カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

移民に希望はあるか   希望のかなた

2021-10-24 | 映画

希望のかなた/アキ・カウリスマキ監督

 内戦シリアから逃亡してヘルシンキにたどり着いたカーリドだったが、難民と認められず強制送還されそうになる。そこでまた逃亡して、新しくオーナーの代わったレストランで働くことになり、疑似の住民カードも偽造してもらい生活できるようになるのだったが……。
 どういう訳か熟年離婚のようなことをして、今までの事業は清算して、その金でギャンブルをして資金を大きくし、それでレストランを買い取る男の話ともクロスしている。北欧の国が難民問題で国民世論が揺れているということは聞いている。執拗に難民を嫌う右翼的な男たちも嫌がらせをする。そういう問題と、それを自然に受け入れるロックンローラーのような人々もいるということかもしれない。カウリスマキ映画だから、そういう部分の説明は観ていてよく分からないようになっている。おそらく静かな演技や演出は、ギャグのつもりであるし、途中で店を立て直す時に寿司料理を展開するのもギャグである。面白いと言えばそうかもしれないが、なんとなく滑っていて悲しくもある。
 カウリスマキ映画の常連のミュージシャンが、時折劇中で演奏する。街頭でも演奏する。店の中でもやる。生活の中にこのような人たちが混ざり合っている。それは生活の彩であって、そうして分かちがたいものだ。音楽は、議論を吹っ掛ける思想ではないが、自分たちの心情も語り得るものかもしれない。そういう直接的にはモノを言わないが、自分らは自由に暮らしたい、ということなのではないか。たとえそこに異文化が混ざってこようとも、変わらず俺たちは音楽を演奏するのだ。
 そういうのは、勝手な僕の解釈の一つだろう。しかしながら、必ずしも外れてないはずだ。中には極右翼の連中だって音楽やるんじゃないの? って人もいるだろう。確かに音楽家だって偏った思想の人もいるだろう。まったく気にしてない訳じゃないけど、演奏しているときにはいちいち人の言うことなんて聞いていられないし、気分としては今の音楽と一緒に楽しんでもらえたらいいのだ。結局はそういうことで、自分の偏った考え方だけを頼りにして、首を突っ込んでいったところで、ろくなことにはならないのではないか。そうしてこの物語もその問題から離れられず、何かはたぶん大きく損なわれてしまう。はっきりは分からないが、そうやって希望の芽は摘まれていってしまうのであろう。
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