カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

バニーはどうして消えたのか   バニー・レークは行方不明

2020-11-06 | 映画

バニー・レークは行方不明/オットー・プレミンジャー監督

 アメリカから移住してきたレーク親子だったが、はじめて預けた保育園で、娘のバニーが消えてしまった。母親は当然慌てふためくが、保育園側は、そもそも娘は預かっていないと主張する。警察を呼んで捜査が始まるが、移住してきた娘の持ち物や痕跡すら消えてなくなっていることが明らかにされていく。そもそも娘のバニーは実在するのか、それすらもあやふやで分からなくなる。母親は未婚の母で、幼いころから空想癖があり、バニーという想像上の友達がいたことも、兄の証言によって明かされる。何か異常性のあるのは確かだが、娘のバニーの存在も含めて、いったい誰が嘘をついているのか、もしくは誰かが狂っているのか、段々と分からなくなっていくのだった。
 古典的な名作映画なのだが、現代人が観ても、それほど古さは感じないのではないか。確かにモノクロで、社会状況は今と違うことは見て取れる。出てくるアパートの怪しい住人もいるし、誘拐事件の目的は分からないまでも、変質者による事件は起こっている様子だ。その上で、観ているものや警察の捜査の進行が、誘拐そのものの怪しさへと進んでいく。そうして最後は一気にどんでん返しが起こるのである。どんでん返しが起こってから、少ししつこいが、しかしこれはこれで結構怖い。
 まず、最初から娘の姿が一切写されない演出なので、観客も主人公同様に、ひどく混乱の中に投げ出されてしまう。いったいなぜ、このような目に会わなければならないのか。しかし見ているものは主人公ではないので、その混乱を客観的にも俯瞰できる。観ているものは、主人公の女に同化していいのか、警察ともども疑えばいいのか、分からなくなるのだ。
 考えてみると、以前からこの映画の題名だけは知ってはいた。しかしながらなんとなく見ることは無かったし、この度たまたまBS放送がされなかったら、ずっと見過ごしたままだったかもしれない。なんとなくやっぱり見てみようかという気が起こり、そうしていわゆるアタリだったわけだ。他人の評判ばかり気にするのも良くないが、古典的名作というものは、評判通り観るべきということなのであろう。
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