銚子・角巳之・三代目

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南房総へ!②

2013年04月24日 | 千葉再発見

Img_9317Img_9311Img_9326鴨川の道の駅にて、名物・伊勢えびラーメン(写真真ん中)。鴨川、大原界隈は全国的な伊勢えびの一大産地であります。伊勢えびのお菓子から、伊勢えびのアイスまで...なんでもありまして...。太東岬から南、勝浦~鴨川~館山に至る南房総は、有数の景勝地が続きますが、眼に見える陸上だけでなく、実は海中にも景勝地が多いようです。海に景勝地?という事ですが、起伏に富んだ南房総の海中には千葉屈指の“根”(いわゆる魚が集まる岩礁地帯)があり、そこから伊勢えびなどの豊富な水産資源がもたらされていると漁師さんから聞きました。写真左は定置網の水揚げ船、銚子では定置網は行われておらず、よってこの水揚げ船も銚子にはありません。独特の形でありました。右が勝浦港から市街を。勝浦は言わずと知れた太平洋カツオ一本釣りの主要基地。また写真に写る大きな建物はかの有名なホテル...。千葉県民なら千葉テレビのCM,誰でも知っていることと思います。農家に滞在し、農作業などを手伝いながら休日を過ごす観光をグリーン・ツーリズムなどと呼び、漁業者のところでおこなうそれはブルー・ツーリズムなどと呼ばれております。銚子では今一つピンと来なかったのですが、南房総の漁港で、それ納得。仕事で行ったのですが、2~3日、ここでゆっくりしたい。そう思える何かがありました...。関係者の皆さん、ありがとうございました。


南房総へ!①

2013年04月22日 | 千葉再発見

Img_9318Img_9325Img_9323鴨川、大原、勝浦...と、南房総の主要港を回っておりました....。銚子から120㎞ほどの距離、高速なし。南房総の友人が常日頃言っていること、同じ千葉なのに、銚子は遠い、遠い...。本日、お返しを、いや~、南房総も遠い、遠い...。千葉市など言うに及ばず、東京に行くより遠いじゃねか...と、同じ千葉県でくだらない争いをしておりました...。銚子を出発し、飯岡港を見ながら房総半島を南下...。一宮でいわゆる波乗り道路という有料道路を通った以外はすべて一般道...。走っていると、いすみ市の太東岬あたりで明らかに風景が変わるのが分かります。山が増え始め、海の風景も大きく変わる。ちなみに銚子から太東岬までが銚子小型底引き船の操業許可海域...。御宿から勝浦、鴨川に向かうとトンネル、トンネル、またトンネル...。それだけ山が多いという事なのですが、トンネルを抜けるたびに絶景に出会いました...。続きは次回に。


スーパーグルメ・アサリ

2012年05月27日 | 千葉再発見

Img_7774 もう2ケ月近く前の事ですが....。所要あって木更津訪問の折、某所・あさり事業所におりました。千葉・内房は海苔とともにアサリも名物。外房のハマグリ、内房のアサリ、今はほとんど採れなくなってしまいましたが利根川のシジミ...。貝の王国でもあります...。ちょうどその頃、アサリの砂抜きについてTVでやっておりまして、砂抜きの際に、その水の中に一滴のハチミツを入れると、味は格段に上昇...名付けてスーパーグルメ・アサリだと。是非お試しあれ....。本年は貝の相場が乱高下。これまた風評でしょうか....。


海苔・補足

2011年12月06日 | 千葉再発見

Img_7306 Img_7305 海苔に関する記事の掲載をしておりましたら、早速いくつかの問い合わせを頂きました。特に多いのが色....。私の写真技術の稚拙さゆえか、千葉海苔の特徴である色(香りのもと)が正確に表現できてない....。まことに申し訳ありません。問い合わせ内容の多くは、海苔の中に見える緑色の斑点は何か?というものでした。カビじゃないのか...と。海苔は好みで評価が大きく分かれるようですが、千葉海苔の特徴はその緑色...。青海苔系が混ざったいわゆる“青とび”....。香りは全国一だろうと言われている所以であります。青とびシリーズは銚子のキンメダイ同様、千葉県のブランド水産物認定品であります。粗悪品でもカビでもありませんので。表現ひとつで最大の利点が難点に誤解される恐れ...。言葉、写真...、表現の難しさを痛感しております。補足まで...。


富津へ!③

2011年12月06日 | 千葉再発見

Img_7303 Img_7304 海苔の概況を財団法人・海苔増殖振興会のHPなどで確認してみました...。海苔はここ10年ほど(国内で)年間80億~100億枚(一枚=一帖、見慣れたあの形です)生産されているのだそうです。 全国の主要産地は大別すると3ケ所、宮城、千葉などの東日本、兵庫、香川などの瀬戸内、そして国内最大産地の九州(有明)...。構成比をみると、ざっくり言って九州45%、瀬戸内35%、東日本20%...こんな感じになっております。一方、消費の現状を見ると、一般家庭が25%、贈答用が5%、そして70%は業務用となっております。この業務用の中に加工食品や外食消費が含まれているようです。最大の消費先はコンビニのおにぎりだろうと....。海苔は底引き漁と同様、農業に近い水産業であります。それらが育った環境そのものを食べる訳ですから...。国産100%だろうと思ってましたが、韓国などから年間1億枚以上が輸入されているようです。これ国と国との決め事だそうで...。千葉県は関東における最大産地。江戸前の伝統を引き継ぐ方々が東京湾において営んでいる訳でありますが、東京湾開発に伴う筆舌に尽くしたい苦難の中で、香りは全国一であろうと評価の高い“青とび”はじめ、様々な挑戦の歴史がありました。私は富津産、私は船橋産、しかも三番瀬...というように、それが生育された場所で決め打ち購入されている方も多いと聞きます。地域を買い支えよう、食べ支えよう...。環境問題や伝統産業を百万回語るより、関心を持って、その産地で出来た一枚の海苔を買い、食べる....。今回は感じ入るところ大でありました。関係者の皆さんに改めて御礼を申し上げます。海苔の掲載はひとまずここまで。これから機会あるごとに掲載して参ります。


富津へ!②

2011年12月05日 | 千葉再発見

Img_7297 Img_7301 さて海苔の共販...。海苔という、普段の生活の中で、いつもそこにあるけれど、ややもすれば全く気にも留められない食べ物...。それがどんな状況にあり、どんな生産、流通を経て、自分の口に入るのか?販売をさせて頂いているからと言うよりも、日本に暮らす日本人として、深い興味があった訳であります。むろん、その共販(セリ)の見学など人生初...。関係者の皆様方に深く感謝申し上げます。さてさて、写真左は“見付け”と呼ばれるセリ参加者の品定め風景。海苔は養殖場から漁師さんが引き上げて、漁協単位で集荷し、いつものあの形に乾燥されて共販会場に運び込まれます。色、つや、香り、割れの有無...何百もの組み合わせの中で評価が定まって参ります。セリ場にも入れて頂きましたが、ここから先は写真撮影禁止...。この季節の新海苔から始まって来春くらいまで共販が行われるようですが、ここで仕入れられないと来年販売する原料を手にすることが出来ないため、セリ参加者の目は非常に厳しいものでありました。別名・地獄ゼリなどと呼ばれているようであります。買えないと原料がなく仕事が出来ない恐れがあるわけですから...。海苔の歴史は調べれば調べるほど奥が深く、我が千葉県における取組も伝統を引き継ぐだけでなく、様々な革新の歴史であることが良くわかります。続きは次回に。


富津へ!①

2011年12月04日 | 千葉再発見

Img_7295 Img_7296 富津市を訪れました...。目的は千葉県漁連の海苔加工事業所(富津市)で開催された本年度の海苔共販(セリ)の視察、その他であります。なぜ海苔か?ということでありますが、私が代表を務めさせて頂いている参協未来株式会社において千葉県産の海苔の販売も行わせて頂いているからであります。これについての詳細は、いずれ報告させて頂きます。リニューアル第二弾として、ブログ右上部分にこれら商品紹介その他のページを設けさせて頂く予定でありますので....。ちょっと時間が早かったので、富津の漁港などを見学しておりましたら入港船が...。これ白ミル貝のようです。内房で有名な潜水漁によるものらしいです。国産・天然のミル貝...。東京の高級寿司店などに行くようですが、一個幾らになるんだろう...そんな事を思いながら....。同じ千葉県と言っても、内房と外房では全く海の風景が違っております。どちらがどうの...ではなく、それぞれの風土を生かした漁法や郷土料理がある訳であります。富津は浦賀水道に近く、東京湾を航行する船にとって浦賀水道は浅瀬であるため難所の一つと呼ばれているようですが、その比較的浅い砂地を利用した貝の採取や海苔の養殖などが盛んです。特に海苔の生産において富津は最大産地...。セリの模様などは次回に。


下総神崎へ!

2010年03月30日 | 千葉再発見

012 011 先日、下総神崎にて、いつもの蔵祭りへ....。銚子に戻ってから毎年ですから、今年で5年になりますか...。今年はちょっと(かなり)趣きが変わっておりました。いつもは伝統ある酒蔵さん単独イベントのような形でしたが、本年は地域をあげて....。人口8000人の町に3万5000人の来場者があったようです。とにかく人・人・人....。下総神崎は成田近郊の小さな町ですが、地域が一丸となって“発酵のまち。神崎”をアピール.....。主催者の方々に聞くと、これまた、ここまで来るのに10数年....。はじめは小さな一歩から....。何事も小さな、小さな一歩が....と言うことでしょう。小さな一歩をみんなで育てる....。地域のみなさんの誇らしげな顔...忘れられません。


観福寺にて....。

2008年08月12日 | 千葉再発見

Img_3568 Img_3569 印旛に向かう道中、東庄を抜けちょっと寄り道.....。写真は佐原にある光明山・観福寺。伊能忠敬の菩提寺として、また川崎大師、西新井大師と並ぶ、関東三大厄除け大師の一つ。真言宗豊山(ぶさん)派の名刹であります。昼なお暗い参道を抜けると、本堂前に蓮の花が咲いておりました.....。銚子周辺には本当に神社・仏閣が多い....。何となく以前から気になっていた場所。一人寂しく印旛までの道中、スーっと吸い込まれるように入ったのが関東三大厄除け大師とは.....。伊能忠敬の菩提寺でも....。56歳で全国の測量を開始し、74歳で亡くなるまで徒歩での測量を続ける。おぬし、まだまだね。修行しなさい.....。との啓示と思い、しばし静寂の中で思索しておりました.....。


日本寺(にちほんじ)②

2007年12月12日 | 千葉再発見

Img_2237Img_2235 日本寺の縁起を見ると、創建は約700年前、関が原の戦いの一年前(1599年)から1875年前(明治5年)まで檀林として隆盛を極めたとあります。建造物は江戸時代の切妻造。山門正面に掲げられている額は本阿弥光悦の直筆だとか。東京・池上本門寺、千葉・中山法華経寺と並び、関東三額の一つなんだそうです。水戸の黄門様が学僧の便宜をはかるよう、この場所を基点に江戸まで1里ごとに塚を建てた。成田の隣に“三里塚”という場所がありますが、これもこの由来に因んでいるらしいです。知れば、知るほど、自分が住んでいる銚子のこんな近くに、こんな由緒ある場所があったのか?と驚いております。結局、足元は知らない事のほうが多い....。由緒とか歴史とかそういう事全く抜きにしても、この空間に立つと、何故か心が落ち着き、出てきた時はスッキリとした気分になる。静寂の中に凛とした空気が張り詰めている初冬の朝の檀林(跡地)....。心が洗われるようです。歴史に思いを馳せるも良し、何もせずただ鳥のさえずりを聞き、自然の四季を楽しむも良し....。また素晴らしい場所との出逢いがありました。夏には参道一面に紫陽花が咲き乱れるようです。楽しみも増えました。


日本寺(にちほんじ)①

2007年12月11日 | 千葉再発見

Img_2239 先般、匝瑳市の飯高檀林を掲載しました。檀林とは日蓮宗で言う大学の意。今回は飯高檀林近くの日本寺(にちほんじ)別名、中村檀林であります。先週の日曜日、早朝の銚子を出発し、印旛の餅つき大会へ。その道中に日本寺はあります(多古米で有名な多古町。匝瑳市近くです) 今まで何度も通った道。そこにお寺らしき場所があることは分かっておりましたが、停まることなくただ先を急ぐ。そんな道中でありました。今回に限ってどういう心境の変化か分かりませんが、何故か、停まらねば。と思った次第です。中に入ると、飯高檀林と同様に荘厳な雰囲気が充満しており、聞こえるのは鳥のさえずりのみ。巨木に囲まれた参道に落ち葉が舞い、これまた異空間に迷い込んでしまったかと思うような感覚に陥りました。ただ、何故かスッキリした気分になる....。その風景を欲するのは、自らの精神状態の投影かと。この日は何故か朝からイライラして、あのまま先を急いでいたら事故起してたかも。吸い込まれるようにこの空間に入り、出てきた時はイライラが消えておりました....。不思議な体験でありました。続きは明日。


見事です

2007年12月05日 | 千葉再発見

Img_2179Img_2189 昨日の写真、大好評でありました。銚子周辺にそんな場所があるのか?....ウソだろ....。百聞は一見にしかずです....。京都の晩秋~冬が素晴らしい事、かつて何度も訪れて実感しております。言葉もないくらいに美しいし、歴史の舞台に思いを馳せると、更に感慨深いものになる....。平家滅亡時に壇ノ浦からまだ幼少の安徳天皇を抱いて身を投げた、建礼門院徳子(けんれいもんいん とくこ・平清盛の娘、安徳天皇の母)が隠棲した京都・寂光院。ここの紅葉は見事です。平家の最後を悟り、子供を抱いて海に身を投げたけれど、子供は死んで自らは生き残ってしまう...。平家の全盛期に娘時代を送り、時の絶対権力者である父・清盛の庇護の下で天皇の嫡子を出産する。が、諸行無常....。驕る平家は久しからず、平家は滅亡を迎える...。見事な紅葉の後、葉が風に飛ばされるように...。徳子は剃髪して尼僧として余生を寂光院で過ごす....。そこに至る建礼門院の心に思いを馳せると、寂光院の紅葉はただ視覚に訴えるだけでなく、心の奥底にズシリと響いて参ります。写真の飯高檀林も創建から約450年。日蓮宗最高位の檀林(仏教で言う大学)であり、これまた歴史の舞台であります。こんな場所が銚子から30分のところにあるんです。いわば同じ“地域内”であります。先般、竜馬の話を掲載しました。長州が何ぜ、薩摩が何ぜよ...。その通りです。“たった”140年前は~藩、~藩と言っていて、明治維新後の廃藩置県で、~県とか、~市となっている訳です。合併云々で行政区分が変わったところがあるのかもしれないけれど、おなじ“地域”=“仲間”であります。身土不二(しんどふじ)、仏教用語です。身と土は同じ。から転じて、人間は住んでいるところから四里四方の食べ物を食べるのが良い。という事であります。一里4kmとして、ちょうど銚子~飯高檀林くらいの距離...。~県、~市というのは単なる行政区分であって、人間の営みは“地域”や“流域”...。そう認識すると、写真の風景もまた、同じ地域の人間として誇らしく思えてくるものです。いや~実に見事な紅葉でありました。  


飯高檀林の紅葉

2007年12月04日 | 千葉再発見

Img_2174_2 Img_2171_2 毎日決まった時間にブログ更新。最近は少量の芋焼酎と共に...。これが最近の日課でありましたが、昨日パソコンの前に座り、さあ更新と...までは記憶がありますが、気がついたら....朝でした。そのまま寝ていたようです。ご心配をお掛けしました。朝の作業が一段落したので、本日はこれから更新します。さて、写真は匝瑳市にある、飯高檀林(いいだかだんりん)です。日曜の昼下がり、車で混雑する広域農道をちょっと奥に入ると、それはありました。そこは日中にも関わらず、聞こえるのは鳥のさえずりだけ...。静寂に包まれた異空間の中に見えたのが写真の風景。一瞬、京都にいるのか?と思ったくらいです。温暖化の影響で紅葉が12月にずれ込んでいるようですが、それでもまだ赤一面という状態になっておりませんでした。が、それだけに色のコントラストが最高でありました。緑、黄色、赤....、自然の色に原色は見当たらず、すべて微妙に違っている....。それらが複雑に混ざり合い、言葉を失うほど美しい風景を醸成して参ります。こういう風景は不思議な事に、見ている人間の心で如何様にも違って見える。以前、人間は食べなければ生きて行けない。故に如何に食べるかは如何に生きるかと同義語と生意気な事を申し上げました。何を食べる、誰と食べる、どのように食べる(生きる)...。風景も同様かと。何を見る、誰と見る、どのように見る...。すべて心の投影と思いながら、パソコンの前に座って寝てしまうようでは、目が曇ってるな....。写真に接し、日曜の情景を思い起こすに、また新たな活力が湧いて参ります。師走を迎え、みなさんお忙しい事と思います。寝不足にはご注意を。


田園の夕陽

2007年11月06日 | 千葉再発見

Img_1984 ブログ開設当初の2年前は“朝日”の写真が多かったように思います。慣れない魚市場の仕事の最中に垣間見た風景があまりにも綺麗だったこと。何か不思議と活力が湧いてくるような気がしました。また当時は、病床で伏せていた友人が、病院のベットから投稿や沢山のメールをくれておりました。毎日このブログを読むのが楽しみでね~。という言葉にほだされて、ならば元気が出るような風景を探してやろうと、あちらこちら歩き回っておりました。確かに朝日には、人を元気にするようなパワーがあるような気がします。じゃあ、夕陽は?反対に意気消沈か?と言えばそうでもなく、これまたパワーが漲ってくるように最近は感じております。朝日も夕陽も、地球上どこかの朝と夜のリレー。ここで夕陽を見ているという事は地球の反対側の方々は朝日を見ている訳で...。表があれば裏があり、光があれば影がある。表や光ばかりで世の中は成り立っている訳でなく、裏方や縁の下の力持ちもいる。光が強ければ影も濃く、山高ければ谷深し....。物事は決して一方向のみから見てはいけない。夕陽は一日の終りを告げるだけでなく、月を呼び、星を呼び、静寂を呼び、そして明日を呼ぶ...。夜明け前が最も暗く、そしてまた“まばゆい”ばかりの朝日が顔を出す....。と、柄にもない事を思いながら、夕陽を見るたびに明日の事を考えております。海からの夕陽も見事ですが、最近、田園風景、大地に沈む夕陽の雄大さに心を奪われております。因みに写真は日曜の日没前、香取市山田町周辺の風景であります。本日は更新が1時間半も遅れてしまいました。私はこれから寝ますが、すでに起きて、市場に向かった波君はじめ、早朝(深夜かも)に仕事をされている方々、何卒ご容赦を。


佐原駅

2007年02月06日 | 千葉再発見

100_1161 佐原駅。久しぶりに行って参りましたが、相変わらず良い雰囲気でした。郊外が開けて中心市街地はかつての勢いを感じませんが、古い街並みが残り、伝統文化も継承されております。銚子から車で40分くらいのところ、親近感のある街で、私も大好きな街の一つです。佐原というと、日本地図の原型を作った偉人・伊能忠敬の出身地としても有名。街の至る所でその偉業を感じる事が出来ます。古い街並みあり、伝統文化の継承(山車、お祭りなど)があり、水生植物園があり....、利根川が複雑に合流するところで、運河の雰囲気も最高です。このブログは銚子の日常を発信する事を目的に開設しましたが、ややもすれば、俺らが街“だけ”が最高で、あとはダメ...。のような論調になったりします(そう誤解されても仕方ない言動も)。私も日頃から気を付けておりますが、ついつい地元の宣伝が多くなる。ただ地方暮らしを始めて、そろそろ2年になりなんとする昨今、どこの街も財政的に苦しく、地場産業には後継者がおらず、過疎が止まらず活力が削がれている...。こういう認識に至った時に、重要なのは自分の住んでいる地域や、その周辺の方々との関連性を良く理解し、良いところは学び、協力する時は協力する。こういうスタンスだと感じております。今回佐原を取り上げたのは、ただ好きな街だから。という他、理由はありませんが、利根川繋がりと考えると、これから共通の話題が多くなってくるだろうと思っております。