カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

貞子の生まれたわけがある?

2023-07-06 | ドキュメンタリ

 サブカルの90年代のことが語られる番組を見たメモ。
 この時代の印象的な映画として「リング」が取り上げられていた。これは世界的にも日本的なホラーとして著名で、印象深い作品だったということである。もちろん僕らにとってもそれは同じはずだ。熱狂とまで言わないが、なんだか当時も新しさのようなものは感じ取っていた。ものすごく恐ろしいが、別段血が流れるわけではない。スプラッターホラーでは無いが、貞子というアイコンは、新しいタイプの恐怖の象徴となった。
 どうしてこのような映画が90年代にできたかというと、80年代に起きた宮崎勤による連続幼女殺人事件が契機となって、日本では視覚的に残酷なホラーが自粛して作られなくなったからなのだという。
 確かに日本のそれまでの映画は、切った張ったのスプラッターものがものすごく多かった。タランティーノが「キルビル」を撮ったのも、日本映画へのオマージュだとされている。ところが宮崎勤の部屋には、幼女ものを含め、オタク的に趣味で、そのような映画や雑誌が大量に備えられていた。当時は今と違って「オタク」は、恐怖の対象となってしまったのだ。たとえそれが誤解だったとしても、人々はそのような描写の映画から影響を受けて、ひとは幼女誘拐や殺人を犯す人間を作り出したかのような錯覚を受けてしまったのだ。
 そうした影響と時を経て、ビデオテープから感染するように死の連鎖が起こるという物語が映像化された。それが90年代の象徴的な出来事として、我々の文化の足跡となったのだ。
 なるほど、と思うとともに、しかしながら、とも思う。確かに僕の少年時代というのは、えげつない描写の映画や、テレビ番組がたくさんあった。どれも胡散臭かったが、大人の匂いがしたことも確かだ。恐ろしいが、同時に憧れも抱いていたかもしれない。そういうものが量産されて、害悪が叫ばれていたこともあった。子供には有害なものだということだろう。ところが僕らは隠れてでも興味があれば見ることになる。そうやって消費する中で、段々と離れていった経緯もあったのではなかったか。要するに食傷気味になるような。作る側にもそういうのはあって、宮崎勤は契機にはなったかもしれないが、もうそろそろいいだろう、という頃合いと重なっていた可能性もなるのではないか。そんな風にも思うのである。
 貞子が生まれる背景としては、そのような連続性と解説がある方がもっともらしい。僕は知らなかったが、宮崎勤が実際の文化と何にも関係ないことくらいは分かっている。彼はそのようなオタク文化が生み出した怪物ではなく、そのようなものを欲した個人的な怪物なのである。
コメント
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