「マンション」という言葉が嫌いである。とはいえ、そんなこと言われたって何のことだか分からない人が大半だろう。単に口にしたくないというか(普段口にすることは、ほぼ無いが)、この言葉を聞くのもなんとなく抵抗がある。日本人同士の間柄だと、これは通じているので問題のないことだとはいえ、ちょっと指摘してみたい気もする。しかしその人が、実際にマンションに住んでいるような人であると、これは言ってはならない気もする。そういう感じが、なんだかもやもやと気分を乱すのだろうと思われる。
まだまだ何を言っているのやら? という気分の人がいる一方、ああ、そのことなのね、とぴんと来ている人がいると思う。でも、ぴんと来ている人の皆さんは、そういうときにどうしていらっしゃるのでありませうか。
時は学生時代にさかのぼるのだが、単にその時に香港人の友人が混ざっているときに、「マンションに住んでいる誰それが…」と言ったときに、「ああ、また日本人が間違いを」と言って笑われたのだ。「彼が住んでいるのはアパートメントで、マンションじゃないですよ」ということなのだ。それまで何の認識もして無くて気にもしてなくて、それにまだ携帯電話の無い時代でググることさえできない状況で、改めてマンション(mansion)が豪邸をさす言葉であることを知ったのである。しかしながらたとえそうだとしても、日本においては鉄筋コンクリートらしい少し高層の建物ならば、一般的にマンションである。僕一人が笑われる問題ではない。ついでに日本人の英語発音はひどくて、例えば外来語のスーパーケットでもちゃんとした英語発音では通じなくて、わざわざ日本語アクセントで単語を覚え直さないとならなくて、ほんとに日本語ってめんどくさい、と文句を言われた。それはお気の毒なことだとは思ったものの、やはり僕には責任を負いかねない問題なのは変わりないではないか。
まあ、そういった呪縛めいた思いが想起される暗号として、これが結構ふつうに聞こえてくる言葉なのだ。あちこちに新たに建てられるマンションの広告は見られるし、そうして田舎の街なので一戸建てに住むというのが基本形であったはずなのに、わざわざ日本語のマンションと言われる住宅に住んでいる人が増えている印象がある。中にはなんでそうするのか不明だが、マンションからマンションに移り住むような人がいたり、住んでもいないのに新しくできたマンションの部屋を買っておいた、などという自慢をする金持ちもいる。定年などの転機に、山間部の家から駅前のような場所に立つマンションに移ったというようなことを言う人がいる。確かに僕は学生時代からだいぶ時間を経過して、知った人がアパートに住んでいる状況の方が少なくなっているのかもしれない(まだ住んでいる人の方が親しみを感じるが)。多くの人が庭の手入れなどに時間を取られるよりも、狭い地域を歩いて回る程度の集合住宅のマンションに住みたがっているということなのだろうか。それは正確には分からないまでも、しかしマンションという言葉が日本語としては完全に定着している以上、この現象とライフスタイルは、ますます増殖の一途をたどっているとしか言いようがない。しかしながら(英語をあやつる)外国人だって一定以上いるはずの日本において、この言葉の意味をめぐっての軋轢の起こる機会は、増えているのではあるまいか。
もちろんだからと言って日本のこのような言葉を、どうにかせよと言っているわけではない。いや、どうにかして欲しい思いはあるものの、外圧で屈してしまう日本というのも情けない。もうどうしようもない事態にあることで、このように考えてしまう自分が、一番嫌なのかもしれない。