カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

生き方というのは、自分のやっていること   編めば編むほどわたしはわたしになっていった

2023-07-26 | 読書

編めば編むほどわたしはわたしになっていった/三國万里子著(新潮社)

 誰の紹介で手に取ったのかは忘れたのだが、ちょっと前に読みかけているにもかかわらず、人と会う時にこれ面白いよ、と貸してしまった。ふつうはそんなことはしないのだが、話の展開でそうなってしまったというか、読み止しだったのでちょうど手元にあって、お話をしている相手の方が、「読みたい」と言われたのだった。表紙の写真も外国の人形のもので、なかなかにいい感じだったのが、あまり本を読まないというその人の興味にも触れたのかもしれない。それでしばらく忘れていたが、小さなお菓子と共に僕が不在時に返却されていた。そうしてその時はまた別の本を読んでいて、しばらく忘れていた後にまた手に取ったわけだ。あとはほとんど夢中というか、しかしやっと読んでしまえた。
 そういう訳なのだが、短いエッセイが集まった本で、いつ読んでもかまわない構成になっている。しかし一つ一つに明確なつながりはないものの、自分語りというか、家族語りというか、そういう一連の三國さんの歴史のようなものが分かるようになっている。一種の長編小説であるかもしれない。旦那さんとの出会いも分かるし、子供のころの様子も分かる。家族も、その間の付き合い方も分かるし、三國さんの本業らしい編み物のこともわかる。しかしそういう事でありながら、お話は実に小説的な感じがする。文章が美しいというのがまずあるのだけれど、一つ一つの物語に、小説を読んだような余韻が残るのである。いわゆる、文章に引き込まれながら読んでいて、しかしある種の感慨とともに、自分のこともあれこれ考えてしまうことになるからだ。三國さんの体験は、それなりに特殊だし、そうして非常に個性的な人である。そうであるのだけど、憧れもあるのかもしれないけれど、ちょっとした汎用性のようなものがあって、まるで自分も似たような体験をしたような気分にさせられるのかもしれない。そんなことは無いはずなのに、懐かしいような、そういう感慨に浸る読書の時間である。
 本分は編み物作家さんということらしいのだが、この文章を読む限りでは、作家としても生きていかれることになろう。ちょっとした中毒性もある文章で、そういう事もあるんだなと思いながら、啓発されていく。ちょっとそういうことを自分でもしてみたくなるような、小さな発見に驚かされて、感心する。本当にこういう才能の人っているんですね。なんとなく会ってみたい人です。
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