カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

相手は僕のことを本当には分かっていない

2023-07-30 | ことば

 最近スポーティファイで音楽を流して聞いたりもしているのだが、僕は無料版を聞いており、ときどきこの無料版から有料に変えるように宣伝が入る。宣伝でかかる音楽は同じだが、ふつうにアナウンスがあり、より快適で便利な音楽を楽しむにはバージョンアップしてお金を払え、と迫るのである。時間的には数十秒なので毎回我慢して聞かないふりをしているのだが、ある時、このアナウンスが英語になった。僕は英語の語りはほとんど聞き取れないが、宣伝であることと、バージョンアップのお知らせであることは分かる。ああ、そうか。僕は洋楽ばかり聞くからである。日本語の曲を検索したことは、たぶん一度もない。
 しかしここでさらに疑問が浮かぶ。検索は日本語で行っているからである。好きなバンドや人物を探す折に、ひらがなでやってもちゃんと目当ての人を探してくれる。それは僕が書く日本語を理解しているからで、基本的にはパソコン上の、こちら側には日本語話者がいると相手が認識していい材料である。ところが相手側が、英語で対話を迫ってきた訳だ。聞いている音楽は洋楽ばかりだから、可能性として英語話者であるかもしれないと考えた、というよりも試してみた、ということか。それもこれまでずっと、日本語の問いかけにはまったく無視を続けている。それは単にそんなに大きなメリットでもない(携帯にダウンロードするなどすれば別なのだろうが)ものと、僕が考えているから無視しているだけであって、日本語が分からないからそうしているわけではない。しかし繰り返しアナウンスしていて、聞いているのが英語なのだから、という理屈も推理も成り立つ。なるほど、相手はたぶんAIなのである。これが現代の文明の利器を使っている、現実をあらわしているのであろう。
 ところで僕は、チャットGTPもそれなりに使ってはいる。何文字でどういう文を書け、とお願いして例文を書いてもらうことがそれなりにあるからだ。出てくる例文は間違いだらけだから、それらの内容の年代などを調べ直して訂正し、そうして僕なりの文体に直して、ささっと相手に送ってしまう。そういう事ばかりでは無いにせよ、とっかかりとして文章を作るには合理的なものを感じている。相手が嘘ばかりつくこと以外は、こちらの方が専門的なことについては知識が上だし、相手の嘘をつきやすい部分というのがあって、これは適当に書いてるようだというのは違和感を感じるし、実際に簡単に間違いは分かる。今のところマスコミはAI脅威論ばかりだけど、彼らはいったい何に怖がっているのだろうといつも思うのは、現実のAIの馬鹿っぷりにいつも付き合わされているからかもしれない。それは人間の方が優秀だという優越感で言っているのではなく、あくまで道具なので使いようだ、ということに過ぎない。電卓の計算能力が明らかに僕より上だと認めていても、何の脅威も感じないことと少し似ている。それでも、もとになるそれらしい文章の土台は、目の前に甲斐甲斐しく提示してくれるし、後で調べ直して修正する手間があるとしても、もともと自分の書く文章であっても、普段から推敲していることに変わりない訳で、まあ、違和感のかけらもない。ちょっとだけ便利な面があるかもな、くらいで使い分けて遊んでいるだけで、願わくばもう少し学習してもらって能力を上げて欲しいということだ。それにはっきり言って、文章はかなりへたくそである。誤字もそれなりにあるし、質問の内容を正確には理解すらしていない。しかしその考え方の過程は面白いものがあって、そのような態度を楽しんでいるのかもしれない。
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