「神様」のいる家で育ちました/菊池真理子著(文藝春秋)
副題「~宗教2世な私たち~」。親が熱心な信者のために、その子として宗教を強制されて育った経験と、多くの場合その後宗教を捨てた経緯を漫画にしてある。この漫画はテレビで紹介されていたので知ったのだが、いわゆる安倍元首相殺人事件のために改めて注目を集めたものだと、あとがきで知った。読んでみて途中から、確かに逆恨みした犯人の「山上」自身の話ではないか、と思った。まさにそのような子供たちの話が、7話にわたって繰り広げられる。両親とも信者というケースもあるが、ほとんどは片親、特に母親が熱心な信者か、宗教に取り込まれたモンスターである。このお話のすべては、非常に偏った人たちの物語だが、そもそも信者の家庭に育つというのが、日本ではまれな場合が多いために、このような極端さになっている可能性もある。宗教の信者として育つのが当たり前の諸外国の事情と比較すると、日本はそもそもの特殊性があるのかもしれない。さらにカルト系の宗教も多いような感じもあって、どの宗教も同じようなものだとは考えられるとはいえ、やっていることがあまり一般的ではない。教義にこだわりすぎるあまり、排斥する力が強すぎるのである。だからこそ、のめり込んだ親の犠牲になる子供が、苦しんでいるのである。
しかしながら親の強制力があり、保護されながら育つ子供たちが、これらの宗教から、そもそも逃れられるものではない。親のために一所懸命に宗教的な人間になろうと努力はするものの、思春期を過ぎ、それなりに親元を離れる体験をすると、すぐにそれらの疑問から離脱する道を選び取れるようになっていく。自分が納得がいく教義でない宗教は、当たり前だが、大人になれば信じられないのである。
この企画が持ち上がって某メディアで連載がなされたものの、やはり当事者の宗教団体からクレームがあったようで、いったんはお蔵入りの危機に瀕する。それを別の出版社が拾って世に出たものであるという。そういう経緯さえも、今となってはいかにも、という感じだ。漫画のエピソードにも頻繁に出てくるが、「信仰は自由」という当然のことが、親の宗教に縛られる子供にとっては、そもそも自由では無かったのである。そのことを描いているだけのことに、自由を制限する暴力として、団体はこれらを糾弾する。彼らには自由が無いのである。そうしてこれまで批判がはばかられてきた訳で、今はその反動期なのかもしれない。
時代に合った鏡としての作品といえて、内情を確認するにはいい題材である。恐ろしい話が多いが、基本的には逃げるか、ちゃんと対話するかである。いい結果になった場合もあるようで、それはその家庭次第なのかもしれないが……。