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過日、千葉市にて。当日、写真付近(千葉神社近く)に用事があった訳でなく、近隣駐車場に
車を止めて千葉県庁方面の目的地に向かう道すがら...。訪問先には久しぶりなので手土産に
あの名物大福(賞味期限1日:千葉神社前の名店)でも持参するか...と歩き出して...。
久しぶりで方向が分からなくなり、少々迷っていたら目の前に千葉神社。いつもは大通り側
から入るのですが、今回は逆側だったようです。そこに千葉常胤公の銅像がありました...。
千葉常胤公...、千葉氏の“中興の祖”であり、全国に広がる千葉氏の源流のようです。
千葉市のHPなどを見ると、毎年6月1日は千葉開府の日。2026年は千葉開府900年の
記念日であると記載がありました。これは常胤公の父・常重が現在の千葉市中央区あたりに
本拠を移したのが1126年6月1日、この日を持って千葉開府とされているようです。
千葉と言う名の由来は諸説聞いておりますが、千葉氏の功績にも因んでいるのだろうと思います。
常胤公は鎌倉幕府成立時の重臣。6人の息子は全国各地(青森、岩手、宮城、福島、岐阜、佐賀)
に所領を広げ、これを千葉六党(ちばりくとう)と言うそうです。地元の歴史、勉強になりました。
古都平泉(岩手県南)では「石を投げれば千葉さんに当たる」と言われるほど(?)
今でも千葉姓が多いようです。
漠然と、頼朝が平泉を征服したさいにこの地に残った家臣の子孫なのだろうと思っていました。
常胤公の息子それぞれの所領のひとつだったのですね。
メモメモ(^^)