カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕らだってわからない   君は行く先を知らない

2024-06-12 | 映画

君は行く先を知らない/パナーパナヒ監督

 絶賛の前評判の高さで観ることにしたのだが、またしても残念な思いがした。まったくつまらない映画だったからである。批評家の評価そのものが信用できないのは、彼ら(彼女ら)の多くが、映画のことを多少は知っているからこそ、その見る目の誤りに気づいていないことである。何故いい映画なのかという観る目を持っているのであれば、ひどい映画なりに観るべきものがあって、つまらないながらにどうその映画を見るのだ、という丁寧な説明をすべきなのである。いい映画だからこそ多くの人に観てもらいたいならば、そういうところをちゃんとしない事には、観るべき人がちゃんと映画に向き合うこともできなくなるだろう。いくら尺が短い映画だからと言って、そこまでたいしたことが無いこの映画のような批評は、ちゃんと控えめにしてもらいたい。いい部分は確かにあるのだが、はっきりと傑作ではない。表面的なものではなく、背景も含め、社会的にみられるべき映画というものは、取捨される必要があろう。一部の人にしか伝わらないようなものは、一部のもの好きが観ればいいのである。
 家族はどこかに向かって車を走らせている。父親は足にギブスをしていて不自由だ。5.6歳のよくしゃべる男の子がいて、いろいろはしゃいでいる。後に明かされるが、主に運転している長男が、何らかの問題があって、国外に逃れるために、皆で国境まで移動している物語である。
 急に母親がラジオの曲で奇妙な踊りのようなものをしたり、長男は何か物思いだし、父親は何故怪我したのかもなんだかよく分からない。そういうことを次男の子供は何にもわかっていないので、無邪気に騒いでいる。題名もそうなのだが、そういう状態を楽しむというか、なにか社会問題を告発したものらしい。国外の逃すエージェントのようなものがあって、他にもそのようにして国境近くに集まって来る車がある。キャンプしてバーベキューして、逃がす人間を見送る。要するに別れを惜しんでいるという事か。国外に逃れるというのは、仕方のない事であり、危険であり、そうして家族の長い間の別れである、ということなのだろう。そういう国のありよう、ここではイランという国を批判した、ということなのか。たぶん、そうなのだろう。
 よく分かりにくいのは、そのような体制批判を比喩で表現したいためかもしれない。そうでなければ映画を撮ることができないとか。いろいろ大変なのは分かるが、観るだけでは分からない映画は、やはり何かの解説が必要なのではなかろうか。
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