銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

白波!

2021年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、快晴ながら非常に波の高い銚子港でありました..。風の音も凄まじく、さながら春の嵐
のような様相でありました。海面は大きく波立ち、至る所で白波が立っておりました...。
その白波...、焼酎の銘柄ではなくて、その現象について漁師の方々に聞いて参りました。

無風状態で波は立たないが、風が吹き始めると海面に細かい波が立ち始める...これがさざ波。
もう少し風が強くなると、波も大きくなり、この状態を風浪(ふうろう)と呼ぶそうです。
不規則で尖った発達過程の波だそうです。さらに風が強く、波が高くなると...。

今度は波の先端が砕けて、白くなる...。これが白波...。白波は沖合で風速毎秒5mくらいで
立ち始め、15mを越えると一面白くなり、この状態で沖合で操業することはまず不可能。
どころか命の危険が生じるレベルなのだそうです。

沖合の白波が収まった後、風による発達を伴わない波を“うねり”と呼ぶそうです。うねりは
規則的で丸みを帯びた減衰過程の波で、比較的穏やかであるものの、沿岸付近の地形によって
は突如として高波を生じ、波にさらわれる恐れがあるそうです...。本日、波の勉強でした。

2.26

2021年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、私の周囲の農家の方々から聞く言葉...、相場が安すぎてやってらんねえ...。どのくらい安いの?
と聞くと、キャベツ一箱(8玉入り)で600円前後...。箱代や経費を差っ引かれると、手取りは
300円くらいになってしまうそうで...。これでは愚痴の一つも出るわな~と。

他方、食べる側(私)にとっては有難い話。現在スーパー等でも1個80円~90円です。ただし
産地にいる人間(これまた私)とすれば心中複雑...。各地生育が順調で、愛知県産など日に20万箱
という膨大な量が中央市場に運ばれているようです。

昨日、2月26日でした...。1日過ぎてしまいましたが、歴史的な事件・2.26事件の日...。昭和11年
の2月26日、陸軍青年将校によるクーデター...。権力の腐敗を正し、農村部の疲弊を救うため、昭和
維新を叫んで時の為政者を謀殺...。しかし本懐は遂げられず、クーデターは失敗に...。

キャベツの相場安と、2.26事件に何の接点があるの?と聞かれれば、全くない...ということですが、
何事も長い窮状が続くと、何かにその責を取らせたいと思う。青年将校は為政者を倒せば世の中が良く
なると信じた...。でも違った...。キャベツはどうだ...。本日もまとまりなくご容赦を。

交通整理(最終)

2021年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数日来、交通整理と言うことについて考えておりましたが、100年に一度と言われる
変革期であります、そもそも交通を整理するではなく、全く新しい交通システムが出来つつ
有るのだろと思います。そして現在はその移行期...。

2050年までに~、ガソリン車の販売を中止する...等々、こういう話題に事欠かない昨今
でありますが、一見、荒唐無稽に思えても、何か見えない力が働いて、そういう方向に誘導
されて行くようであります。

東日本大震災後、あるご住職が東北鎮魂のために寄せた一説を思い出しております。曰く、
まだ見ぬ誰かとの共存...。例えば2050年に自らが生きているかどうか分かりませんが、
その時代を、生きているかどうか分からないのに考えたって仕方ないと考えるのも一つ。

或いは、まだ見ぬ誰かを想う...。夢も希望も打ち砕かれ、それでも前を向かねばならない時、
今の基準ではなく、将来の姿を想起しながら今を...。交通整理とは、今事故が起きないように
することではなく、時代の変わり目に橋を架けること...。最近そんなことを思っております。

交通整理③

2021年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

銚子港においてもすでに変化は起こっておりました...。水揚げされるサバの半分以上が輸出されて
いる。この堅調な輸出に支えられ相場が維持されておりました。次に、地元最大の船団、最大の
買受人、中央卸売市場(豊洲)大手の荷受。この3者が連合体を形成しました...。

業界でいうところの、垂直的統合...。同じ業種の方々(例えば鮮魚商とか)が横で(水平方向に)
組合等を作るのではなくて、漁船⇒産地仲買⇒中央荷受が縦に一体化する。最新鋭の装置を備えた
大工場が出来て、それらは主に輸出される...。時代の流れに合致した先駆的取り組みであります。

すでに買参権(魚を買う権利)は形骸化しております。排他的な既得権の崩壊...。現在、全国各地
産業の区別なく起こっている現象であります。幕末~明治に掛けて、もう殿様はいりません。
武士もいりません。髷を落とし、藩を廃して県としたり、神仏を分離したり...。これと同じ...。

変化は予兆のみ見せながら、決して姿を現さず、目に見える状況になった場合は何人も抗う事は
出来ない...。昔は良かった、こういうしきたりで等々...そんなことを言っているうち...あっと言う
間に状況が変わって行く...。ちょっと前に良く聞きました100年に一度の...(続きは次回に)


交通整理②

2021年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

市場流通の形そのものが変わってます...。このこと、単なるチェンジではなく、何度か掲載し
ましたトランス・フォーメーション...。赤信号が青に変わる。そういう変化ではなくて、信号機
そのものが変わる(物理的に)、あるいは信号と言う仕組みそのものが変わる(制度として)

先日、銚子港の買受人として、豊洲市場の有力荷受けの方、またその関係者の方が承認された
と聞きました。受け止め方はそれぞれでありますが、既存の買受人からすれば、従来の販売先
(ある意味、お客様)が突如、商売敵(がたき)になる...。そんなイメージでしょうか。

銚子地方卸売市場の買受人は銚子市漁協発表資料によると223名(令和2年12月現在)。
銚子の魚の一次購入者はこの223名のみであり、ある意味、排他的で独占的な形でありました。
むろん各種法令を根拠として、正当な手続きによって認められた権利であります。

数年前から漁業法や市場法、水協法(水産業協同組合法)が次々と改正され、参入障壁は低く
なっておりました。特に大きな変化はないな...ということでありましたが、これこそ変化の
本質...。予兆のみ示しながら姿を見せず、姿が見えるようになった時には...(続きは次回に)

交通整理①

2021年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数日、商社ということ...掲載して参りました。甚だ抽象的ながら、商社マンとはミツバチで
あり、商社とはそのミツバチが生息し、時代と共に形を変える巣箱のようなもの...。現時点では
この例えが一番近いかな~。と思ってます。

最近、交通整理してくれ!という依頼、かなり増えました。交通整理とはもちろん、警察の方々
が交差点などで行うあのことではなく、流通経路の交通整理...であります。10年前を想えば...。
こんな依頼は殆どなく...。要するにそれだけ交通量が増え、変化が激しいのでしょう。

銚子の魚を考えても、従来は銚子港で水揚げ⇒銚子地方卸売市場でセリ⇒定められた買受人が
入札し⇒一番高い札を入れた人が買い受ける⇒その魚は箱詰め等にされ⇒豊洲など中央卸売
市場に運ばれ⇒豊洲の荷受と言う職種の方々が預かって⇒そこで再びセリが行われ...。

いわゆる市場流通ですが、最近はこの市場流通ではなく、市場外(スーパーマーケット等が、
市場を介さず直接産地から買い付ける)が増えてます...ということだけでなく、流通経路の
形そのものが変わってきている...(続きは次回に)

商社!(最終)

2021年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

商社...ということを、植物とミツバチに例えてここ数回掲載させて頂きました...。花は勝手に
咲くのではなく、受粉の結果咲くのであって、それには風まかせもあるでしょうが、多くは
ミツバチなどの昆虫を媒介としているのです。これは普遍の原理であって人の営みも同じかと。

コロナ禍にあり、新たな生活様式が求められる時代にはなおのこと、求められるのは新たな
時代に対する好奇心や使命感と、勝手にそう思っております。特に加速度的に過疎化の進む
地域には。毎回同じ話、暗い話、回顧(昔は良かった)...ばかりではミツバチは機能しない...。

世界の食料の90%を占める100種類の農産物のうち、70%はミツバチが媒介している
という記事を見ました。そのミツバチが現在、危機に瀕しているそうです。農薬被害で...。
農薬で生産効率が上がるはずが、結果媒介者を殺し、生産活動そのものをダメにする...。

かつて商社不要という農薬が撒かれました。現在の多様性、持続可能性等の議論にも繋がり
ますが、部分を不要として全体をダメにしてはいけない(抽象的ですが)。地域商社は、
地域のミツバチであり、最も重要なのは好奇心や使命感..。結果は後から。ということで...。

商社!④

2021年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

植物たちは自らの子孫を残すため、ミツバチたちが好むような密を発したり、遠くに飛んで
いくような種子を作ったりしているようです。身近なところばかりで交配していると(種として)
弱くなり、我々人間の見えないところで絶え間ない進化を繰り返しているのだそうです。

他方、ミツバチ...。これは生物学的にどうなのか分かりませんが、商社の例えとするならば、
中にはとびきり好奇心の強い個体がいて、あの遠くの山の向こうに何かキラキラしたものが
見え、あるいは自らの頭の中に、まだ見ぬ何かが見えるのです...。そしてそこに行ってみたい...と。

自らの力量ではあの山の向こう側まで飛んで行けないかもしれないけれど、あのキラキラした
ものが頭から離れず、危険回避より好奇心、使命感が先立ってしまう...。先人たちの累々とした
屍(しかばね)を越えて、絶え間ない取り組みがやがて不可能を可能にし新たな花を咲かせる...。

90年代前半頃、時代はバブルの末期でありましたが、当時もはや商社は不要である。そんな
言葉が飛び交っていたように記憶しております。往時を思い出しながら次回でこの話題最終と
します。写真、南房総...。読者の方の近くに行っておりました(滞在時間30分でしたが...)


商社!③

2021年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

金融機関等で開催されるマッチング...。マッチングとは金融機関の方々が融資している先、
例えば水産物加工品(干物など)を作っているメーカーさんと、同じく融資先の販売店さん
(スーパーマーケット等)を一堂に集め、商談会のようなことをする。こんなイメージです。

このこと実態は全く否定せず、良い取り組みと思います。ただし出展者の方々からは、その場
の評価は良いのだけれど、受注に繋がるケースは稀なんです。とか、いつも同じ商品ばかりで、
買いたい(売りたい)商品が無いんですよ...と。良く聞く話です。

産直、産直とそういう言葉が流行った時、強い産地と強い販売店がチームを組めば、最強の産直
が出来ます。そんなこと聞いたのですが、強いもの同士がぶつかれば...傷つく・割れる。成就
しない...。みな一生懸命にやっているのに、懸命にやればやるほど結果は悪くなる...。

やはり作るプロと、売るプロの間には、繋ぐプロが必要だ。これが現時点での一つの結論...。
その繋ぐプロが商社で、もちろん懸命に仕事はしているのですが、その原点はミツバチ...。
好奇心や使命感が先、花を咲かせるではなく、失敗を恐れず動いた結果花が咲く(続きは次回に)

商社!②

2021年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

商社とは?...またその定義...、今回はそんな難しい話は抜きにして、ミツバチの例えで...。
一般的に言って、植物が花を咲かせるのは、おしべとめしべが受粉しなければならない...。
これは小学校理科で習う領域。ではその受粉はいったいどうやって為されるのでしょうか?

これまた一般的に言って、風などによってで運ばれるか、ミツバチ等昆虫が媒介するか、
この2つかと思います。それではミツバチは花を咲かせるために意図的に受粉行為を行って
いるのでしょうか?と言えば答えは否。ミツバチは花の密が吸いたいので集まって来ただけ。

自分の好みの密を探し、夢中で吸っている(写真)際に、足など体の一部分に花粉が付いて
あちらこちら飛び回っているうちに、結果...受粉の手助けをしている訳であります。そうして
花が咲き、実を付け、また種になって新たな命を宿す。この循環の輪が出来あがります。

商社マンはまるでミツバチのように、自らの好奇心、あるいは使命感、様々な思いによって
具体的に“動き”、こちらの情報とあちらの情報をくっつけたり、あの人物とこの人物を引き
合わせたり...。失敗を山ほど繰り返しながらそれでも諦めない人種で...(続きは次回に)



商社!①

2021年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

私の会社、地域商社を名乗っております...。創業から10年が過ぎました。準備期間を入れれば
15年...。先日の10年・10秒・そして10年ではありませんが、まずもって信用。これを胆
に銘じて過ごして参りました。最近は、商社の人...。こう言われているようです。複雑ですが...。

どうも商社と言う言葉の響き、あまり印象が良くないようだ。当初からそう感じておりました。
特に銚子のような生産者の街...。商社の人と言うのは、生産者の作ったものを口八丁・手八丁で
売り抜き、何のリスクも取らず、口銭だけはシッカリと取る。そんな印象だったのかもしれません。

創業当初は、何をしているのか?何がしたいのか?サッパリ分かりません...。貴方は何屋さんですか?
あちらこちらで酷評を受け、挙句の果てにアイツには気を付けろ。詐欺師かもしれない...。今となって
は笑い話の数々ですが、それだけ商社という響きに地域の方々が嫌悪感を持っていたのでしょう。

当の本人(私ですが)、酷評されていることに落ち込む余裕すらなく、目をつぶって走り続けてきた
だけなのですが...。さて商社ということ、その神髄はこの一枚の写真に凝縮されていると思います。
花の蜜を吸うミツバチであります...。これから数日、このことを...。

雑魚!

2021年02月17日 | 銚子の魚

銚子港水揚げ直後の小魚類...。ひと括りに“雑魚”なんて言っておりますが、考えて見ればこれは
非常に失礼な表現...。数時間前まで銚子近海を泳いでいた魚たちであり、すべて銚子港水揚げ。
ちょっと小さい、数がまとまらない、処理が面倒くさい...(つい言ってしまう悪いクセです)

小さなホウボウ、イシガレイ、シャコ、カワハギ、白グチ、キス、舌ビラメ...こんな魚が見えて
おります。見る人が見ればこれは宝箱でもあるし、美味しいご馳走の数々...であります。この
魚たちはセリに掛からず、漁師さんのおかずになりました...。ちゃっかりとお裾分け頂いて...。

魚に限らず、市場流通させるためには規格が必要で、一定の数量、安定的な入荷...等々、これは
致し方ない話...。しからば、そういう魚たちは産地(銚子)で、美味しく、無駄なく食べられて
いるのか?というと...。これまた反省しきりであります。

写真の魚は近海の小型底引き船での漁獲ですが、この漁法の特徴は量ではなくて、種類...。
最近流行の多様性という言葉通り、海の多様性を感じる大きな指標であります。最近、揚がる魚
に偏りが...、見たことも無い魚も...。何かの前兆でなければ良いのですが...。

10年・10秒・そして10年

2021年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

先週末の地震...。九十九里海岸でハマグリが大量に打ち上げられたり、犬吠埼(君ヶ浜海岸)
付近で謎の生物の死骸が上がったり...そんな報道があったばかりでしたので、少々不気味で
ありましたが...。銚子界隈は震度4...。特に大きな変化は(今のところ)見受けられません。

それよりも昨日の大風...。豪雨は短時間で過ぎましたが、大風は一日中収まることがありません
でした...。写真では臨場感を伝え難いのですが、立っていられないほどの...大風。コロナ禍に
加え、地震、暴風雨...。用心にも限度がありますが、それでも用心を...。これくらいしか言えず...。

先日お越し頂いた金融機関の方から冒頭の言葉を...。10年・10秒・そして10年...。これは
信用を作るのに10年、その信用を無くすのはたった10秒で。そこから再び信用回復するまで
更に10年...という意味ですよ...と。言わんとする意味は良くわかります。

何事も成就させるためには時間が掛かり、せっかく苦労して得たもの(こと)も、有頂天になると
一瞬で信用を失い、それを回復させるにはまた長い年月が掛かります。コロナ禍で心が窮屈になって
いる昨今、さらに地震、暴風雨...。心が苛立つ場面が多いですが、そんな時こそ冒頭の言葉を...。

展望台から(最終)

2021年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

ちょっと雲が掛かってましたが、お見事...な、日の入りの姿でありました。数名しか人がいない
平日の展望台...。見ている人は言葉なく、何も聞こえないのですが何故か遠くで、マイウェイ...。
I did it my way...と、そんな音楽が聞こえてくるようでありました。

日は沈み、再び昇る...。夜明け前が一番暗く...、その暗闇を切り裂く太陽はすべて希望の象徴で
あります。いかなる困難があっても、沈んだ太陽は再び昇る...。このことさえ忘れなければ、
人は前を向けるものです。ただし昇った太陽は再び沈む...。このことも...。

日没前後、西の空が赤み掛かって見える時間帯を黄昏時(たそがれどき)と呼ぶそうです。
人の一生になぞらえて、最盛期は過ぎたが、まだ余力はあり、完全に滅んでしまうのはまだ早い
そういう様を示しているようです。再び発見...、日本語表現の美しさ、奥深さであります。

50そこそこの若造(私)が、人生の黄昏時?などと、お叱りを受けるかもしれません。ただし
何事もその時になってからでは始末が付けられず...。昇った太陽は必ず沈むと心得て...。最近、
日の出の勢いよりも、日没の姿(始末の仕方)に心惹かれる。そんな年代になりました。

展望台から...(日没)

2021年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

西から昇ったお日様が・東へ沈む~...なんて、アニメの主題歌がありましたが....。それでも
太陽は東から昇って、西に沈む...。初日の出スポットとして有名な犬吠埼付近(東)に陽は昇り
名洗海水浴場付近(西)に沈んで行く。ちょっと大袈裟ですが、これが不変の原理です...。

西から昇った...という歌詞は、ただのギャグではなく、実は周到に考え抜かれた風刺あるいは
時代の動きに対する反作用、アンチテーゼ...等々、実に深い領域と感じておりますが、この事
を書きだすとまた、話が大きく飛躍しますので本日は触れず...。

初日の出に象徴されるように、暗闇を切り裂いて太陽が顔を出すその姿、“夜明け”という表現。
すべての暗闇(困難、苦労....マイナスイメージの表現すべて)を一瞬で振り払ってしまうような
強大なパワーを感じます...。他方、日の入り、日没...。“没”と言う表現の通り...。

自然現象はただその風景に接するだけで、何か大きな存在に気付かせてくれるような、そんな
瞬間があります。数年ぶりに太陽が沈んでいく姿を30分近くに渡り見続けておりました...。
初日の出とは違った太陽の姿...、ふと始末という言葉が浮かんで参りました(続きは最終にて)