カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

不幸な働き方しかできていなかった日本人へ   縛られる日本人

2023-07-11 | 読書

縛られる日本人/メアリー・C・ブリントン著(中公新書)

 副題に、「人口減少をもたらす「規範」を打ち破れるか」とある。日本や韓国は、将来的には国家存続さえ危ぶまれるほどの人口減少に喘いでいる。人口減少は、ポスト工業国(いわゆる以前は先進国と言われている国々)に概ね共通する現象だが、それでも日本の人口減少は際立っているうえに、国民の幸福度や満足度も極めて低い国だということも知られている。自殺も旧共産国より高い。それは何故なのかということを、アメリカの研究者が日本の子育て世代などに直接面談を繰り返し、データ化して論じたのが本書である。
 結論からいうと、日本の働き方に問題があり、他の国と比較しても、むしろ制度的には進んでいるにもかかわらず、会社や社会規範などの圧力に屈して男性が育児休暇を事実上取れず、社畜として働かされるために単身赴任など諸外国では不可能な働き方をしているうえに、自分の仕事以外のことも圧力に耐えられずやらなければならないために、生産性が極めて低く、さらに長時間労働にさらされて疲弊し、終身雇用の呪縛によってキャリアを放棄できないために、さらに幸福さえも犠牲にしている姿を浮き彫りにしている。男女の目に見えない規範に縛られ、男性の働き方に無理がありすぎるために、同等に女性に仕事を差配することが不可能になっていて、そのことに無頓着で残酷な社会のために、改革さえままならないことが見えてくる。日本が滅びるのは、実に当たり前のことだったのである。
 さすがにここまでひどいとは思ってもみなかったが、事実を突きつけられるとぐうの音も出ない。日本人は不幸になるために働いているようなものである。言ってしまえば、馬鹿な民族なのだろう。
 しかしながらその馬鹿げた働き方を強要している社会で、これまでやって来た経緯があるので、社会規範として強力な圧力が存在し続けているのかもしれない。既にもう通用しない概念であるにもかかわらず、そのことから逃がれられない。そうなのだが、これは日本社会がそもそも特異過ぎたわけでは全然なく、実はそのような圧力は諸外国にも以前はあったことだったのだ。それが好ましいものではないと気付いたことで、政策転換して子育て政策を充実させ、又は社会規範そのものを変える努力を、他の国の政治家は向き合ってきたという歴史があるようだ。アメリカは制度としては遅れた国だが、社会規範としてのジェンダー平等の考え方は進んでいった(もちろん反対勢力も根強いのだが)。また会社の圧力があったとしても、能力の高い個人が、交渉によって自分の働き方を選択していった、という背景もあるようだ。いい意味で個人主義を主張できる土台があったし、社畜としての生き方が、個人のしあわせに直結しないということを、知っているためであるようだ。
 そのような日本を変える政策提言もちゃんとなされている。日本のジェンダー平等は、女性が男性のように働けるように後押しをするか、男性がこれまで通り働けるように、女性の働き方を限定させる制度政策であった。ジェンダー平等とは、お互いが歩み寄ることであるから、男性が女性の側に歩み寄れることの方が重要なのだ。子育てや家事は、そもそもが女性だけの仕事では無いのである。さらに具体的には、たとえ短期間でも男性の育休を義務化すべきというのも、日本においては有効だろう。
 いくつかのテーマは別に論じても面白いので、書評としてはここまでとする。外国人の提言を面白く感じない人がいることも知っている。しかしこれは、日本人の声を反映させて、日本を愛する日本に住んだことのある研究者がまとめた結論なのである。一般的な常識となり、政策提言が実行されることを切に願うものである。
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