長崎県というのはちゃんぽん文化というのがあるせいか、本来はあまりラーメンは食わない。いや、近年はよく食うようになっているはずで、それなりにラーメン屋はたくさんあるが、そこで素直にラーメンを食っているというのは、まだまだ大多数とはいいがたいのではないか。僕は長崎市や佐世保に住んでいる訳ではないので、そういう意味でも条件はだいぶ違うのだけれど、昼時にラーメン屋を探して入るというような習慣はない。出張なら高頻度でラーメンを食っていた時期はあるが、それは長崎ではなかったからだ。
でもまあ、ラーメンはやはり食いたくなる。もう中年もいいところですぐに高齢の自分が想像できるようになって、ぶくぶくすぐに太ってしまうので、〆のラーメンということはしないことにしている。勢いでそういう事情になったとしても、せいぜい餃子を食べるか、メンマなどをつまみにさらに飲んだりする。若い人や、まだ無謀な人などがズルズルいわせて食べているのを眺めて、なんとなくわびしい時間をやり過ごす。もう帰ったらよかったのだ。
複数の人と車で移動すると、サービスエリアなどでラーメンを食べる時がある。以前は僕が運転手というのは普通だったが、今はなんとなくこの役から外れることが多くなった。それでラーメンを食べてしまうと、やたらに眠くなるのである。自分がそうだったから、運転手役の人がラーメンを食っているのを見ると、その後がなんとなく不安になる。監視の目というか、それからの乗車後に饒舌になって、車内を盛り上げたりしたくなる。みんな寝てしまうと、運転手だって寝るのではないか。そう思いながら結局寝てしまって、目的地に着いて平和である。運転手さんありがとう、である。
近年は、何と醤油ラーメンを出すような店が、地元でも見られるようになった。一度佐賀にも醤油ラーメンがあるので驚いたことがあるが、それだけ日本が狭くなったせいだろうと思う。なんでも東京文化がいいと思っている人がいるとか、関東あたりから移ってきた人がいるということなんだろうか。嫁いできた人もいるだろうし、そういうのは仕方ないが、でもまあ、それは無いのではないかと保守的な自分がいる。単にそういうのは、寂しい意固地のようなものかもしれない。で、試しに食べてみたりして、うーむ、まあ、そうだろうな、と思ったりする。そういうものを食べることができるようになった自分にも、もっと驚くべきかもしれない。
少し遠出をすると、気に入った旨いラーメン屋というのはあるが、もうわざわざそういうことはしない。でもまあ、それで不満があるわけではない。ラーメンというのは、そこまで最高に旨くなくてもいいように思う。ラーメンらしい面構えがあって、小腹を満たすようなものであればいい。でもまあ、それでも旨いわけだから、なかなか偉いのである。もうあんまり食わないと言いながら、やはりときどき食っているのである。今日は食いに行かないが、明日は食べているのかもしれない。