8 1/2/フェデリコ・フェリーニ監督
映画監督のグイドは、新作映画の構想がまとまらず、温泉地に保養に来る。そこでは映画のプロデューサーをはじめ映画関係者がたくさんいて、さらにグイドの苦悩を深まらせる。現実と幻想が錯綜する中で、女たちも呼び、グイドの頭の中の世界がどんどん映像化され現実が分からなくなっていくのだった。
映画の中の映画ともいわれる名作映画なのだが、そういうものにいい映画であるものは少ないことの代表のような、変な映画である。バカバカしい妄想の数々が、主人公の頭を飛び出て映像化される。皆狂っているのだが、そういう狂い具合を、なんともなしに眺めて、他人の頭の中というのは、実に馬鹿げた苦しみで満たされているものだ、と感心するよりない。しかし現実の出来事も進行していて、そちらの方も一緒になって壊れていくような恐怖感も伴う。いや、本当は現実が危うくなっていくので、精神世界がそれに伴って崩壊していくのかもしれない。実際のところはどうなのかよく分からないが、高いところから落ちていくことがあったり、パーティの狂乱があったり、過去の少年時代があったり、何か太った女のエロがあったり、人間関係のいざこざがある。自分の中の何かなのだが、それが喚起されるものと、自分が生み出さなくてはならない大きなプレッシャーというものに対する逃避が、重なり合っているということになるのだろう。お気の毒である。もちろん見ている方も、それに付き合わされて気の毒なのだが……。
要するに面白くもなんともない時間つぶしなのだが、どこか印象に残るところもあるし、クリエイターという人々の苦悩が、そのまま表されていることも示唆されていて、そういう作家の多くは、この映像に激しく共感を寄せるものなのだろう。それにしても、こういう映画をもてはやした時代と、それなりに商業映画として世に出たおおらかさがあって、確かにもうこのような映画は世に出る機会は、これからは無いのかもしれないとは思う。さすが巨匠の居た時代なのであった。