銚子・角巳之・三代目

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共事者②

2023年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

富国強兵政策...、それを支えていた産業の一つが銅であり、銅を採掘し外国に販売することで
外貨を獲得し、その資金によって軍艦や近代兵器を装備する...。時は日清、日露、第一次大戦
へと進む戦争の時代。これを資金面で支える産業として銅山開発は重要視されていたようです。

他方、銅山開発による環境破壊は様々な公害や人間の健康被害をもたらすも、世相は戦争...。
環境より戦費調達...だったのだと思います。しかしながら公害が深刻化しその影響が広範囲と
なり、栃木県の政治家であった田中正造が国会で糺すも、一顧だにされない...。

その後も議会で追及を続けるが時の明治政府は全く耳を貸さない。田中正造は議員を辞し、
被害に遭った村人に寄り添って活動を続け、ついに明治天皇への直訴に及ぶ。当時の直訴は
死罪...。まさに死を賭した行動もすぐに逮捕...、ながらこの行動がキッカケとなって世論が...。

田中正造は足尾銅山鉱毒による直接の被害者(当事者)ではない。そして無関心でもない。
これがまさに寄り添う(共事者)としての立ち位置で、その偉業は足跡により明らか...。
さて本日で3月も終わり、明日から新年度です。明日もこの話題続けます。


共事者①

2023年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

共事者ということ...。さて、これまたTV等での受け売りですがいつもの如く歴史番組を見て
おりました。今回は田中正造と足尾銅山鉱毒事件について...。中学か高校の時、歴史の授業で
習ったな~という感覚のみでありましたが、そこで出てきた言葉...“共事者”ということ。

当事者と言う言葉があります。読んで字の如く当事者(直接事に当たる者)。それでは当事者
以外は何と呼ぶのか?ということでありますが、当事者外、非当事者、あるいは評論家か...と。
評論家と言う表現、馬鹿にするような感覚はありません。イメージとして捉えて頂ければ...。

愛の反語は何ですか? 憎悪ではなく“無関心”ですという名言ありました。上記にこれをあて
はめると、当事者以外は無関心?...。しかしながらその中間に、その事を共有している感覚を
持ち合わせています...。こういう方々がいる...。この領域を共事者と呼ぶのだそうです。

自らの頭を整理するためにも、この話題数日続けることにします。まずは冒頭の足尾銅山鉱毒
事件...。時は明治時代後半、場所は栃木県の北西部、富国強兵の旗印のもと銅山開発が進むも
深刻な公害問題が...。この解決に命を懸けた人間の物語です...。(続きは次回に)

思い込み...。

2023年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

海苔弁当とは何か?...。安くて量が沢山あるお買い得弁当...。こんなイメージかと思います。
(もちろん私の“今までの”勝手なイメージであります⇒実は最近変わってきましたが...)
記憶を辿れば高校生の頃(40年近く前)、大手弁当チェーンさんで発売・衝撃でした...。

海苔弁当をおかずに白飯食べていたように思います...。それが今...。考えて見れば失礼な
話です、海苔弁当=安いなどと。確かに当時はそうであったかもしれませんが、実は一つ
のお弁当として非常に考え抜かれた逸品であること今になって分かって参りました...。

当時、缶入りのお茶が発売されて、周囲の年配者からお茶は急須で入れるもの。缶入りの
お茶を買うなどもったいない。もったいない...。それが今...であります。何事も思い込み
が外れると大きな発見や新たな需要が生まれるものです。写真・のり弁1080円でした。

海苔弁当に1,000円以上払うのか?上記の例で言えばそうなりますが、かつての高校生
が50代半ばになり需要も“変わる”...。馴染みの“海苔弁”が高級弁当になり、量も丁度良く、
最近この海苔弁は某所に通う際の楽しみで...。こんな変化、これから増えると思います。


両国!

2023年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム


靖国から一連の話を1週間も...。何卒ご容赦ください。銚子とはどこで繋がるのですか?という
ことですが、まず筆者(私)が20代前半に過ごした馴染み深いところ。靖国には銚子出身者の
ご遺影も多数ありますし、本日の両国は武蔵の国と下総の国(銚子を含む)の分岐点...。

武蔵と下総の二つの国にまたがるから両国...だそうです。かつては急行・犬吠号の始発(終点は
銚子駅でした)昭和50年代に廃止され、その代わりに東京駅から出る特急・しおさい号増発。
今は大幅に減便されておりますが...。そして利根川東遷(注ぎ口を東京湾から銚子への大工事)

利根川東遷についてはまたいずれとして、この両国界隈は相撲の聖地だけでなく、銚子を含めた
千葉とも非常にご縁の深いところであります。両国・錦糸町・小岩...、銚子出身者がかなり多く
住んでいて、何故かほっとするのは歴史的な繋がりが大いに関係しているものと思います。

靖国方面に行くには北の丸とか、最寄りのインターで降りるのが一番近いのですが、私は何故か
いつも錦糸町のインターで降りて、両国・浅草橋...駿河台下を通って九段下へ。これまた理由なく
その経路だと何故か安心...。両国で名物のやきとりを頂きました。これは逸品であります。




白鳩...。

2023年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

靖国神社にて白い鳩に遭遇しました。聞くところによると靖国では平和の象徴・白鳩を飼育
しているとのことで驚くには値しないようですが、それでも...、神社で白鳩に遭遇するのは
僥倖(思いがけない幸運)と思いまして...。お裾分け...。

洋の東西を問わず、古来より鳩は幸運の鳥と呼ばれて来たようです。様々な書籍を見ても、
例えば聖書にあるノアの箱舟にもその記述が見られ、人間と鳩...、その関係が如何に古く
から続いているのか垣間見ることが出来ます。

我々の年代であると、某製薬会社さんのCM...。冠番組の始まりに製薬会社さんの本社らしき
建物の周囲で一斉に鳩(白かったかどうか思い出せませんが)が飛び立つ...。このシーン
を見て、当時の人気番組が始まるその高揚感...。40年以上過ぎましたが良く覚えております。

上記、いささか例えが不遜であったかもしれませんが、鳩は幸運の象徴で、それが白鳩なら
尚更のこと。専門的には染色体の云々...となるのでしょうが、ここでは省略し白鳩=僥倖..と。
白(という色)は、始まりや、浄化や、神聖さを表す色...。写真御覧頂いた方々に遍く幸運を!

H大学...。

2023年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

靖国神社を正面に見ると、その右側に大きなタワーが聳え立っております。ここは飯田橋、市谷
界隈...。H大学、すでにお分かりでしょうし、何も含むところ無いのでイニシャルを止めて...。
法政大学。個人的(OBに)知人、友人が多く、非常に親近感のあるところです...。

誤解を恐れずに言えば、最も憎たらしくて、最も理解し合える友人。とでも申しましょうか、
実際(30年以上前になりますが)、飯田橋~御茶ノ水間の相互交流は活発で、切磋琢磨の関係
ながら、当時のOBからは、あそこにだけは負けてはいけない(これまた昭和のスポ根ですが)

一つ思い出すと、芋づる式に記憶が蘇って参ります。恐らく自らの都合の良いように美化したり
虚飾もあろうかと思いますが、全部差っ引いて残るものは清々しさ...。ともに全力を出し切った
後は、何とも言えない清々しさが残るものです。勝負は時の運、殊に学生スポーツなら尚更...。

こんなに練習したって単位や賞金が貰える訳でなし...。なのにどうしてこんなに...。馬鹿らしい
正直に言ってそう思った時もある。しかしながら...。されど...。この意味、記憶の中の清々しさ。
法政の校歌は荘厳(名曲です)。若き我らが命の限り...と。暫し往時を思い出しております。

靖国神社にて③

2023年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりの靖国神社でしたので、しばし境内を散策...。今回は遊就館には入りませんでしたが
館外より一礼...。館内に奉納されている20代、30代で散華された英霊の写真は、自らの心
を強く持っていなければ直視することが出来ません。特にこの桜の季節は...。

今日より明日が良い日であるならば、70年前よりも今...(何をして良いのかはこの際考える
必要も無いかと思います)生きているだけで尊いのですから...。自らの意思で何でもできた
時代に生まれ育ち、50歳を過ぎたあなたはこれから何を想いどのように行動しますか?...と。

遊就館の周辺をしばらく歩いておりました。有名なパール判事の像が見えました。時が熱狂と
偏見を和らげ、理性が虚偽からその仮面を剝ぎ取ったあかつきには...。その時に正義の女神は
...(本日はこの辺で終わりにします)そして戦争で亡くなった馬、鳩、犬の碑が...。

人と一緒に戦った軍馬、軍犬もまた命。一説によると太平洋戦争中に死亡した軍馬は数十万頭
に達するとのこと。同様に犬も鳩も沢山亡くなっている...。人だけではなく馬にも犬にも鳩にも
そして大地、海、川...すべてに仏性が宿る。山川草木悉皆成仏....このことと感じました。



靖国神社にて②

2023年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

靖国神社入り口付近に聳え立つ、大村益次郎像...。長州藩の出身で明治新政府に参画。そこで
日本陸軍近代化の基礎を作る...。この像が見ている先は北東(鬼門)上野の山に立て籠もる
彰義隊を凝視...。靖国の前身、招魂社を九段に建立することを決定した人...。

長らく続いた江戸時代、その終末の象徴が彰義隊...。これを鎮圧し近代化をはかった大村は
旧時代の士族たちの反感を買い暗殺...。日清、日露...太平洋戦争。新時代・明治に生まれた
方々も戦争という自らではどうしようもない時代に翻弄される...。それでも逞しく...。

“銅像”になっている偉人たちよりも、その時代を生きた名もなき市民に心が動くのは私も
50歳半ばになって来たからなのだろうかと。歴史の教科書より自らの足元。昔ではなく
今と“これから”...。同行の90代...、靖国を出た時に...何か美味しいもの食べたい...でした。

生意気にも風化させずに風化させると書いてしまいました...。上手く表現できませんが、
このことが時代が進む...ということなのかもしれません。いたずらに時を過ごすではなく
先人に思いを馳せ、まだ見ぬ誰か、何かを。そして明日は今日より良い日(続きは次回に)



靖国神社にて①

2023年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

靖国神社に行って参りました...。折しも境内にある標準木にて桜の開花宣言がなされた直後...、
気候も良くたくさんの人で賑わっておりました...。時代が進むと共に靖国神社はその歴史的
な役割は不変ながら、桜の名所としてその役割を変えていくのだと思います。

甚だ不遜な表現をお許し下さい。これまた風化させずに風化させる...。当日はこれが最後に
なるかもしれない...。靖国に行って桜を観たい...という90代の願いあり運転手を買って出た
という次第です。すでに歩行もままならず、だけど最後にどうしても行きたい...と。

生きているだけで尊い。このこと先輩方からさんざん言われ続けて参りましたが、何となく
その意味が分かる気がするのは私の場合50歳を過ぎてから...。生まれる時代は選べず、人生
100年と言ったって、肉体・精神が健康で生きているのは数十年間...のことであります。

以前、人生2度は自らの力ではどうしようもない事態に遭遇すると先輩の言葉を掲載させて
頂いたことがあります。たまたま大正末期から昭和初期に生まれた...だけ。時代に翻弄された
人生を歩みながら、この方々の想いは常に未来に向いております(続きは次回に)




大原幽学の里③

2023年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

時あたかもWBC...。大原幽学のことを書きながらチラチラTVを見ていたら、気になって仕方なく
準決勝、大逆転勝利を目の当たりにし、ちょっと興奮が冷めてきたらチームということ...このこと
深く考えさせられました。まさに協同組合の思想に繋がるところ大と思うからであります。

協同組合の説明に必ず出てくること、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン。一人はみんな
の為に。みんなは一人の為に。後半の件は私の知人ラガーマンによると、みんなは一人ではなくて
みんなは“一つの目的のために”であるのですが...。決勝の結果はどうあれ、チーム力...感動的です。

さて様々な農村の改革を行っていた大原幽学。その教導所(学校のようなところ)として建設された
改心楼(かいしんろう)には日ごと人が増え、ついには幕府の怪しむところとなる。どんなに今が
悪くても現状変更を望まない人はいるものです...。時の権力者からすれば恐怖心かと...。

幕府の取り調べの結果有罪となり、幽学は失意のうちに自刃。何故自刃しなければならなかったのか?
このことで論争が起こるのですが本日省略...。幽学が62年の生涯を閉じたその9年後、大政奉還...。
“地域”“協同”...ということを語る時、幽学の足跡を..。世の中の変革期こそ温故知新...であります。



大原幽学の里②

2023年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

大原幽学の里は、旭市(旧:干潟地区)...、九十九里側(飯岡)から中心市街地に向かい、そこ
からさらに利根川に向けて進んだあたり(写真左上)にあります。大原幽学が尾張(現在の名古屋)
の生家を出奔した理由は不明ですが、出奔、放浪の中で芽生えた感情が後の性学に繋がったものと。

性学(せいがく)...。大原幽学が説いた経済・道徳の調和を基本とした理念であります。同時期に
生きた二宮尊徳も基本的な考え方は似ていると思います。現在も干潟地区にて性学餅なる、お餅
がありますが、これも幽学の理念、収穫されたお米を大切にするという名残かと思います。

同時期に生きた、大原幽学、二宮尊徳という巨人の理念はほぼ同じ。細かく言えば相違点も沢山ある
のですが本日は省略します。幕末に向かう混乱期(矛盾期)、地方は大事だ。特に食料生産基地と
して国を支えるのだ。そんなこと言われても...。地方は疲弊していたようです。

二宮尊徳の名言、道徳なき経済は害悪であるが、経済無き道徳は寝言である...。こういう言葉が
飛び出す(地方の)時代背景だったのでしょう。のんびり暮らしている地方。藩政改革を急いで
いる幕府(中央)...。200年経っても...同じかもしれない。(続きは次回に)

大原幽学の里①

2023年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

私の力量で、この内容をお伝えできるかどうか分かりませんが...。本日、大原幽学のこと...。
大原幽学は、世界初の協同組合(その原型)と呼ばれる先祖株組合の創設者。侍であり、
農民、教育者...。愛知県の出身ながら青年期に出奔、各地を放浪しやがて千葉に辿り着く。

銚子のお隣・旭市(旧:干潟町)に、大原幽学の里があり、遺構等は貴重な文化財として
当時の世界観を今に伝えております。場所は写真下、水田(蓮田ですが)の先に見える
小高い丘の辺り...。当日はそこには上らず、駐車場から風景のみ写真撮らせて頂きました。

これまた天保年間(1830年から44年頃)のお話です。同時期にはかの二宮尊徳翁が
おられるし、この地域にあっては先般掲載の天保水滸伝。繁蔵・助五郎、大利根河原の決闘
の時代であって、この地(旭市干潟)はその中間点(緩衝地帯)、干潟八万石と呼ばれた所。

これだけ書いて、私の頭の中では約200年前のこの地、そこで生きる人々の息遣いまで
聞こえて来そうであります。天保時代が終わり、その24年後に明治となります。激動の
幕末、人の価値感が大きく変わる分岐点...。さて暫く大原幽学の足跡を辿って見たく思います。

見晴台!

2023年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

見晴台(みはらしだい)...。全国各地にこの名を冠する地名があって、その地はほぼ高台に
あり、読んで字の如く、見晴らしが良いところ...。銚子生活(出戻り)17年となって地図
で見ればこんなに小さなコンパクトシティー銚子ながら、まだ知らないことばかり...。

写真は銚子の見晴台...。利根川を見下ろす絶景にあり、辺り一面キャベツ畑が広がって
おります。崖の先がどのような構造になっているのか、みな私有地ゆえ入って見ることは
出来ませんが、恐らく防風林と思われる雑木林が外れたら凄い景色だろうな~と。

これまたいつもの如くそこは農家の方の生活の場(日常の風景)、たまに(今回は初めて)
行って、風景の何のと言えた立場ではありませんが、銚子にまだ知らないこんな場所が
あったのか?と新鮮な驚きであります(相変わらず写真がへタで申し訳ありません)

この場所、風景に引きずられて行ったのではなく、目的がありました。この見晴台の奥に
GAP認証(GAP:平たく言えば、農産物の生産管理にお墨付きを得ているところ)の
生産者がいるのです...。これまた新鮮な驚きで...。今年はどこかでこの農場のことを...。

魚ユッケ...(最終)

2023年03月18日 | 銚子のうまいもの

いつもの如く、一つの話題を引っ張り過ぎましたのでこの辺で...。理屈抜きに美味しかったもの。
上からシラウオ...。過去にも何度か掲載しておりましたが、シラスはカタクチイワシ、マイワシ
などの稚魚の総称。シラウオはシラウオと言う魚...。シラウオとシロウオの違い...は(省略)

真ん中はタチウオ...。事務所前を夕方~夜に出漁する二艘巻き船団が漁獲したもの。昨年末から
現在に掛けて、タチウオが非常に良く揚がってました。非常に美味しい魚ですが関東よりも関西
での評価が高く、多くは関西方面に出荷されていたようです...。揚がりたてを炙りで...。

一番下が旬のヤリイカ...。沖合底引き船が底ではなく中層を曳いて漁獲しております。12年前
の3.11、その発生時刻はちょうどこのヤリイカの水揚げが行われておりました。その翌年、稀に見る
ヤリイカの豊漁となり(ヤリイカで)沖漬、カレー...作って各地販売に行ったこと昨日のようです。

この10年ほどを振り返っても何かが揚がって、何かが揚がらない。銚子=〇〇という固定観念
であると悲劇的な側面ばかりが際立ちますが、みな銚子港水揚げの魚と思えば...。最初の魚ユッケ、
この魚何ですか?という問いに、銚子~飯岡界隈の魚...と。これで良いのです。

魚ユッケ...③

2023年03月17日 | 銚子のうまいもの

写真上がキンメ、下は確かタチウオだったと思います。ともに天ぷら。原料は朝水揚げされた
もの...。鮮度が良いもの=刺身一辺倒ではなく、ちょっと変化球。キンメを天ぷらにするとは
何事だ!と知人の漁師さんの顔が目に浮かぶようですが、食べる人無言、あっという間に...。

こういう料理に解説は野暮というもの...。言葉を尽くせば尽くすほど価値が下がってしまう
ような気がしております。美味しい料理はそれ自体が価値ですが、何よりもテーブルを囲む
一同を笑顔にし、この雰囲気で暗い話、他者批判...は出難いのです。だから楽しい...。

テーブルを囲んだのは食肉関係者でした。終始、凄え~、美味しい...だったのですが、仮に
この美味しい魚たちを一人で、会社や世間の恨みつらみと共に食べたらどういう味になるの
でしょうね?。舌は反応するかもしれないけれど、記憶(脳)はどうだろう...と。

食肉関係者ですから、例えば松坂牛のすきやきを一人で、仕事で嫌なことがあった晩に食べ
たらどうだろうか?との問いに、そう言う選択はしない。松坂牛に失礼だ...。ちょっと横に
逸れましたが、食べる=生きる。どう食べる=どう生きる...が重なって参りました。(続きは次回に)