羊と鋼の森/橋本光二郎監督
新人調律師と、ピアノ弾きの姉妹。または、さまざまな事情を抱えながらもピアノを弾いて楽しんだり、自分と向き合ったりする人たちと、その裏方に徹しながら調律師という職業がなんであるのか、ということを学んでいく成長物語。原作小説があるらしい。
当然だが、ピアノの調律というのは、非常に繊細で独特のセンスをもって取り組まないことには、ピアニストの個性を最大限引き出すことができない仕事のようだ。音楽の旋律前の音源を作り出すことに、非常にデリケートで激しい舞台裏の世界が繰り広げられることになる。そこにそのピアノに向き合う個人のドラマがある。そういう立ち位置にあって、調律師は本当にどのような状態の調律を行っていくことがベストなのだろうか。
僕はクラシック音楽のことはまったくわからないのだし、こういうことに口出しすべきではないのかもしれないが、以前にもピアノメーカーがピアノコンテストで自分の社のピアノを使ってもらえるように奮闘するドキュメンタリーを見たことがある。凄まじい戦いの場が、ピアニスト以外にもあったんだな、と感心したことだった。しかしながら同時に、このような繊細な世界で、いわば後進国の日本が立ち向かっていくことの違和感も覚えた。やはりこれはあちらの貴族文化のようなものがあって、それに仕えるための職人階級のようなものがあるのではないか。そういうものとともに、音楽の歴史が刻まれてきたのだろう。
だからこそ素晴らしいということも言えるのだろうけれど、ちょっとやりすぎ感もある。僕なんかはギターを弾いているが、ピアノほど複雑でないこの楽器は、ふつうに自分自身で調律する。時々演奏中にも狂うことはあるが、まあちょっとのことだし、そこまで神経質には気にしない(これは個人差があります)。何しろ次の曲もあることだし。それにこういう調律のような自分にとってしっくりくるような感覚的なものを、人に任せていいものだろうか。ピアノは特別で、そうでなければ弾けない楽器だというのなら、まあ、そうなんでしょうね、というしかないが、こういう世界でいつまでもやって行こうというのは、自ら進んでいばらの道を楽しむようなものじゃないか。
だからこそ、いい話なんだということなんでしょうね。意外なことにそのまま恋愛が絡まなかったりして、展開の割には地味なんである。それもまじめに良い、ということなのかもしれません。