銚子・角巳之・三代目

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労働の対価⑤

2008年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2852 みなし管理職、名ばかり管理職の問題が連日報道されてます。今週発売の週刊誌には主婦の家事労働に対する労働の対価....、その背後には恐ろしい恐怖が...、金銭的な稼ぎだけで労働の対価を決め付けると、寂しい老後を迎えますよ....こんな論調。まあ良く言われていることでありますが。先日、ある友人農家のご長男が、10年勤務されたサラリーマンを辞め、農家を継がれました。今すぐ継がなければならない理由はないけれど、今動けないなら、一生動けない。動けないなら廃業する。決断を延ばすと弟や妹に迷惑が掛かる....。高齢者二人(ご両親)の農業で、続けられるまで....と逃げていたけれど、現実を思い知ったとの事。働いてないとボケちゃうから....と言うけれど、現実は働かないと生きていけない。周囲に若手がいないから力作業できない。愚痴を言うはけ口もない.....。自分はサラリーマンになって、会社の厳しさを目の当たりにしている。これらに耐えているから毎月給料が貰えて、厚生年金も積み重なっていく....。農業やってたら上司に怒られることもないし...、そんな事してきたから今働かないといけないんだ....。そのくらいに思っていたそうです。“その時”が来たら考える。という人、かなりいます。でも私の狭い経験の中で、その時が来て考えた人は殆どいない。またその時が来たのに動いた人、皆無に近い。前出の方、結局のところ逃げなんだよね。逃げと言われたくないから自分に都合の良いように考える。でも結婚したり、子供が生まれたりすると嫌でも家の事を考える。自分はそこで育ってきたんだよな~。で、農業継いだけれど、大赤字。必死に頑張る彼を見て、親類の方々から、自立できねえくせに....。でも彼、言ってました。農業を放棄した親類、安全地帯から何言ってるんだろうね....。せせら笑う彼らに労働の対価、教えてあげたいね....。という事でありました。


労働の対価④

2008年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2936 この話題、日を改めてまた掲載しようと思います....。労働には二種類あるそうです。“牢働”と“朗働” 前者があたかも牢屋に居るかの如く、自らの周囲の小さな価値観に囚われて、他者を認めず、目に見える範囲のことでしか判断できないのに対して、後者はどんな状況でも朗らかに....。何事も朗らかに行きたいものです。


労働の対価③

2008年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2937 経営者の方々と事業の打ち合わせをする。事業計画書、収支の見込み....、でもそんなのやってみないと分からない....これ本音。横文字並べて立派な計画書を作ったところで。それらを遂行するのは喜怒哀楽の感情ある人間。一般論でではいくらでも言える。でも必要なのは“当事者”としての自覚や“想い”....。よく言われること、あなたはそれを達成するために何を差し出しますか? え?何のことですか?という事なんですが、要するに当事者としての覚悟の問題。当事者でなければ、いくらでも意見言える。安全地帯にいるからです。当事者としてはそんな意見、参考にもしていないことが殆ど....。お前、そんな事業考えてるとして、週休二日で、年に2回は家族で旅行、週末は外食して.....。そんな事考えてるんなら止めた方がいいぞ。あなたはそれを達成する代わりに何を差し出しますか?.....。日常良く耳にする言葉です。誰だって失敗しようと思ってチャレンジしない。でも失敗もあり得る。“代償”....、重い言葉です。ある行為に対しての償い....。何か不祥事が起きる。責任とって辞任します....。これ責任の取り方じゃないよね。責任を取るとは、その行為によって生じた問題の代償として、自ら不利益になるような状況を受け入れる事....なんだそうです。確かにそうかもしれません。辞めてしまえば不祥事の後始末しなくて済む....、悪口、非難も時間が経てば忘れ去られるだろう....と。たまったもんじゃないのは、残された方々。なんで俺らが後始末しなきゃならねえんだ....。男気出して、火中の栗を拾いに行ったら大やけど....。良かれと思ってやったのに....。でも神様は見てるんですけど...。本当に見ている。ちょっと本日は分裂気味で....。


労働の対価①

2008年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2958 関東近県でも、来月の“田植え”に備えて準備が始まっております。初カツオの時期に田植え。海の人間はカツオを持参し田植え見舞い。秋になったら山の方々から新米が....。海と山の握手...、昔からあった物々交換....。モノを交換するだけでなくお互いの安否や近況を確認し合い、自然の恵に感謝する。これも古き良き遠い時代の話でしょうか...否、私の周りではごく自然に見ることが出来る日常の風景であります。ただ東京にいるときは全く分かりませんでしたが.....。縁故米の話を以前掲載した事があります。国内流通量の10%近くを占めているらしい。要するにタダの米。農家の次男、三男が家を出る。田植え、稲刈りの季節だけ会社を休んで仕事を手伝う。で、その“労働の対価”として米をもらってくる....。家を継いだ長男への感謝、家業への感謝....、すでに家の制度も崩壊してしまっているようですが。農家の後継者の方々が必ずこの時期に口にする事、あいつら仕事も手伝わねえで、最近は当たり前のように米だけ貰いに来る....。さてさて。中国問題から国内農畜水産物の値段が上がっているようです。都市生活者の方にとっては厳しい話、でも物事は一方向のみから眺めてはいけない。立場を生産者に変えると....。昨日お会いしていた生産者の方々、値段が上がったんじゃねえんだよ。“適性”価格になっているだけだ....。じゃあいったいいくらが適正か?という事でありますが、前回掲載しましたように、食糧・エネルギー、医療など、人間生活に不可欠のモノの価格形成を“市場”に任せて自由に決めさせると、自給率39%など、危機的状況にある国などでは価格がつり上がり、買えない人が出てくる....。俺は年収1000万円以上だと言ったところで、2000万円の人から見たら半分。世界的に見たら....。銚子の魚も、近隣の農産物も世界各国に向け“輸出”が始まっております。驚くほど高値で販売されているのだとか。続きは明日。写真は先週の利根川河口。先週はシケ続きで漁は殆どありませんでした。労働したくても出漁できない....。そんな仕事もあるんです。


申し訳ありません

2008年03月25日 | ブログ

本日の更新遅れも、パソコン不具合によるものであります。パソコン...云々と申しておりますが、ただ私が機械音痴なだけなのかも....。毎日ご覧頂いている皆様方、誠に申し訳ありませんでした。今は問題ないようです....。気を取り直して明日から835回(日)目のスタート致します。


円高・株安⑥

2008年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2822 この話題もきりがないので、本日で区切ります。ただこれから人間が生きる上で根本的な食糧・環境問題...。円高、株安、食糧、環境、地方問題....、社会を賑わせる様々な問題。すべて単独で、例えば食糧問題を考える上で株安などが関連するとは全く思っておりませんでした。ただすべて繋がっている。何故ならば、それらすべて現代を“生きる”人間の問題だからであります。円高だから輸入に有利、株で儲かった....。殆どカネの話ですが、そのカネは“モノ”や“サービス”を受けるための単なる交換手段。人類が1万年前くらいに二足歩行を開始し、火の使用から文明が勃興し、農業革命が起こり、生産力が飛躍的に増大する。200数十年前の産業革命により工業製品などの大量生産が始まり、数年前のIT革命により情報分野の進歩も飛躍的に高まった。どんどん便利になる人間社会。米国の元副大統領が書いた、“不都合な真実”が話題を呼びましたが、原題は“An Inconvenient  Truth” (=不便利な真実).....。あまりに便利になって真実を忘れている。私はそう解釈しております。物事はすべて代償を伴う....。かつて日本の農村・漁村にあった、自然と共生する生き方。不便利かもしれないけれど、人間が生きる上での豊かさは今より上だったのかもしれません。便利だけれど価値のモノサシが一つしかない社会と、モノサシがいくつも存在する社会。前者が勝ち負けにこだわり、他者を認めないのに対し、後者には共存の心が充満している....。どちらを選ぶかは人それぞれですが、すでに選択肢は無くなっているようです。東京の食糧自給率は1%未満。この言葉が財界の重鎮から発せられても、そんなの荒唐無稽な話....。買えばいいんだろ。という事なんですが、買えない現実がだんだん見えて参りました。もはや従来の生き方、価値観の変更を否応無く迫られている昨今であります。円高・株安のニュースに接し、1997年の世相を鑑みこれからを考えるに、大きな変化が迫っているな~。心からそう思っております。


円高・株安⑤

2008年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2824 円高の問題、輸入品が買いやすくなる円高還元セールだとか、輸出関連企業の業績悪化が大変だとか、色々有るんでしょうが、根本的にドルの価値が乱高下するという事は好ましくない事だ。ということでは一致している。なぜならばドルは現在、世界で唯一の“基軸通貨”であるからだと。基軸通貨、国際貿易における唯一絶対の信頼ある貨幣....。その価値が揺れている。変わってユーロの価値が上昇。そのユーロ、EU諸国の食糧・環境政策はまさにものの本質を捉えているように思います。殆ど師匠の受け売りですが....。第二次世界大戦前の“帝国主義”の時代。弱肉強食の世界においてヨーロッパの列強と言われる国々はアフリカ、アジアに食指を伸ばし、次々と植民地化を進める。食糧に関してはその植民地に多くを依存していたが、戦争の激化により食糧の確保が難しくなる...。ドイツの潜水艦にアフリカからの食糧運搬船を次々と沈められた“島国”イギリスは極度の食糧不足に陥り、この反省から戦後は自給率を懸命に上げていく(現在70%の後半くらいでしょうか)....。ヨーロッパ諸国は自給率の向上の本当の意味(カネがあっても食い物がなけりゃ死んじまう)を理解し、フランスなど自給率100%を越える国が多数誕生する。そして余剰農産物の輸出が始まる。かつての植民地アフリカにも....。アフリカ、アジアなどかつての植民地では、安価な労働力に目を付けた国々がプランテーションと呼ばれる大規模・単一作物栽培の農業生産を導入する。一時的にはアフリカ、アジアの方々に富をもたらすが、肥料の大量投入、灌漑による地下水の過剰汲み上げ、単一作物による連作障害....、様々な問題を引き起こす契機となる。主食である穀物は海外に依存し、自国の農業は海外資本によるプランテーション。国土は荒れ、伝統的な農地は消滅し、農村社会そのものが崩壊。仕事を求めて都市に行くが、そこにも仕事は無く、スラムや貧困問題を引き起こす。エイズもこの遠因だとか....。続きは明日。


円高・株安④

2008年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2951 韓国は“大規模化”で国際競争に勝つことなど出来ない事を認識し、またそもそも食糧、環境に関して国際競争に勝つ?とはどういうことだ。という人間が生きる上での根本要因に気付く。勝ち、負けなんかないでしょう(それより、一生一回の貴重な人生を、豊かに幸せに生きるにはどうあるべきか?を問い、行動する)農業が地域環境を保全している事を評価し、都市で溢れた4人(昨日掲載の上京した5人のうち4人)を地方に返す政策を実行に移す。あれ、これは江戸時代の“人返し”令に似ている。飢饉になり農村に暮らしてた方々が食べて行けず、とりあえずお江戸に。と上って行くが、お江戸では人が溢れかえり、仕事はなくなり治安が悪化する...。老中・松平定信は人返し令を出し、それら方々を地方に返せと言うが、それだけではいけませんぜ、という事で鬼の平蔵・長谷川平蔵は職業訓練学校を作り、手に職を付けさせてから地方に返す....。ちょっと余談が過ぎました。でも似ている....。韓国は高い関税で輸入を制限ではなく、韓国民に“身土不二”の思想を思い出してもらうよう韓国民の心に訴える。都市は国の中心であるけれど、都市だけでその国の人口すべてを養う事は出来ない。都市が農業を放棄しても、地方で農業に従事してくれている人がいるから“国産”商品を食べる事が出来る。上京組は立身出世を目指し、あるいは都市での幸せな生活を願って懸命に働くけれど、その心の原風景は一生消える事がない。子供の頃の風景、仲間、それが人間の基礎を形成している....。韓国は環境政策の一環として農業を支援。韓国民は関税ではなく、自分達の税金によって食と環境を守ろうとしている。まさに身土不二。聞くところによると、韓国は関税を撤廃したとかしないとか。要するに、無税で安価な輸入食品が韓国に入ってきても、韓国民はそんな商品は買いませんよ。だって身土不二だから。国内農業を応援します。くだらないところに公的資金投入するなら、我々の命を守る農業に投入してください。みんなで国内生産者を応援しましょうよ。そこには生産者、消費者という無機質な区分けではなく、みんなでどう生きていくか?を懸命に考える姿があります。遠いところの話ではなく、お隣の国の話です。


円高・株安③

2008年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2946_3 自由化を契機に、日本よりも遥かにコストの安い農産物が入ってくる....。時代はバブルが終り、急速にデフレ(モノの値段が下がる)局面に突入。お客さんは価格に敏感....。安価な輸入農産物は(というよりも原産地は関係なく、“安い”商品は)お客さんから熱狂的な支持を受け、益々輸入量を増やしていく。穀物などの基礎食糧は高い関税を掛けて、それを原資に国内農家保護政策を行う...。国内の生産者は高齢化し、後継者も激減....。日本のような零細小規模では国際競争に勝つことなど不可能。よって“大規模化”しなさいと....。大規模化したところには“ご褒美”あげるよ...。さて、国際合意で、食糧の価格は高いところに合わせるのではなく、出来るだけ国際標準に近付けなさい。となった訳です。公共経済学の項目でも触れましたように、食糧とかエネルギーとか人間生活に不可欠のモノが高く(値段が)なると、買えない人が出てくる。生きるために必要なものが買えない。という事は.....。今までカネの威力で買いまくっていた国が、最近はあちらこちらで“買い負け”....。そういう事であります。お隣の韓国も自由化に揺れた。国際合意に基いて、コストを下げようと”大規模化”をはかる。今までの何倍もの農地に大型の機械...。そうすると今まで5人で行えていた仕事が1人で済むようになった、コストも下がる....。めでたし、めでたし....ではありません。不要になった4人はどこに行ったのでしょうか?多くの場合、それらの方々はとりあえず何か仕事があるだろうと都市へ行く。ソウルやプサンに人が集まり始める。でも仕事はない....。失業率が上がり、都市の治安が悪化。農村は加速度的に過疎化が進み、美しい田園風景も維持する人がいなくなり、心の原風景が消滅していく....。韓国の方々は気付く。何の為の大規模化?何のための食糧生産?農業って食べ物を作るだけの産業なの.....。韓国は農業はただ食べ物を作る産業にあらず。という認識に改め、環境維持の最重要産業として位置付ける。関税で原資を確保して云々ではなく、税金投入による維持。公的資金は命や心の原風景を維持する活動にこそ投入すべきである....。いくら韓国や日本が大規模化したからと言って、アメリカやオーストラリアといった大きな国土を持つ国にはかなわない。文化、風土も違う....。韓国で出てきた言葉、身土不二(しんどふじ=体と土は同じである)....。続きは明日。 


円高・株安②

2008年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2947 円高・株安にサブプライム....。金融機関を破綻させては国民生活が...という事で公的資金。大企業を潰すと影響がという事で債権放棄....。97年の再来などと言われてますが、じゃあ97年はどういう年で何があったのか? その反省に基いて今があるんじゃないのか?...と。本日はちょっと横道に逸れますが、関連すると思いますので....。本日は食糧・環境の話を。これも連日、メディアを賑わせている話題。この象徴的な年は1992年(平成4年)と言われております。ガット・ウルグアイラウンドの妥結年。要するに国際貿易を活発化させましょう。自分の国の事だけ考えず保護主義を排して自由貿易の世界にしましょう。もっと言うと、日本は農産物をもっと買え....。この妥結を受けて、農産物の自由化が始まる。92年はさらにブラジル・リオでの地球環境サミット。ここで気候変動枠組条約と生物多様性条約の枠組みが作られる。要するに温暖化問題と地球は人間だけが暮らす場所ではない。という国際合意が作られて行く訳です(これについては改めて)。さて、ガット・ウルグアイラウンドにおいて決定された農産物自由化。米の自由化、牛肉・オレンジ交渉など話題になりましたが、実はこの国際合意、単に農産物自由化の問題“だけ”ではなかったようです。日本は農産物に高い関税を掛けて、根本的な問題に触れる事無く問題を先送りしただけだと...。まず大前提として、農業は国の基本。どの国も国内農業は保護するのが当たり前。コスト高の日本にコストの安い国から安価な米が入ってくれば、国内農業は壊滅的打撃を受けるかもしれない...。故に米には高い関税が掛けられ、その関税が国内保護の原資となって行く訳ですが、これだと自由化してもそのメリットを国民が享受することが出来ない....。世界の常識は、高い関税を掛けて輸入を防ぐことではなく、“農業は”“環境を守る産業”であるという認識の下、別の政策で守る.....。横道に逸れ、かつ難解になってしまったかと思いますが、数日この話題にお付き合い下さい。最後までお読み頂ければ何らかの関連を感じて頂けると思いますので...。写真は銚子港に停泊している海上保安庁の巡視船・かとり。流線型の美しい船ですが、真後ろから見たらこんな感じでした...。物事は縦、横、斜め、前後に左右から見ることをモットーにしておりますので....。


円高・株安①

2008年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2948 円高、ドル安が止まりません。不穏な空気も流れ、これは1997年の日本の大手金融機関破綻の状況に近いと指摘するアナリストも多数。東京の諸先輩方から分析資料を拝領しましたが、確かに....。最大の問題は、すべてカネで解決できると思った傲慢さ、こんな大手なら潰されない...。やはり心の問題かと。人間はいつも同じ過ちを繰り返すものなのかもしれません。1997年は東京におりましたが、誰が山一證券、拓銀....の破綻を予想したでしょうか。あんな大手、絶対に潰れない....。就職活動の際、そんな声、あちこちで聞きました。今、銚子という地方都市にいて、当時の雰囲気を昨日のことのように思い出します。97年過ぎから、勝ち組・負け組なんて嫌な言葉が聞こえだし、果ては、勝ち組企業の負け社員、負け組企業の勝ち社員....、いまだに何が勝ちで、何が負けか良く分からないのですが....。行く事も出来ず、引くことも出来ない板挟み状態を二重苦=ジレンマと呼びますが、当時、トリレンマなる言葉も出てきたような...。トリレンマ=三重苦であります。景気低迷ながら物価上昇(スタグフレーション)、資源高、低い自給率、果ては急激なインフレ、ハイパーインフレ懸念まであると...。株価が低迷する、資金が株式市場に流入し易いように公定歩合を下げる。でも効果がない。さらに利率を下げる....。また効果が無い。どころか、株式市場に行くはずだった資金が、石油や穀物と言った資源の投機に回ってしまい、国民生活に不可欠な食糧・エネルギー価格が上昇し家計を圧迫する...。株価を安定、企業経営を安定化させようとして金融政策を実施する。すべて国民生活の安定のため。しかしながら裏目に出ると....。拝領した資料によると、2025年までに世界人口は25億人も増加。日本はすでに人口減少局面に入り、2025年の65歳以上比率は37%超。その時、世帯の半数以上が単身かあるいは2名以下。農畜水産業の後継者は激減しており、食糧危機は現実のものに....。“生き方”の変更が不可欠のようです。私は積極的田舎暮らしの時代かと。続きは明日。


現実・現場・現時点

2008年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2910 以前勤務していた会社で、良く言われた事。報告は現実・現場・現時点の3点セットを必ず盛り込み、要旨をA4一枚で簡潔にまとめよ。と。その問題の“現実”とは何か? それで“現場”はどうなっているんだ? それはいつの“時点”での話か?状況は刻々と変る。しかもかつて経験したことがないような事件に際しては。BSE(狂牛病)問題なんか典型でしたね。食肉業界は事件・事故が多くてお気の毒だね....。特にBSE。売るモノないでしょ....。モノの見方は立つ位置によって変わる。売るモノがない? 豚も鶏も加工品もありますよ。売る? 売る側は他の商品を売ればいいけど、生産者の立場に立ったらどうなの? 売るも何も、出荷停止。でも牛はエサを食べなければ死んでしまうし、それには経費が発生する....。収入が全く無くなってしまうのに経費だけは毎日発生する。再開の目処は立っていない...。生産者がこの恐怖感を感じている中、売るものがない?なんて悠長な事言ってられるのか?...BSEの影響は牛肉に留まらず、牛肉由来成分、コラーゲンとか、調味料とか、なんだこんなものにまで牛肉由来成分が入っていたのか?....と。“安全性”をいくらアピールしても消費は回復しなかったけれど、農協団体などがトレーサビリティー・システムなど、“仕組み”で“安心感”を示した途端に消費は回復を見せる....。現実・現場・現時点.....。今でも物事を見る、基準になっております。物事は立つ位置によって如何様にも見える。相手の立場になって....。よく言われる事ですが....。


トラギス&イバラ

2008年03月16日 | 銚子で揚った珍しい魚

Img_2904 Img_2905 写真左の中央部に写っているのはトラギスでしょうか?右は以前掲載したイバラガニ。イバラガニに付いては市場の方々がそう言っていたので間違いないのでしょうが、そうすると以前私がイバラガニと掲載したのは違う種類か?と思わざるを得ない...。ちょっと形が違っております。こういう珍しい魚ばかり続けると、あいつオタクになった云々と言われますので、本日でいったん終了します。また見付けたら掲載します。銚子港は水揚げ量も多いけれど、実は“魚種”も非常に多い。これを感じて頂けたら幸いでございます。