カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

眠れない人のことを考えて眠る

2024-06-23 | 読書

 村上春樹の短編「眠り」を再読した。きっかけは書評家の三宅香帆が紹介していたから。本棚を見ると「TVピープル」もあったのだが、何故か「全作品1979~1989⑧短編集Ⅲ」の方に収録されている方を読んだ。こちらは村上春樹自身が、これらの作品を書いた状況をメモした文章もある。村上はこれを「ダンス・ダンス・ダンス」を書いた後、小説は何も書けなくなった時期を経て、翻訳をたくさん書いてはいたが、ともかくその後に書いた短編なのだという。ローマで、まちの陽気な人々を見ながら、このような眠れない人のことを書いた。
 あらすじにすると単純で、ある日眠れなくなった主婦がいて、それも不眠というのとは違う、別に眠れなくても平気であり、しかし不安は抱えながら、ひたすら読書をして、日常生活を送って、プールできっちり泳いだりする日々を描いている。著者は何の寓意もなく書いたと書いているが、なにかの寓意を感じさせられる物語である。ブランデーを飲みながらチョコレートをかじり、ひたすらアンナ・カレーニナを読むのである。それも三度も繰り返し。昼は夫と息子の世話をし、食事を作り洗濯をし買い物をして、夕方プールで一時間きっちり泳いで、さらに読書をする。体は締まって若返り、それに比べて夫の寝顔はだらしなく見え、息子にも将来は愛情が薄れるだろうことを予感する。そうして夜に車で外出するようになり、ホラー体験をする。
 いったい何の意味があるのか僕にはさっぱりわからないのだが、おそらく女性の持っているある種のまわりの不理解に対する孤独、のようなものを描いているのではないか。夫は悪い人間では無いし愛してもいるが(セックスにもこたえられる)、決定的に自分を理解している人ではない。そうして息子は、その夫に似ているのである。それは、実際は耐えられないほどの問題ではないのだが、しかし決定的に欠けている何かである。世の中の妻の悩みを代弁している、あるいは表現させている小説なのかもしれない。もっともそれは勝手な寓意の読み違いかもしれないが……。
 確かに何か恐ろしい物語なのだが、そういう風に考えているだろう妻がいるかもしれないというのが、男である僕の感じる恐怖感かもしれない。妻は夜には寝ているようだけれど。
 もっともそういう感じのことは、大げさに考えないのであれば誰にだって当てはまりはするものである。それが作り物である小説の持っているリアリティであり、真実である。そういうものを発見させられて考えさせられる。そうではない人もいるのだろうが、身につまされるというか。しかし人間であれば僕らは寝てしまう。それで平和が戻ってくるのであれば、さらにいいのであるのだけど。
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