銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

群馬渋川の名店

2019年12月22日 | 利根川シリーズ

群馬シリーズはひとまずここで...。最後は渋川の名店...。名物・もつ煮...。相変わらず最高でありました。
(6年前にも同タイトルで投稿、重複ご容赦を。ただし訪れる度に期待を裏切らない...凄いお店です)
渋川方面に行ったら、遠回りしてでも行きたくなるお店。すでに二つ星基準を満たしてる。好きな方に
とっては、この味が忘れられず旅行する価値がある。要するに三ツ星...だと思います。

シンプルなもつ煮。ただそれだけなのですが、絶品・濃厚な味噌ラーメンのスープ+鮮度抜群の“もつ”...。
そんな感じです。内臓特有の匂いも全くない...。シンプルなものほど、ごまかしが効かないですから、
見えないところで、もの凄く手間を掛けているであろうことは容易に察しが付きます。

このお店、今から20年位前。会社員時代(食肉担当)に、群馬前橋のスーパーマーケットの皆さん方に
連れて行って頂きました。群馬はもつ煮がおふくろの味...。中途半端な商品は売れません。群馬で肉(内臓)
の販売しようと思うなら、まずこのレベルを知りなさい...と。衝撃的でありました。

トラックの運転手さん方が多いお店で、食事が終わった後にお土産(1パック・1,000円)を20個も
30個も購入されている...。そんなにどうするんですか?と尋ねたら、地元の飲食店の方々に頼まれた...と。
車のナンバーは新潟、富山、茨城、千葉も...。魚を積んで群馬の市場に来て、その帰り便...。
ああそういうことか...と。運転手の皆さんは美味しいもの知っているし、その口コミ効果絶大...。
久しぶりに食べましたが、全く変わらず最高の味でありました。

群馬県にて②

2019年12月21日 | 利根川シリーズ

写真は第16番札所・五徳山・水澤寺...。水澤観音の愛称で親しまれている群馬(渋川・伊香保)の名刹。
第15番・長谷寺を出て、再び高崎市街に戻り、所要を済ませて後...。時間は午後3時でありましたが、
渋川在住の先輩に連絡したところ、高崎~渋川間は40分くらい。水澤観音まだ空いてるよ...とのこと、
せっかくの機会であったので、急行したという次第であります。

宗派は天台宗...。天台宗のお寺に必ずあるもの見つけました...。一隅を照らす...。これ則ち国宝なり...。
一隅とは今自分がいるところ。今、各々がいるその場所で精一杯の努力をして、明るい光を灯そう。
その光がやがて万灯となって社会全体を明るく照らす。まさに不滅の法灯であります。

写真一番下は有名な六角堂...。ちょっと前に掲載しました...、六道。まさにこのことを表す六体の
お地蔵さま(天国⇒人⇒修羅⇒畜生⇒餓鬼⇒地獄)が安置されております。しかもこのお堂、回転
します...。これまた輪廻転生を表すものかと。

本来、33観音参りは作法もあるかと思います。仕事の合間にちょっと立ち寄って...。この感覚、不遜
なのかもしれませんが、行ってみたい...、という衝動抑え難く、無作法はお許し頂いて、わずかな時間
ではありましたが参拝させて頂きました。

懐かしい方との再会もあり、非常に有意義な時間でありました。銚子~高崎...、圏央道から外環が
繋がり、比較的近くなりました...。といっても距離にして約160km、時間にして3時間ちょっと
掛かりましたが。それでも不思議と遠さを感じない、非常に心地よい道中でありました。
お世話になったみなさん、有難うございました。




群馬県にて①

2019年12月20日 | 利根川シリーズ

仕事で群馬県(高崎市周辺)に行って参りました。群馬訪問は10年ぶりくらいになるでしょうか。群馬県も
銚子とは非常にご縁が深い場所...。江戸時代のある時期、銚子は高崎藩の飛び地(幕府直轄領)であった、
ということだけではなく、利根川繋がり...。群馬県・水上を発した大河の一滴は、銚子から太平洋に注いで
おります。

徳川家康によって開始された利根川を銚子へと流す大工事...。昨今の大型台風の被害等を鑑みるに、
江戸(東京)を水害から守るということを、すでに数百年も前に実行していた、その先見性...。もはや先見性
というより、超人的、あるいは宇宙人ではないのかと思われるほど。GPSも先進的な重機も、あれもこれも

ない中、“人力”だけでこの大事業を行ったこと、言葉もありません。知人の役所の方々も、考えられない...と。
この利根川、流域面積で日本一。その流域が様々な農産物や畜産物を育むだけでなく、河口から海の恵みをも
たらし、様々な伝統文化を形作って参りました...。その繋がりを示す一つ...。坂東33霊場巡り...。

時間ありましたので群馬県に2ケ所ある札所に行って参りました。本日は第15番札所・白岩山・長谷寺。
宗派は聞きなれない、金峯山修験本宗と書いてありました。開祖は役行者(えんのぎょうじゃ)...。
ここにも山岳信仰、修験者が...。確かに、所在地は高崎市でありましたが、人里離れた山の奥に建立されて
おり荘厳な雰囲気がありました。続きは次回に。




利根川源流へ(最終)

2007年09月01日 | 利根川シリーズ

Img_1544_2 Img_1545_1 利根川源流へと題して1週間ちょっと続けて参りました。今日、“環境”という一つのキーワードがあります。非常に重要だと思うけど、対象が広すぎてなかなか身近に感じない。食糧という切り口もあります。自給率39%は異常事態と言われても、世の中に食べ物は溢れている(ように見える....)、さらに地域問題...。今までそれらはすべて“単独”の問題と思っておりましたが、実はそれら繋がっているように感じております。そして現時点において一つの結論が、生き方とか、ライフスタイルという事に帰結する。利根川は下流単独では汚れない。汚れは上流から下流に流れます。上流の方々が云々という事でなく、あくまで例えとして。戦後の日本人口の分布は地方80%、都市20%(現在は都市80%)水の流れの如く、便利なところ、快適なところに人も流れます。下流には色々なものが流れてきて、汚れも目立つようになってきた...。どこに住んでも、住めば都。ながら、環境、食糧、地域問題....すべて流域の如く、ある種の因果で結びついております。甚だ抽象的で申し訳有りませんが、この辺はこれから具体的な問題提起して参ります。いずれにしても、利根川上流を訪れた事、私の中の何かが大きく動いたような気がしております。さて写真は群馬県渋川市の五徳山・水澤寺。坂東33霊場の16番札所です。山号は名前の如く、“水”の5つの“徳”を表しているのだそうです。洋々と大海を充し、発しては雲となり、雨と変じ、凍っては氷雪と化して、その性を失わざるは水なり...。深いです。


利根川源流へ(おわりに②)

2007年08月31日 | 利根川シリーズ

Img_1597 Img_1598 東京で、道の駅、直売所と聞いてもピンと来ません。中心市街地の衰退?、郊外型ショッピングセンター云々...と聞いても。??? 私もそうでした。それらは東京の日常とは掛け離れた世界で、道の駅などは旅行などで訪れる場所。でもそこには“日常”があります。直売所があるようなところは、間違いなく農畜水産業が地場産業になっており、高齢化や後継者難という問題が常態化しております。病院や介護問題も...。ある方が、高齢者が働いているのは“可愛そうだ”と言いました。何も考えずにおっしゃったのだと思いますが、(田舎の)高齢者の方々と、それを取り巻く(田舎の)若者の実態、日常が全く理解できていない。高齢者の方々、働かないと生きていけないんです。お分かりですか?特に自営業者(農業、水産業など含む)。大成功した悠々自適の方も存じておりますが、殆どは働き続けないと生活が成り立たない。年金の受給額、介護保険問題、地方病院の実態...ご存知ですか? お金が問題ならお金を送ると言っておりました。それで?という事であります。本当にお金“だけ”で解決すると思っているのでしょうか? 人はパンのみで生きるにあらず。生きがいとか、人生の終焉をどうするかとか....。直売所のお年寄り(こう言うといつも叱られますが)本当に元気です。そこに綺麗ごとは無く、時に罵声も飛び交いますが、人間の喜怒哀楽があります。続きは明日。写真は千葉県・匝瑳の直売所。本文とは全く関係有りませんが、銚子から40分ほど。良く行く場所です。


利根川源流へ(おわりに①)

2007年08月30日 | 利根川シリーズ

Img_1556 Img_1561 利根川シリーズとして1週間過ぎました。短い時間でしたが、実に様々な事を感じました。この紙面ではすべて書ききれませんが、そこで何かを感じた自分がおり、その時に感じた事は、今後の自分の行動に大きく関わってくると思います。遅くなりましたが、旅の仲間、渋川のK先輩...、お世話になった方々に深く感謝申し上げます。さて今回は環境その他、利根川最下流で感じている事を胸に上流に向かいました。懐かしい先輩にも会いました、綺麗な風景に圧倒されました。シャッター通りで“現実”を再認識しました。ちょっと話は飛びますが、前橋からの帰り、利根川を下って前橋、埼玉県おかべの道の駅に立ち寄りました。地元の方に聞くと、この場所は単なる観光地ではなく、“地元の方々”が“日常的に”利用されているとの事。全国に道の駅、直売所はすでに数千ケ所と言われ、市場規模も“兆”の単位に迫る勢いとか。ただ競争も激しくなり、生き残りの鍵は、“地元の方々”が“日常的に”利用してくれるか否かであると言います。確かにその通りだと思います。週末だけ見たら、綺麗な姿しか見えません。それを維持するための日常の姿。売り場の運営者だけでなく、地域の応援や、毎週のようにやってくる各地のファン、さらにその“融合”...。シャッター通りの“日常”で、じゃあ、この売り場を管理したり、新鮮な農作物を持ってくるのは誰なんだ....。という事が頭を過ぎります....。続きは明日


利根川源流へ(地方都市の平日)

2007年08月29日 | 利根川シリーズ

Img_1555Img_1554 地域問題も、食糧、環境問題も、“当事者”として、自分の目で見て、耳で聞いて、自分の心を偽らず、本当にこれで良いのか?と自問自答する中でしか見えてこないのかもしれません。さて、本日の写真は8月20日(月)のお昼頃、群馬県前橋市・群馬県庁近くの商店街の風景です。前橋も利根川上流。前橋と聞くと、大きな町で賑やかなイメージがありましたが....。大学時代の先輩にご案内頂いたのですが、これ何ですか?と聞いてしまいました。回答は、...これが現実だよ....。殆ど人が歩いておりません。夜や土日は賑やかなのかもしれませんが...。銚子の街の日中は....、掲載を控えます。人が居ない、寂れた風景をことさら強調して云々という気持ちは毛頭有りません。地域発のブログですから、地域の“現実”をお伝えする。ただそれだけであります。考えても見れば、日本中が少子高齢化の波を被っております。満遍なく減っているのではなくて、便利なところ、有利なところには人が集って、そうでないところは減る。水と同じです。高いところから低いところに流れるのはある意味当たり前。仕方ないよね~、やむを得ないよ....。という事で益々状況が悪くなる。この“現実”の先には何があるのでしょうか?群馬でも何とかせねば。という方々が、あえて下流から上流に上ろうとしているようですが...。続きは明日。


利根川源流へ(奥利根湖)

2007年08月28日 | 利根川シリーズ

Img_1526 Img_1527 Img_1530 水上の親水公園から40分くらいのところに八木沢ダムはあります。ここが利根川の源流。厳密に言うと最源流・いわゆる“大河の一滴”はこの先の沢(いちばん右の写真参照)にあるのですが、ここに分け入るには、地元のガイドさんとか、装備とか、それなりの準備が必要です。1泊2日の強行軍ではとても無理なので、これは来年以降のお楽しみに。別名:奥利根湖。日本のダム湖100選の一つとありました。ダムの功罪。その賛否に付いて私は良く分かりません。生態系を変えてしまったのかもしれないけれど、このダムが首都圏の水や電力を供給している事は事実です。水・空気・土。この3点セットは人間が生きていく上で必要不可欠のもの。短期的に見れば、電力とか水などの“供給”をどうするんだという事になりますが、国家100年、1000年という大きな視点で見た時にはどういうことになるのでしょうか?最下流の銚子・波崎で利根川横断水泳大会が開かれていた頃、利根川下流はシジミ、ウナギの宝庫だったと聞いております。川前(利根川が太平洋に注ぐところ)ではイワシの大漁...。流域は因果で繋がっているように思います。食の問題、地域の問題と根っこは全く一緒。特に我々30代前後の世代の役割は非常に大きいと思います。典型的マスプロ教育の渦の中で育ち、価値基準が少なく。大きなものに巻かれて余り考えない方が幸せよ。と教わりながら、現在、もっと考えろバカヤローと言われている訳です。続きは明日。


利根川源流へ(水上親水公園②)

2007年08月27日 | 利根川シリーズ

Img_1506_1 Img_1508_1上流の流れは速く、水は冷たく、石は大きい。背景には山があって....、故に水は高きより、低いところを目指して流れる。下流の流れは緩やかで、水は温み、石は角が取れて丸くなる。最下流の汽水域では海水と真水の交差が起こり、様々な生き物を育む。中流はそれらを繋ぎ、上流の激しさを緩和し、下流域へ緩やかな水を運ぶ....。当たり前と言ってしまえば当たり前の話。水は高いところから低いところへ流れる...。会社にあって、業績が悪化したり、不祥事が発覚したりすると、創業の精神を思い出せ。と言われたりします。学校だと建学の精神、新入社員には初心忘れるべからず....。でも忘れる(事が多い...。) 忘れないためには、忘れなくする“仕組み”や“仕掛け”が必要だと思います。写真のこの川なら、流れの速さを除けば、泳ぐ事が可能だと思います。この川を下って、どの辺から泳げなくなるんでしょうか?環境問題が盛んに叫ばれている昨今、あまりにも対象が広いので、何かしようと思っても、行動に移せない。“知っている”から“(何か行動を)している”に変えて行きましょう。確かTVCMだったと思います。上手い事を言うな~と思いながら、さて何をするべきか? 水は高いところから低いところに向かって流れますが、(川の)環境問題は最下流から上流に遡る。誰が悪いと言うのではなくて、その場に行って、自分の目で見て、五感で感じる。利根川最下流の銚子・波崎では、60年位前まで利根川横断水泳大会が行われていたそうです。続きは明日。


利根川源流へ(水上親水公園①)

2007年08月26日 | 利根川シリーズ

Img_1503 Img_1507

関越・水上料金所を出てすぐのところに水上親水公園があります。山のないところで生活している銚子人にとって、こういう風景、憧れであります。そこに居るだけで嫌な事をすべて忘れる。そんな雰囲気が有りました。親水公園であり、道の駅であり、観光客の休憩&癒しの場であり....、様々な要素を持っておりました。当日はお子さん方を対象としたマスの掴み取り大会。更に上流からはラフティング(ゴムボートでの川下り)など。楽しさの中に学習の要素なども取り込まれており、大人も子供も楽しめる場です。海外にも良い所は沢山ありますが、日本国内にはまだまだ知らない素晴らしい場所が沢山あります。ここもそうです。この風景がずっと続いて欲しい。心からそう思います。訪れたのは夏休み中の日曜日。これを維持するため、平日はどのように管理されているのでしょうか。我々は突然訪問して、ああ素晴らしい場所だ...。で終わってしまいますが、地元の方々は、その風景を維持していくために相当の工夫と努力がなされているであろう事は容易に察せられます。それにしても素晴らしい場所でした。写真右に銚子橋という表示があります。由来など分からないのですが、もしかしたら最下流・銚子に因んでいるのかもしれません。ますます親近感が湧いて参ります。


利根川源流へ(赤城高原)

2007年08月25日 | 利根川シリーズ

Img_1497_1 Img_1502_2 早朝5時前に銚子を出発。旭から広域農道を経由して、八日市場の里山に掛かる旭日に遭遇しました(写真左)こういう時でもなければ絶対に見ることの出来ない風景。写真では伝わり難いですが、その場に立つと何か生きている実感のようなものが湧いて参りました。その後、成田から高速(東関道)に乗り、首都高~外環~関越と順調に進みました。利根川の土手道をひたすら行く。これがベストだったのですが、時間的な事を考えて高速にしました。そうすると、昼前にはもう群馬の赤城高原サービスエリアに到着しておりました(途中、二度ほど休憩してでもです)。高速を使えば群馬って以外に近い。そう思いました。銚子には山がありません。八日市場周辺には里山が広がっておりますが、赤城山など本格的な山を見ると銚子の人間は圧倒されます。空気や風の匂いも違っております。真夏のひと時に高原の風は本当に心地良かったです。群馬の方々は銚子で太平洋を見ると圧倒されると言っておりました。自分の育ったところの風景。それは人間形成にも大きな影響を与えるようですが、東京生まれの方々の心の原風景は高層ビルなんでしょうか? 昭和30年代の古き良き東京下町を描いた映画・オールウェイズに続編が出来たようですが、こんな人情味を感じられた世代は幸せでしょう。今、オールウェイズが流行るのは都会の方々の心の底に何か満たされないものがあるのかもしれません。山にしても、海にしても、旅行など非日常の世界で見る風景と、日常の風景は違って見えることが多い。続きは明日。


利根川源流へ(出発)

2007年08月24日 | 利根川シリーズ

Img_1495 写真は利根川源流に向けて出発した8/19(日)の早朝5時頃、銚子・利根かもめ大橋付近から見た日の出です。ちょっと写真がピンボケですが..。真夏とは言え早朝の風は爽やかで大変心地良く感じます。さて、ちょっと話は飛びますが、流通の世界において、生産者側を“上流”、消費者側を“下流”と呼ぶことがあります。中間の流通は生産者と消費者を“繋ぐ”と。ただ商品やおカネを繋ぐのではなく“心を繋ぐ”それが流通であると言われております。確かにその通りです。最近、食の安全への関心の高まりから、“トレーサビリティー”という言葉を耳にした事が有る方も多いかと思います。消費者(下流)から生産者(上流)に向けて遡って履歴管理する事などを指しております。単にトレース、トレーシングという事も。反対に上流から下流に向けて管理していく事をトラック、或いはトラッキングと呼びます。宅配便などの伝票をご覧下さい。殆どバーコード管理されており、~トラック、~トラッキングシステムなどと書かれていることがあります。最近の仕組みは非常に進んでいて、このバーコードに記載されたナンバーを問い合わせると、自分の荷物が今どこにあるのか分かるようになっております。ちょっと飛びました、ただ意味があります。利根川の最下流から上流を遡る事、これ正にトレーサビリティーの領域。食糧だ、電力だ、過疎化だ、環境問題だ....、昨今騒がれている問題を利根川流域に着目してトレースしてみたら沢山の発見がありました。明日から具体的に。


利根川源流へ

2007年08月23日 | 利根川シリーズ

Img_1524 先週末、念願かなって利根川源流、群馬県水上に行って参りました。1泊2日の強行軍、行けたのは八木沢ダム(写真)まで。利根川の源流、大河の一滴は厳密に言うとこの先の沢にあります。これから先は地元の方の案内がないと無理のようです。沢登りは来年以降の楽しみに....。大水上山はじめ幾多の山々を発した雫(しずく)がまずこの八木沢ダムに集います。八木沢ダムは首都圏の水瓶であり、水力発電の要衝であります。別名、奥利根湖。その大きさに圧倒されました。首都圏への水や電力供給を目的に建造された八木沢ダムですが、建造によって沈んだ村、作業中の事故での殉職者など一方で悲しい歴史も引き摺っております。時あたかも電力危機が報道されている昨今、食糧と並んで人間が生きる上で欠かせない電力ですが、原子力、火力、水力など何かを得るために何かが犠牲になる....。冷房の効いた部屋でTVを見る。その先に原発やダムが見えるかどうか....。見えたところで何だ。そういう声も聞こえてきそうですが、これが現代病の一端かと。さて、本日から一週間ほど、利根川源流訪問紀を掲載します。サンマの話題とか、美味しいマグロの話とか、ここ数日も出来事が多かったのですが、利根川源流を遡り、その記憶の新しいうちに感じた事を記しておきたいと思いました。利根川最下流の銚子から約300km上流へ。明日から連載します。


ディンギー!

2007年06月25日 | 利根川シリーズ

Img_1136 ♪風を切る・ディンギーで・さらってもいいのよ~♪....、松田〇子さんの有名な曲がありましたね~。我々世代なら小学生か中学生の頃、この曲聞くと10代前半の頃の風景が蘇って参ります....。いきなり何だ。と思われるかもしれません。こういう事です。先日、知人からヨット乗りに来ないか?。と言われました。俺が?ヨットマンか?と勝手にヨットという言葉から連想される世界に浸り、勇んで行って参りました。が、目の前のものは私の想像と違っていた。これ(写真のもの)がヨットですか?と聞いたら、そうだ。これがディンギーだ。との回答。(ヨットには二種類あって、私が想像していたのは外洋に出る大型のもの。これセイリング・クルーザーと言いキャビンと呼ばれる居住区を持っているんだそうです)で、何故か分かりませんが、突然冒頭の曲を思い出し、ああ~あの歌で、(ディ...何とか)と言っていた部分はディンギーで、これのこと(写真)を指していたのか? これで、さらって....と言っていたのか?と、何か積年の難問が瞬時に解けたような開放感に浸っていた。という次第であります...。知人にそれを言ったら....バカじゃねえの...。と言う事でしたが....。さてディンギー、利根川河口域、松岸(まつぎし)の船着場周辺で毎週日曜日に出走しております。7月から私も仲間に入れてもらおうと思ってます。これからはヨットマン(これまた仲間から全く似合わねえ~と)です。定期的に報告致します。利根川最下流をヨットで感じる。今年は源流の群馬県・水上にも行けそうな気配。下流のヨットマン源流へ。と題して今秋あたりにご報告が出来そうです。


シンポジウム感想(最終)

2007年02月26日 | 利根川シリーズ

100_1151 昨日は却ってご心配をお掛けしてしまったようで.....。車の衝突というのは本人が思っているより遥かに大きな衝撃なんですね....。しかも私が乗っていたのは軽トラック。前に何もないので....。後からジワジワ影響が来ると聞かされましたが、やはり違和感が続いております。が、ブログは継続します。さて、シンポの感想。このシンポジウムはこれからの人間の生き方に大きな示唆を与えるものであったろうと思います。江戸時代の話とか、西洋・東洋の文明、宗教というのはその説明のための手段だったと思います。とにかく何か変だぞ。と感じる昨今の世相です。基調講演の中で一編の詩が紹介されました。ご講演者の方の自作らしいのですが....。兵庫県豊岡市におけるコウノトリの存在をご存知の方も多いと思います。そのコウノトリの放鳥式に作られたというその詩。ご紹介します。“人々は天然記念物のコウノトリを自然に戻したと思っていた。しかしそれは間違いでコウノトリが人間の心を自然に戻してくれたのだ。人々はいつまでも空を見ていた。そして自分の心が洗われるのを肌で感じていた。これまで人間中心の価値観だけで生きてきた事を恥ずかしいと思い、総てをお金に換算しながら生きている自分が更に恥ずかしくなった。コウノトリは何処までも飛んでいく。飛んでいった先でコウノトリが生きて行けるような日本とアジアの田んぼにしなくては.....”。さて、皆さんはどう思われますか?例えばカモメのいない海。想像できますか?