カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

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恐ろしいのは思い込みと暴走だ   おろそかにされた死因究明 検証:特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件

2024-06-13 | 読書

おろそかにされた死因究明 検証:特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件/出河雅彦著(同時代社)

 特養のおやつとして提供されていたドーナツを食べているときに、一人の入所者の意識がなくなる。他の人の食事介助にあたっていた看護師がそのことに気づき、最初は何か喉に何か詰まらせたのかと考え、背中を叩いたり口の中のものを吐き出させようとしたりしたが、意識は戻らず、脈なども低下する。その後救急車で搬送されるが、数十日後死亡する。家族としては、母親は歯もなく誤嚥する可能性があることを心配して特養に預けており、ドーナツではなくその時別に用意されていたゼリーなどを食介などを通じて与えるべきだとして(またそのように申し送りしたとして)、慰謝料を1300万受け取ったうえに警察に通報したようだ。その為にこの時近くに居た准看護師が起訴され、一審で有罪にされるに至る。しかしながら、死因が窒息であることもはっきりしない上に、介護現場においてこのようなケースで刑事事件として起訴され有罪になることは、社会的な規範として現場職員を委縮させるだけでなく、利用者本人にとって生活を豊かにする楽しみであるおやつなどの提供をも阻むような(またそのような支援を妨げる)社会問題があるとして再審に至り、結果的に無罪確定となる詳細な記録である。
 著者は司法においての情報開示の在り方などに非常にこだわりがあった様子だが(それは大変な問題であることは明らかにされているが)、実際に刑事告発された業務上の事故において、当事者を苦しめる検察の在り方や裁判自体の恐ろしさが、克明に描き出されていることに衝撃をうける。まるでホラー小説だ。彼らにとって事実などどうでもよくて、どうやって人間を落とし込むことが有効か、そのことばかりに執着している。まるで人間的でなく、悪意のある保身集団の在り方が、理解できるはずである。司法は腐っている。そこに生きる人間は、クズ同然なのではないか。
 さらに窒息に関する知識も改める必要があることが分かる。医師は安易な診断として、窒息を死因にしたがる背景があることも分かる。死因を病因とするには、それなりの困難を伴い、さらにあいまいなままでも食事時の背景などを勘案して、窒息とする判断にしがちなのである。後の救命活動などで、逆流して肺などに食事内容が入るなどの可能性もあって、さらに日本では多諸国の5倍にあたる窒息という死因がある現状から、おそらくは誤診がかなり含まれているらしいのである。しかしながら窒息の診断がなされると、これは病気ではなく事故にあたり、現場ではその責任を問われる事態に追い込まれかねないのである。たとえ医師であっても、誤嚥や窒息に関する専門家は少なく、このような事故に当たる判断に導きかねない危険が大いにあることが分かる。
 日本の司法は、事件に当たり本当に真実であるかをあまり重視していない。日本の裁判は、真実を追求するのには向いていないのではないか。特に刑事告発事件に関するものは、死因さえあいまいなままでも起訴できることがこの事件で明らかである。いったん暴走してしまうと、自己反省をすることができないのが問題で、だから事実が何かをあいまいにさせてしまうのだ。そうして社会を委縮させてしまう。日本人がダメになる原因は、あんがいこんなところにあるのではないか、などと考えさせられる内容である。今もどこかで暴走している集団があるはずで、それは司法に限らないと思われる。本当に恐ろしい事実とは、そういう分からないところでの事件なのではなかろうか。
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