カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

昔の人は悪かった   神阪四郎の犯罪

2023-07-27 | 映画

神阪四郎の犯罪/久松静児監督

 原作小説があるらしい。法廷劇で、過去に何があったか、法廷の合い間に劇が挿入されて物語は進む。神阪は雑誌の編集長だが、横領の上愛人との無理心中(愛人だけ亡くなる)をしたために、法廷に掛けられている訳だ。雑誌社の社長、著名な評論家、雑誌社の女社員、神阪と親しい女性歌手、神阪の夫人がが、それぞれに神阪の悪事や過去の行いについて証言していく。それに合わせたエピソードも交えて語られる神阪の姿は、小心者で狡猾で、しかし女にもてる面があり、かいがいしく世話しながら、お金を使い込んで徐々に破綻していく被告人そのもの現在である。
 ところが物語が一変するのは(それぞれの証言でも微妙に発言のずれはあるものの)、神阪本人が弁明に至ってからである。それぞれの人々が勝手に神阪を語る事実には、それぞれの都合が混ざっているのであり、決して事実はそうではなかった、という反論である。世界ががらりと変わって見えていくのである。
 多くの人が当たり前のように感じるのは、他でもなく日本映画の金字塔「羅生門」っぽさであろう。事実というのは、語る人の視点だけあるのであって、一つの純然たる客観的なものなど無い、という真実を突き付ける物語なのだ。
 さて、しかし、劇中の若き日の喜劇俳優森繁久彌の演技が、何とも言えない味のあるものなのである。卑屈な演技から堂々たる答弁まで、本当に神阪が多重人格であるかのような使い分けである。そうしてその神阪のすべての顔が、森繫として確立している。
 僕の若い頃には森繫は非常に持ち上げられた名優としての大家だったが、当時はほんとにそんなもんかね、くらいにしか感じていなかった。なんとなくワザとらしい演技にしか、僕には見えていなかったからだ。しかしながらこの映画を観て、認識を改めざるを得ない。大変に失礼いたしました。ほんとに上手い俳優さんだったんだね。すんません。
 ということで、古い映画であるにせよ、見事な娯楽作品である。昔の日本人は、ほんとに汚い心の人が多かった。それを見るだけでも、ずいぶん面白い体験である。日本人って短時間で、こんなに変わってしまったのであった。
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