![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/0e/f2aeb86e4be3d49bbc83e00475d7a077.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7b/eface704faf2a091f4a8f6b0db75d74f.jpg)
訂正力という言葉があるかどうか分かりませんが...。最近感じたこと“訂正”するということ
について。訂正します。訂正します。と何度も言いますと芯が無い。ブレている...こうなる
のですが、反対にブレないも度が過ぎると頑固、ただの意固地、これも困りもの...。
岸壁にアオサギがおりました。これは銚子では珍しくない光景ですが...。この写真2枚...、
同じ個体を連写(数秒違い)であります。同じ個体なのに、違う個体のように見える。但し
アオサギの足は同じところに接地している(ブレていない)曖昧ですが訂正を考える一助。
長らく続いた鎖国政策から国が開かれる。新たな時代に戸惑うも、やはりストレスが溜まる。
攘夷、攘夷と騒ぎ始める。やがて皆の眼も開かれ様々なことが明白になって来る。攘夷じゃ
ない倒幕だ...。勝手に国を開き不平等条約を結んだ幕府を倒さぬ限り次の時代はない...。
相変わらずの分かりにくい例えご容赦を。同じ被写体なのに違う表情(表情が変わっただけ
でブレてません)、攘夷から倒幕(行動の結果目的が鮮明に)...。過ちては則ち改むるに憚る
ことなかれ...。誤っているのに、メンツがどうのと宣う貴兄に。訂正力を...。
「正しいことしか許されない時代に、『誤る』ことの価値を考える。世界を覆う分断と人工知能の幻想を乗り越えるためには、『訂正可能性』に開かれることが必要だ。」