カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

観念的で難解である   鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

2024-06-07 | 映画

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎/古賀豪監督

 銀行に勤める水木は、その銀行の当主の死に際し、山奥の山村に葬儀に向かう。しかしながらそこで、当主一族の壮絶な相続争いのようなものを目の当たりにし、さらに殺人事件などが絡んでいく。そうしてその村における、人間と幽霊族との争いや関係などが徐々に明らかにされ、鬼太郎の父とも知り合い、題名の通り、鬼太郎誕生に立ち会うことになるのだった。
 内容は墓場鬼太郎に近いものがあり、そうして実際に別の水木作品の戦争体験記などが混ざり合ったような感じである。だいたい展開が分かりにくいものがあるが、中盤から後半にかけては、ほとんど観念的なお話になり、混乱する。しかしながら水木の初期の作品群には、このような観念的で唐突なお話というのは結構な魅力でもあり、アニメ的にそれを再現しているとも考えられる。後にテレビアニメ化されて子供向けの鬼太郎になじんでいる人々にとっては、少し面食らう内容になっているのではないかと思われる。いや、なじんでいなくても、いわゆる鬼太郎映画という感覚とは、程遠いものがあるのではないか。そういったところが魅力でもあるのだが、やや難解である。
 正直に言って、途中でかなり眠くなり、実際に瞬間的に寝てしまったこともあったかもしれないが、なんとか我慢して見通すことができた。まったく自分が偉く思えるが、しかしながらテレビアニメの鬼太郎には、かえって違和感を覚えるようになっていた自分を思うと、このような映画で、良かったかもしれないとも思う。観念的過ぎて難解すぎるものではあるが、実は鬼太郎や水木作品が持っている大きな魅力が、この映画製作者はよく分かっているのではないかとも思われるからだ。一般的に好かれている鬼太郎というのは、大衆的にテレビのデレクターが味付けを変えた鬼太郎であったこともまた確かそうで、そこにも鬼太郎としての魅力があることは分かるにせよ、大きな誤解も生んでいた可能性が高い。そこにだんだんと社会批評性が生まれていき、鬼太郎を使った人間批判が展開されすぎていた。しかしながら人間批判はもちろん根底にはあるにせよ、もっと心の奥底に眠っている人間性のダークなところが、そうして自然や世界観の強烈なる畏怖が、鬼太郎の中には忽然と眠っているところがある。それは作家である水木の中の本来のものかもしれないし、しかし少しとぼけているテレの一種なのかもしれない。しかしながら、それこそが水木作品の大いなる魅力であることも確かで、鬼太郎をきっかけにして、もっと分かられてもいいところなのではなかろうか。
 もっとも、簡単に理解できるものでは確かになくて、よく分からんが変だ、というだけでも、別段間違った解釈とはいえない。そうして鬼太郎は、おそらくそれでいいのである。
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