ジョーカー/トッド・フィリップス監督
街のコメディ事務所というか、チンドン屋タレント派遣(ピエロとして)のような仕事をしているアーサー。基本的にはコメディアン(ピン芸人)になりたいと思っているようだが、精神も病んでおり、同じく精神も不安定で介護の必要な母親と二人暮らしだ。その精神の病気が関係してか、極度の緊張や、何か嫌な感情が湧くと、笑いが止まらなくなるという病状が出る。いわゆる不気味な男で、何か周りの人間は近寄りがたい。過去に何か秘密のようなものがあるらしく、母親が市長候補に寄せる思いと相まって、自分の出自も気になっている。ガキのチンピラからは絡まれ、仕事の上司もまったく理解がない。そういう最悪の生活の日々にあって、電車の中で女に絡むふざけた三人組の男達を見ていると、突然笑いが止まらなくなる。当然バカにされたと思った三人組の男たちは、ピエロの格好をしたアーサーに絡みだすのだったが……。
精神病の状態が悪くなるアーサーの視点と、現実に起こっているゴッサムシティの市長選や暴動の様子が混ざり合って同時進行していき、何が現実のことで、何が夢のようなことなのか境が分からなくなる。ただし物事は進行し、何事かのメタファーを孕みながら、着実に歩みを進めていく様子だ。テレビでコメディを紹介する番組を好んで観ているアーサーは、実際にその番組に出て、自分の芸を披露するさまを想像し、しきりに練習する。実際のコメディの出来栄えはさておき、立ち振る舞いやダンスは身についている。しかし面白い話なんて、何一つ形になってはいないのだった。自分の置かれている境遇はますます怪しく苦しくなっていき、そうすると比例的に世間の騒ぎも大きくなり、その悲劇がまさに悲劇的にも見えるんじゃないか、と本人は考えているのである。
よくできた映画だというのはよく分かるのだが、正直言って途中からはそんなに面白くない。先が見えるというか、予測できるというか。それでもしつこく笑い声をあげ、その精神病で苦しむ狂気が、正当なものとして描かれていくことが、観ていても苦しくなっていく。病気に対して、最初はプロもかかわっているはずだが、そのまま放置されたことによる悲劇としか捉えようがない。街では社会現象になっているから、それなりに自分の持っている狂気の正当性のようなことになっているものの、いわばそれは勝手にそうなってしまっただけのことで、自分自身が持っている狂気の巨大な形成のされ方としては弱いという気もする。ほとんどの願望は現実ですらないので、実際には何も起こっていなかったはずで、その説明はないにせよ、実際に起こった事との説明のようなものがあると、さらに物語は深みが増したのではなかろうか。まあ、あえてその謎解きを省いて、強大な悪であるジョーカーが生まれたのだということなんだろうが、そもそもジョーカーがなんであるかさえ知らない人には(僕もヒース・レジャーみたいなものしか知らないわけだし)、結局何だったのか、で終わる話だろう。特に面白い話でもないわけだし。
ということで、何かが起こるはずだということがそれなりの中盤に起こって、そのまま停滞したと思ったら、後半にもそんなにたいしたことは起こらないようにも感じた。もうちょっと爆発してくれると、恐らくそののちのバットマンとの戦いも面白くなるのにな、と思った次第だった。