死の接吻/ヘンリー・ハサウェイ監督
ギャングが追っている男の、車椅子の母親を階段から落とすシーンが有名らしい。実際のシーンはそれなりに残虐だが、今の時代から見ると、既にそれほどでもない。今の時代は、なんと残酷に染まってしまったことだろう。
金に困り宝石強盗をする男は、逃げるとき足を撃たれて殺されることを怖がりそのまま捕まる。仲間を売ると減刑されるとする誘いには乗らなかったが、結局逃げた仲間は残された妻に十分に金を渡さなかったと見えて、妻は貧困のため娘二人を残して自殺したことを知る。そうして初めて仲間を検察に売って、仮出所を果たすことになる。そうして娘二人と、以前その世話をしてくれた妻の友人と結婚して暮らすことにする。ところが昔の仲間を追って殺そうとするギャングの対決が避けられない事態になり、あえてギャングと関係を保ちながら自分はどうするのか、という問題に巻き込まれていくのだった。
お話には、仲間同士の裏切りあいのある悪い人たちの物語という基調があるのだが、実はこれは実話をもとにしているらしく、最初に仲間側だと思われていた弁護士も、悪人であってギャングとつながっていたという話でもある。強盗をした男は悪人だが、しかし物語の性質上、これらの複雑な関係の下にギャングを捕まえるために奔走する人間となる。つまり正義側に着くということになるのか。しかしながらよく考えてみるとどっちもどっちで、もともとの妻が自殺したのはかわいそうだが、出所後すぐに結婚して娘を引き取るのもなんとなく不自然だし(しかしそれが実話ということだろうが)、自分を裏切った仲間は密告したために捕まった後に、自分はのうのうと娑婆に出て暮らせるのである。アメリカ社会は悪人や裏切り者にやさしい社会なのだろうか、と勘繰りたくもなるのである。
まあしかし、これが古典的な娯楽作と言われるものであり、当時の社会の人は、これらの実話をもとにした複雑な裏切り劇を楽しんだのだろう。娯楽というのは世の流れとともに変わる。先に紹介した残酷さの度合いの衝撃度が、今とは異なっているように……。