
いよいよ「洋楽シーカーズ」が終わってしまう。時のたつのを止めてしまいたい。終わらないで3月。(※ という事で、とっくに終了してしまいました。最終回は永久保存版として、僕のMDストックに保管されるでしょう。ひょっとしたら終わらないというか、代わりの番組などのアナウンスがあるかもしれないと最後まで聞き耳を立てていたのだが、結局そんなこともなく、あえなく番組は終了してしまった。こんな切ないことは近年そんなにあることではないのである)
洋楽と言われるものを聞いている世代の高齢化もあるし、現実にロック的なものというのが小規模化してもいて、最大の市場である米国であっても、若者が聴く音楽というものが、たとえばヒップポップなどに、シフトしているのかもしれない。また日本人においても、若い人はふつうに日本語のポップスやロックを聴いているのではないか。サブスクで聴いている人が中心だろうし、実際に僕もスポーティファイとアマゾンを聴いてたりするので、それは当たり前なのだが、いわゆる昔ながらのロックを聴いているような人は、完全に少数派化してしまったということなのだろう。
渋谷さんからの流れとはいえ、選曲自体も渋谷さんのものとは基本的に違う。世代が近いので被っている部分はあるにせよ、渋谷さんは意識的に、それなりに今現在売れているものを選曲していた、ということがあたらめて分かった。僕としては慣れもあったかもしれないが、ついていけてないところもあったのである。伊藤正則さんの選曲には、その変わらないブレのなさのようなものがあって、そういえばそうだったな、と思わせれるものが結構あった。いつの間にか聴かなくなったいにしえの音が、懐かしかった。そうして大貫憲章さんなのだが、これもかなり独立系というか、知らないものが多かった。名前が覚えにくい感じもしたが、なるほどいまだにこういうロックンロールってあったんだな、とか感じ入ってしまった。とにかく二人は素晴らしいのである。
そうしてその掛け合いというか、お話も面白い。昔話もあるが、バンドのメンバーの話なんかもふんだんにされていて、確かにそんなような解説を長らく聞いていなかった、ということも思った。以前はレコードやCDを買ったら、ライナーノーツを読んで、メンバーの名前を覚えながら曲を聴いたものだ。いつの間にかそんなこともしなくなり、曲名さえ覚えなくなった。それが当たり前になって、何十年も経過してしまっていたのだ。
要するに、かなり昔の自分に戻っているのに気づかされた。以前のスタイルというところまでは行かないが、昔の気分が蘇るような曲がいまだに鳴っている。その既視感のようなものがいつもあって、新しいのだが同時に若返るような気分と爽快感がある。ちょっと名前を覚えられないそれらの新しさは、いまだに続いている若いロックの志のようなものだったのである。
やっと終わった青春に気づかされるように、これからどうしていいのか分からなくなってしまった。いったいどうしたらいいのでしょうか……。