カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

木綿のハンカチーフの逆の世界   ラブソング

2024-06-28 | 映画

ラブソング/ピーター・チャン監督

 間違いなく僕が20代のころに観たことがある作品の再鑑賞となった。80年代、付き合っている彼女を残して天津から香港に渡ってきた男は、広東語も英語も分からない(香港は基本的に本土の普通語(いわゆる中国語)は通じないし、仕事で英語を使う人が多い)まま、紹介された肉屋で働いていた。その頃珍しかったマクドナルドに入ってみると、そこの店員が普通語がわかるらしく、なんとか注文ができ、そのまま知り合いとなる。彼女は英会話教室でも掛け持ちで働いており、そこの生徒になる。実は彼女も大陸から香港にやって来た身で、二人は香港でちゃんとした友人ができず孤独だった。そうしてだんだんと二人は親密になり、激しい情事を重ねる間柄になるのだった。
 しかしながら男は大陸に彼女を残してきており、仕事が軌道に乗ると呼び寄せる約束をしていた。彼女の方もマッサージの仕事で知り合ったヤクザの組長のような男と、親密になってしまう。男は呼び寄せた彼女と結婚し、女はヤクザな男について、精神的な支柱になるよう決心するのだった。
 お互い抗いがたい愛情を感じながらも、どこか変に律義で、そうして不器用なところがあって、一緒になることができない。物理的なすれ違いがあってなお、本当に好きなのは分かり切っているのである。露骨な性描写は無いが、二人は会えば情事を重ねざるを得ない。でも言葉で愛していると言えないだけなのだ。
 20代の頃これを観た僕は失恋中で、なおかつ中国から留学して帰って来たばかりだった。観ながら激しく動揺し、おそらく涙したはずだ。大筋は忘れていたが、ヤクザとの絡みは妙に覚えていて、女というのは、そういう男にはついていくのだな、と思ったものだ。当時は素晴らしい映画だと思ったが、大人になった今観ていると、若いとは愚かしいものだ、とも思う訳だ。その愚かしさが何もわからないから、自分と素直に向き合うことから避けてしまうのだ。もちろん物語はそれで終わらないで、最後にニューヨークに舞台は移ることになる。そういう点は極めて映画的で、当時の気分をあらわしているわけだが……。
 普通なら「木綿のハンカチーフ」になって、都会の僕は田舎の彼女を捨ててしまうだろう。そういう意味では、極めて奇妙な物語である。しかしながらそういう変人の男を、この俳優は実に素直に演じている。そういう実直な姿が、香港人と対比する大陸の中国人なのである。ここらあたりは日本人には分かりづらいかもしれないが、うまく時世に乗れず立ち回りが下手で、しかし夢想的な嘘で自分を正当化する、中国の姿の比喩でもあるのだ。今は事情が変わってしまったが、元は同じ中国人だったはずの香港とは、ずいぶん遅れてしまった中国の哀しい姿であったのだ。そういう意味では、だいぶ古典化してしまった作品だけれど(今の中国人や香港人にさえ、この辺りのニュアンスは分からなくなっているだろう)、それなりに面白いのである。名作感すらあるので、未見なら是非とも。
コメント
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