カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

失われた何かを求めて……   ある船頭の話

2021-10-08 | 映画

ある船頭の話/オダギリジョー監督

 新潟のどこか、らしいが時代は何時のことだろう。明治か大正か、はたまた昭和の初めなのか。そういう時代の川の渡し舟の船頭の話ということになっている。上流には立派な橋の建造が進んでおり、事実上その後は失業する運命にありそうだ。年も年だし。しかしぼちぼち渡しの客はあり、その客らとの会話の中で、船頭の立ち位置のようなことが分かっていく。そういうある日、上流から何か流れてきて船に当たる。それは怪我をした少女だった。上流の村では大量虐殺事件が起こり、その生き残りらしい。怪我が治ると徐々に少女は船頭とも打ち解けていくのだったが……。
 一応筋はあるけど、基本的には山深い場所に流れる川岸の船頭の質素な暮らしぶりと、その美しい風景を眺めるためのような映像世界である。そういう素晴らしい自然や生業のようなものが、静かに、しかし着実に失われていく悲しみを謳った物語と言えるだろう。
 そういう訳で、映像美はいいとして、なんとなく説教臭いのが玉に瑕という感じだ。謎めいたエピソードの流れは悪くないが、だからと言ってこれで良かったのかはよく分からない。良くは無いのだが、こうなってしまって滅びてしまうのみ、ということなんだろう。
 それにしても橋ができると一気に人々の行き来は盛んになって、とても船頭が渡していけるような人流や物流ではない様子である。またそれなりに大きな川なのに、雨が降っても静かな様子だ。ちょっとあり得ない感じがするし、あの小屋で生活し続けることは不可能に思える。それって温暖化以前の話だから目をつぶってしまえ、ってことなんだろうか。そういうところはなんとなく惜しいという感じ。
 それにしてもやたらにキャストは豪華で、資金がふんだんにあったのか、監督のオダギリジョーの人望が厚かったのか。とてもヒットするような内容ではないが、オダギリがこんな映画を撮りたかったのだな、という雰囲気は伝わってきて、ふーん、って感じかもしれない。科白廻しがこなれてない感じもあるが、架空の場所だし、客に伝わらない言語を話してもしょうがないので、割り引くしかないのだろう。しかしながら、僕らはいったい何を守ってこれから生きていかなくてはならないのだろうか……。
コメント
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