カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

グルメ旅行のはずが、深淵なる二人の世界   台湾漫遊鉄道のふたり

2024-06-19 | 読書

台湾漫遊鉄道のふたり/楊双子著(中央公論社)

 時代設定は昭和13年の台湾。日本の統治下におかれた状況だが、いわゆる軍事的な物語とは少し違う。この物語の作家は、設定として若い日本人作家の青木千鶴子である。書いた作品が映画化され、日本はもとより台湾でも評判になる。その為に台湾で講演の旅をすることにして、その通訳に現地の若い女性(国語教師だが、結婚を前に辞しており、堪能な語学の才能のために抜擢された)の王千鶴があてがわれることになる。千鶴子は自由奔放な性格で、背も高く大変な大食漢である。というより、食に対する獰猛な執着がある。対する千鶴は、頭脳明晰なばかりではなく、料理も上手で、あらゆる台湾の食事情にも通じでいる超人である。この二人が台湾の美食を食べつくす旅の物語かと思いきや……。
 基本的には美食というか、おやつというか、台湾の習慣や風景を交えての二人のやり取りを楽しむ物語だとはいえる。台湾のまちと共に売られている様々な食べ物がふんだんに出てくるばかりでなく、その素材から調理に至るまで、実に楽しく紹介されている。それをあたかも妖怪のごとく食べつくす千鶴子の様子も、実に愉快なのである。
 しかしながら実は、そういう物語がこの小説の主眼ではないのである。ほとんど美食食べ歩きの描写が実際に続きながらも、千鶴子と千鶴の感情の駆け引きが、それこそしつこいまでに克明に繰り返されるのだ。こういうのを百合小説だというとは、僕は知らなかったのだが、引き込まれて読みながら、男である自分の神経の鈍感さに思い至らざるを得なかった。相手の表情や、目の色や、ちょっとした言葉のあやなどを、彼女らは実に何度も何度も考え思い起こしながら会話をしている。そうして相手の本心が分からないことを悟っている。そんな芸当は到底僕には及ばないしできないし、そもそもやったことが無い。分かっていないことを確信しながら相手に探りを入れて、時には直接的に問いただして、しかもその答えで相手がまだ心を開いていないことを悟るのである。小説ではそれができているが、実世界で僕らがそれをできるわけがないじゃないか。
 最後まで読んでみて、この物語の設定そのものにも、細かい仕掛けが仕込んである世界観であることが分かった。なるほど、どっぷりそういうものに浸れるように、考えつくされているということなのだろう。それをどう思うのかは日本の読者には、多少いろいろあるとは思うのだが、いやいや、これは傑作でしょう。僕は確か角田光代が新聞書評で取り上げているのでこれを買ったように思うのだが、手に取って本当に引き込まれてしまった。グルメ小説でこんなに熱中するなんて自分でも不思議だな、くらいで読んでいって驚かされたのだから、たいへんに貴重な読書体験になった。それに最初から百合小説だとわかっていたら、手に取ることすらしなかった可能性が高い。自分の見識の狭さを、改めて反省した次第である。世の中は広い。面白さというのは、さらに広い視野の向こうにある、ということなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする