅せられること請け合いの良本である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 確かに歌が上手い   北のカ... | トップ | 酷い人ばかりが住んでいる国 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。