カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

純粋でクレイジーで尊い人

2023-08-11 | ドキュメンタリ

 長坂真護という人の取り組みを紹介したドキュメンタリを見た。アフリカのガーナのスラム街であるアグボグブロシーという街は、いわゆる先進国からあらゆるゴミが捨てられる場所になっている。古くなった電化製品やパソコンなどの通信機器や、衣服やプラスチックごみなどが大量に集められ、その廃品の中で利用可能なものを取りだしたわずかな金を目当てに、人々が集まって来る。配線などのコード類は、表面のゴムを焼いて中身だけ取り出すわけだが、そのために有毒ガスを吸いながら作業をし、一日数百円を稼がなければならない労働者たちがいる。そのような惨状を目の当たりにした長坂は、もともと路上アートを描いて糊口をしのいでいた身だったが、廃品をアートに変えた作品を生み出すようになり、そうしてその金をもとに、アグボグブロシーの惨状を変えるべく資金を投じて廃品リサイクル工場を現地に立ち上げるなどの活動を行っている。長坂自身が語っているように、この取り組みに賛同して作品を購入してくれる人がいるために、長坂の作品は長坂が普通に描いた絵の10倍以上の値段で売れるのである。この取り組みを辞めたら、自分は大いなるペテン師だとつぶやきながらも必死になって現地へ飛び、そうして日本で創作活動を繰り広げているのである。
 作品で数億円は稼いでいるとはいえ、日本でもアトリエやスタッフを抱えているし、ガーナの現地にも、まだビジネスとしては赤字続きの工場を構えて、どんどん労働者を増やしていこうとしている。リサイクル事業には問題も多く、黒字化のめどは立っていない。しかしいまだに苦しい立場で働かざるを得ない現地の労働者たちと知り合いになると、次々にその人たちを採用してしまうのである。
 まさにその行動そのものがアートでもあり、慈善事業であり、破滅的な生き方なのである。まったくなんという人がいたものだろうか。
 長坂は専門学校に入るために上京後、ホストをやったり、その金で会社を立ち上げた後に倒産させたり、仕方なく路上でアートを売って暮らしていた人である。自身の作品は高額で売れるようになったが、そのようなわけで拾ってきた家具などを使って質素に暮らしている。自身が過去を振り返って語る内容でも、若い頃には何の信念も無く何をやりたいかもわからず、死にたいような気持をかかえていたらしい。しかし何かのきっかけでガーナの現状を知り、現地に行ってさらに衝撃を受け、生き方をがらりと変えて、この世界を変えるという信念だけで、こういう事をやっているのだという。
 まったく普通ではない訳だが、破滅的な生き方であるかもしれないが、まさしく情熱だけで生きているような芸術家である。そうしてそうでなければ芸術が成り立ちもしないのである。現地の人間が言っていたが、ふつうの人間は、このゴミ溜めの現状を写真に撮って、ちょっとおこづかいをくれるなどして帰っていくだけだが、長坂はガスマスクを配り歩いて、日本に帰ったとしても友人としてまたやって来るのである。徐々に信用を得て、事業まで始めてしまったのである。
 なんだか呆れてしまったが、ここまでくると、この異常な危うい純粋さというものを、やはり信じてしまうのである。上手く行くかなんてことよりも先に、なんとかしたいという思いが行動を支えているのであろう。それは作品が売れ続ける限り、おそらくやめないのではなかろうか。
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