銚子・角巳之・三代目

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晋作1位!

2007年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

000_0838 先般、NHKの歴史番組で最も好きな歴史の人物、言葉について特集を組んでおりました。坂本竜馬とか、織田信長が1位か?と思いましたら、意外や意外、1位は高杉晋作でした。先日掲載させて頂いた言葉と共に。おもしろき・こともなき世を・おもしろく....。何故今、晋作とこの辞世なんでしょうか? 高杉晋作は学校の優等生タイプでは全く無い。しかも激烈な性格、真面目にコツコツとは正反対にいた人物。しかし、その志は強く、本気で国の有り様を考えていたと思います。高杉には周布政之助(すふまさのすけ)という大きな庇護者がおりました。坂本竜馬に対する勝海舟と同じ。周布は長州藩の家老(体制側)でありながら、反体制の高杉を庇護する。あまりに過激な性格ゆえ、高杉の身を案じた周布は一時、高杉を投獄します。何故投獄されたか分からない高杉は周布を恨みますが、周布はこれで彼の命を救えた。と一言。投獄されなかった仲間が、次々と死に急ぐ中、高杉は周布の思いを知る。やがて周布は藩内混乱の責任を取って自刃。四面悉く敵の状況の中、指名手配されていた晋作は小倉に逃げますが、周布の死を知り功山寺(山口県のお寺)に姿を現します。“ただ今より長州男児の肝っ玉をお見せする”と僅か70数騎を率い状況を一気に逆転させます。世に言う功山寺決起です。高杉晋作は現代をどう見ているのでしょうか。


鬼のげんこつ漬け

2007年03月30日 | イベントに参加

_001_1 写真が生ザーサイの加工品。商品名は“鬼のげんこつ漬”です。面白いネーミングですが、確かにザーサイの根から茎の部分、げんこつ(拳骨)の形に似ております。何度か食べました。味ですが、美味しい野沢菜付けの味に近く、ちょっとピリ辛。酒の肴はもちろん、刻んでチャーハン等でも美味しいです。この春から東京、横浜の百貨店でも販売が始まるそうですし、生のザーサイは中華街はじめ某有名中華料理店の定番商品だそうです。確かに納得です。詳細は以下、HPをご参照下さい。http://www.joyoliving.co.jp/special/localtaste/vol_007/localtaste00702.htm


生ザーサイ

2007年03月29日 | イベントに参加

_002 写真は生のザーサイ。日本で唯一、生ザーサイを生産している方が、茨城県の筑波におります。苦節20年で日本の風土に合う生のザーサイ生産に成功したそうす。生まれて初めて生ザーサイなるモノを見ました。確かに根っこのところをスライスすると、中華料理店などで見慣れたザーサイの形をしている。食べてみると....、何だこれは!という食感と美味しさです。根っこの部分はスライスしてサラダに。葉の部分は豚肉等と油炒めで。捨てるところがありません。先般“無農薬”というタイトルで掲載しました写真、実はこのザーサイです。種蒔きして一回だけ農薬散布。それ以外は全くの無農薬。初期に撒いた農薬も、若葉の頃から成長していく間に残留も無くなる。あとは、てんとう虫さんはじめ、自然の力任せ。故に20年もの間、どうしたら生産が軌道に乗るかご苦労の連続だったそうですが、売り場に並んでしまうと、その過程はなかなか伝わらず、珍しい、高い、安い、美味しい、不味い...、こういう単語で片付けられてしまう事が多い。残念な事です。印旛のグリーブさんで販売が始まっております。ここでは大勢の生産者が集い、お客さんと語りに語る場が形成されております。生産者、“なかにし農場”の皆さんも来ている事があり、一つの単語の奥に秘められた多くの物語を知る事が出来ます。基本的にザーサイは冬の野菜。生の出荷は終りに近づいておりますが、加工品は通年販売です。詳細は明日。


肉!

2007年03月28日 | イベントに参加

_024 こういう食べ方を、野趣(やしゅ)溢れる。というのだろうと思います。昨日の丸焼き。解体が終わった部位を再び、火の中へ。不思議な事に、タレなど何も付けずとも美味い。雰囲気の演出もあろうかと思いますが、こういうことは絶対に家庭では出来ないので、やはりイベントの醍醐味だと思います。そこに行かないと感じられないし味わえない。脂が美味しいからバラだとか、赤味のモモが良いとか、そんなの全く関係なし。どの部位を食べても美味い。ロースは高い、スネは安い...というのも単なる既成概念に過ぎない。とこれ食べて改めて感じました。ただ焼いただけですが、どの部位もシットリとして、濃厚な味わい。“ただ”焼いただけ。と書きましたが、この“ただ”がクセ者。シンプルな料理ほど奥が深いです。調理に当たった方々が一昼夜という時間を掛けて作った作品。調理法はシンプルでも、相当の手間が掛かっております。こういうのを見ると反射的にロースのところとか、肩ロースのところを。とおっしゃる方がおりますが、これあくまでも既成概念。普段知っている部位の“値段”=美味しさの優劣と考えてしまうと、こういう場で美味しいものの発見を逃してしまうかもしれません。魚も同様だと思います。トロだけのマグロはいないし...。あばら骨の周り、スネ、肩関節の周辺....味付けをしていないはずなのに....。沢山の発見がありました。


豚の丸焼き

2007年03月27日 | イベントに参加

_007 先週末、印旛のグリーブさんに行って参りました。当日は豚の丸焼きイベント実施中。豚の半丸(一頭の半分)を約4時間掛けて丸焼き。半丸は2本(一頭分という事です)ありましたので、計8時間。準備その他で、社長を筆頭に前日から寝ずの番をされていたようです。苦労の結晶ということでしょう、この丸焼き実に美味かったです。味付けは何もせず、炭火で丸焼きするだけ。“だけ”と書きましたが、この手間は半端ではありません。丸焼きにすると予め切ってから焼くのと違い、肉の繊維は断ち切られておらず、旨み成分がすべて肉中に残るという事らしいのですが、こういう食べ方、まず出来ません。グリーブさんならではの醍醐味です。久しぶりに“肉を食った”という感覚になりました...。ところでデジカメを紛失してしまったので写真は撮れないと半ば諦めておりましたが、銚子の後輩でトレーニング仲間(別名:虎の穴:いずれ詳細を掲載します)のK君(身長190㎝、最近は減量して95㎏)が最新式のデジカメを貸してくれたので、この豪快な写真が撮れました。感謝、感謝です。この日は他にも面白い商品が並んでました。明日からその一部を掲載させて頂きます。


カメラ紛失...。

2007年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

100_1246 あるもの探しの必須。デジカメを紛失してしまいました....。事故には遭うわ、大事なものを無くすわ、でこのところ災難続きです。ただ、こういう時に楽観する大馬鹿者ですから、これら事象をすべて前向き、むしろ吉兆の兆しくらいに考えております。大難が小難で済んでいるし....。カメラですが、ちょうど買い換えようとは思っておりました。手ブレも大きかったし、船の出漁前、花火など夜の撮影が出来ない。最近の機種は光学補正で手ブレを抑え、夜の撮影も良好と、何度かお店を訪ねて確認しておりました。が、カメラ。買い換えようと思っていた事は確かですが、新天地に飛び込んでいつも一緒に行動しておりました。ある意味同志のような存在だったのでショックは大きいです。その日の行動を思い出し、行ったところはすべて確認、警察にも紛失届けを出しましたが、未だ見付かりません。どこかで痛い目に遭っているのではないだろうか?とか、変な心配が止まらずにおります。だったら無くさないようシッカリと管理していれば良かったんだ。と言う事で、全く弁解の余地がありません。首から提げていつも一緒でしたが、その時だけはポケットに入れていた。車を降りた時にどこかで落としてしまったようです。全4228枚。そのデータはすべてパソコンに入っております。無くした私が一番悪いのですが、とにかくあのカメラには申し訳ない気持ちで一杯です。1週間くらい前までに取り込んだ写真は何枚もあり、買い替えまで当面の間は“日常”というより、エッセイ等を掲載させて頂こうと思っております。


舌切り

2007年03月25日 | 銚子のうまいもの

Photo 写真の向きが反対でした....。すいません。写真は“舌切り”という商品名でした。これアオヤギです。貝の、江戸前天ぷらのかき揚げなどに使われるヤツです。これ以前何度か掲載しました、渡船場のK店さんの一品。K店のマスターから許可が出ましたので、これからは実名で掲載させて頂きます。店舗名は香海(こうかい)さん。イワシの骨せんべい始め名物多数。水揚げ直後の新鮮な魚が安価で食べられると評判のお店です。東京からお客さんが来た時、“銚子の魚だ”と胸を張ってご紹介できるお店の一つや二つは知っていないとダメだ。という事で何軒か先輩方にご紹介を頂きました。この香海さんは東京にいたときから知っていて、こういうモノは東京では食べられないな~。といつも感心しておりました。上京してからも年に4回、バスケットの市民大会があって、無論全部は無理でしたが、極力帰るようにしておりました。盆と正月にはOB会も。こういう“場”があると、銚子以外に住んでいる人も、生まれた街や家を遠くから思う動機付けになったりします。バスケットの打ち上げは香海さんが多く、夜9時頃のバスで東京に帰って行ったことを懐かしく思っております。が、今は銚子でお客様をお迎えする側。外食の機会は多くは有りませんが、先輩・後輩・同級生に交友関係の広い人多数。そういうお店も許可あればどんどんご紹介して行きたく思っています。すでに掲載させて頂いたNYさんとか、Iさんとか、Aさんとか...。香海さんですが、マスターが、このブログ見た。と申し出があったお客さんには何か1品サービスしないとな~。と言ってました。アルコールは入っていなかったので、本当だと思います。


422・市町村消滅②

2007年03月24日 | インポート

100_1270 孤独死の問題を何故書いたかと言えば、銚子生活丸二年の間に、私の住んでいる地域(小学校の学区)で独居老人の孤独死が5名も出た事が一因。これは過疎地特有の問題なのかと思っていたら、報道や東京の友人から高島平、戸山ハイツの問題を聞きました。折りしも、維新の立役者に付いて話していたところであり、辞世の句などに思いを致すとき、この孤独死とは何なんだろうと思っています。評論家のような事を言うつもりはありませんし、いつもの如く、私は偉そうな事が言えた立場ではありませんが、人生一度きりの中で、その終焉が孤独。悲しい話です。所詮、人間は孤独なんだよと強がる方もおりますが....。話は飛んで...。銚子のある企業が募集広告を出した。1ケ月も経って反応はゼロだそうです。給料は東京の20%~30%安。ですが、肉体労働ではなく、商品の営業職です。仕事があれば銚子に帰りたい。2~3割給料が少なくても、物価水準を考えれば我慢せねば...。そういう話も聞きました。ただ反応が全く無い。肉体労働などいわゆる3K作業でも無いのに...。刺激の無さ、狭い街で色々な噂が飛び交う煩わしさ....。地方都市に住んでいれば誰しも感じる事。この事と、孤独死の問題を関連付けるつもりはありませんが、地方都市から人が離れていくのは、ただ仕事が無い。という短絡的な問題だけでは無いな。と感じております。誰しも年をとるし、東京ですら人口減、孤独死が社会問題化している昨今。彼岸を過ぎて一段と春らしさを感じる今日この頃、利根川に沈む夕陽を見ながらそんな事を考えておりました。


422市町村・消滅

2007年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

100_1274 確か1ケ月くらい前だと思いますが、新聞報道で、今のままの財政難、過疎化が続けば、数年以内に日本国内422市町村が消滅するという話題が掲載されておりました。これから全国的に人口減少時代へと突入し、東京ですら2010年をピークに人口減少が始まるとか。また東京においては、独居老人の孤独死が社会問題化しているとありました。特に高島平や戸山ハイツなど、かつてのマンモス団地でその傾向が強いと。私は東京17年のうち、10年を新宿区戸山町で過ごしました。桜の名所・戸山公園と戸山ハイツに囲まれた一角で、新宿という大都会に居ながら、非常に静かで過ごし易い地域でした。5年ほど前から戸山ハイツの高齢者単身世帯の問題は顕在化しておりましたが、昨今さらに悪化しているようです。高島平にしても戸山ハイツにしても、昭和30年から40年代に建造され、30代前後の方々がご家族で入居された、当時もっとも話題の先端を行く地域。それから30年以上が経過した今、ゴーストタウン化するのではないかという危惧がされるほどになってしまっている。何故なんでしょうか?田舎の過疎化は織り込み済みで、それは考えようによっては地域の結束を強める方向に向かう可能性がありますが、“大都会の孤独”というのは、表の喧騒や賑わいが自らの寂しさに拍車を掛ける。維新の立役者達の先日、辞世などを書きましたが、人生の終焉が孤独死。日本は世界一の長寿国と言われておりますが....。続きは明日。


エゾイソアイナメ

2007年03月22日 | 銚子で揚った珍しい魚

100_1132 写真はエゾイソアイナメ(別名:ドンコ)かと思います。チゴタラという似た種の魚かもしれませんが、この辺の判別は今のところ私には不明です。多分ドンコだろうと思いますが....。ドンコですが水深数百メートルのところに住むものから、沿岸のテトラポットの中などに住むものまで色々だそうですが、写真は浮き袋が飛び出てしまっているので深い海のものでしょう。釣りなどしてドンコが掛かると、ケッ、ドンコかよ~。となるのですが、浜の大先輩に聞くと、そんな事を言っているうちは魚の素人なのだそうです。この魚の味が分かるようにならねえと、お前らもまだまだガキだな....。と言われました...。味噌汁の他、“なめろう”にしても美味いのだそうです。今度早速試してみます。


行蔵は我に

2007年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

100_1252_2 行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。勝海舟の言葉です。行蔵とは自らの行動や出処進退。毀誉とは褒められたり、けなされたりする事。冒頭の言葉、福沢諭吉に、(勝は)旧幕臣でありながら明治新政府においても厚遇を得ていると皮肉られた事に対して発せられたそうです。大物同士の喧嘩、かなり深いです。要するに自分の信念で行動。他人がどう言おうと関係ねえや。という江戸っ子、勝海舟の痛快さが察せられます。その勝海舟、幕末にあっては幕府の要職にありながら、その体制維持に奔走するのではなく、坂本竜馬はじめ、その体制を壊そうとする勢力を庇護している。体制側の要人が、反体制勢力に力を貸したのは何故なんだろう。という事ですが、勝海舟は時代の変わり目をハッキリ見据えていたということでしょう。“一大共有の海局”という言葉を掲げ、いつまでも幕府だ薩摩だ長州だと言っていたら、欲望剥き出しで植民地支配を続ける欧米列強の餌食になってしまうと解きますが、理解されずに謹慎処分。ただ黙っていられる方では無く、この謹慎期間中に猛烈な勢いで国のあり方を模索したそうです。高杉晋作28歳、坂本竜馬33歳...、維新の立役者が若くして次々にこの世を去っていく中、71歳まで“生き”続け、古い時代の整理を行い、新しい時代の扉を開けました。痛快な語録を多く残した方で、私も大ファンの一人であります。特に“生き”続けて、時代と時代の橋渡し役をした。という事に深い共鳴を覚えます。彼の最後の言葉は“これでおしまい”だったそうです。


万物元来始終あり

2007年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

100_1249_1 昨日の続き、この方、歴史に対して非常に造詣が深く、高杉晋作の話も出て参りました。私も歴史好きゆえ、話が止まらなくなる....。高杉晋作は維新回天の立役者。吉田松陰の門下生で、暴れ牛と呼ばれた激烈な気性の持ち主です。海からは四カ国連合艦隊、東からは長州征伐隊、長州藩内ではクーデター、四面悉(ことごと)く敵。という状況の中、わずか70数騎を率いて功山寺というお寺で決起する。この決起が維新を決定づけたと言っても過言ではありません。動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。今なお高杉ファンは多いです。辞世は、おもしろき・ことも無き世を・おもしろく....。ここまでで絶命してしまったそうで、後に尼僧が、すみなすものは・命なりけり。と付け足したそうですが、高杉ファンとしては、ちょっと違うかもと思ったりします。高杉の句、万物元来始終あり・人生いわんや百年の窮(きゅう)少なし・名を競い利を争う、営々として没す・知らず何の楽しみかこの中に存せん。物事に始まりあれば終りがある。そう100まで生きる人は稀である。名を競ったり利を争ったりして人生を終える。この中に何の楽しみがあろうか?(いや、無い)西郷さんのような超人的な凄みはありませんが、世の中を斜めに見たようなある種の生々しさを感じます。高杉晋作のこの生々しい個性が、明治維新の起爆剤となり、その後歴史を大きく動かす原動力になって参ります。万物元来始終あり。今を一生懸命に生きろ。心の底から楽しめるものを探し、楽しめ...。これまた深いです。


白髪衰顔....。

2007年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

100_1251 先週末、東京の某企業を役員で定年された方とお話させて頂く機会が有りました。やはり役員さんだった方なので、話の領域は広く、かつ深いものがあり、本当に有意義な時間でありました。これからの時代をどう読み解くか?について、やはり振り子の揺れを指摘されており、急激なデジタル化、スピード化について人間の防衛本能が働き、アナログ、スローという切り口が不可欠になるのでは?というご指摘。私も全く同感です。またこのまま行けば食糧危機、エネルギー危機という問題も避け得ない。環境問題は漠然とした問題から具体的な問題へと移行し、人間の生活は何らかの制限を受けていくであろう......。そんな中でご自身の今後に話題が移りましたら、西郷隆盛の辞世の句が出て参りました。白髪衰顔(はくはつすいがん;)意とするところにあらず・壮身(そうしん)、剣を横たえて勲無きを恥ず・百千の窮鬼(きゅうき)、我なんぞ恐れん・脱出せん人間虎豹(じんかんこひょう)の群れ。年老いて白髪や顔にシワが寄った顔など気にする事は無い。むしろ年老いて闘う気力が失せたことこそ恥じる。幾多の困難何するものぞ、さあ群れから脱しよう。この句の解釈、実は非常に深いのですが、簡単に意訳するとこんな感じでしょうか。歳月を重ねただけで人は老いない。気概を失えば30歳でも老人であるし、65歳でも青春である。ちょっと格好をつけて言うとこういうことでしょうか。心の若さを持った方は世代を超えた交流を持ち、それが社会全体の活力になっていく事と思います。


タカアシガニ

2007年03月18日 | 銚子の魚

100_1130 これ、タカアシガニだと思います。深海のカニで、伊豆あたりでは名物になっているはず。銚子でも中型底引きなどで時々見掛けます。食べた事はありませんが、グルメ(この言葉、死語でしょうか)番組で“美味しい~”とやっているので、きっと美味しいのでしょう....。食べた事が無いのでノーコメント。数量だけでなく、魚種は年間500種以上と言われる銚子港。本当にいろいろな魚が揚がるものです。


コウイカ

2007年03月17日 | 銚子の魚

100_1202 写真はコウイカ。別名:墨イカ。イワシの混ざりモノで、水揚げから数時間経過してしまったため色は白くなってしまっておりますが、市場で見た時は茶褐色をしておりました。背中に石灰質の硬い殻のようなものがあり、その中に針ともトゲとも付かない部分があるため、地域によってはハリイカ、トゲイカなどと呼ばれる事もあるそうです。かれら2ハイは、この数時間後、切り刻まれ納豆と共に私の胃袋に入ったのでありました....。合掌。