ひとよ/白石和彌監督
家庭内暴力の度が越している夫をタクシーでひき殺してしまう。それは母として子供たちを守るため最大の行いのはずだった。そして時は流れ、15年後に帰ってくると、タクシー会社はほかの人たちの努力で何とか続いているが、子供たちは大人になってそれぞれ荒れた様子になっているのだった。
なんとなく社会派のような雰囲気があるが、作り物である。地元では殺人を犯した人のいた殺人タクシー会社として憎まれているらしい。何か落書きされたり張り紙されたりしている。しかしながら営業はしており、きょうだいたちはそのようないじめに苦しみながらも、従業員などにはその状況を隠し通しているということなんだろうか。そういう迷惑行為は警察に言うべきだと思うが……。
ともかく母親が子供のためにやったことが裏目に出て、社会からいじめぬかれることになって、子供たちは暴力から解放されたにもかかわらず、今度は母親を恨んでいる様子だ。完全に裏目に出たという感じだが、実際はそのままでいたとしても、誰かが父親に殺されていたことだろう。
どうしてこんな感じの話の進み方になってしまったのかよく分からないのだが、たとえそういうことがあったとしても、それは誤解に過ぎない。世間はそんなことわからないのだ、ということかもしれないが、そういうタクシーが嫌な人が利用しなければ済むことで、しかし予約はあり固定客があることも見て取れる。逆に従業員たちは、残されたきょうだいを大目に見ながら、支えているのではないか。普通だったら彼らの方がこの子供たちを恨むはずで、もっと冷たくしていいのである。母親がいなくなって寂しい心情の子供時代だったという想像はできるが、激しく怪我を負うくらい暴力を受け続ける毎日より何倍も平和だろう。
もちろんそういう状態から曲がりなりにも再生することが示唆されているが、これもどうしてこれでそうなるのか、僕には理解できなかった。言ってみれば荒療治であるが、さらなる暴力の再生産のような気もする。もう一人の男の家族のその後は、あえて語られてもいない。うーん、まったくどうしたものかな、という感じだろうか。そういうのって、一度壊れたものは、やっぱりどうにもならないんだよね、ということなのではないか。そういう映画ならばそれでいいけれど、たぶん、そういうことじゃないことを言いたいはずなのだ。
ということで、かなり残念な作風だが、家庭内暴力の怖さは分かるとはいえるかもしれない。殺して解決する人がどれだけいるかは分からないけれど、本来はそれこそ本当に讃えられるべき勇気ではないだろうか(その前に離縁したほうが良かったけど)。