銚子・角巳之・三代目

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アカムツ&クロムツ

2007年09月30日 | 銚子の魚

Img_1734 000_0602 この数ヶ月、“続き物”が多く、魚の掲載を殆ど行っておりませんでした。全く他意はないのですが、銚子の日常生活の中で、見たり、聞いたり、感じたりしたものを思い付き?で書いている毎日です。そんなスタンスにも関わらず、お付き合い下さっている方々には深く感謝しております。その間も、水揚げはずっとあった訳で、毎日市場には通い、カメラ片手の“あるもの探し”も継続しておりました。さて、写真はクロムツとアカムツ。アカムツに関しては以前“赤い魚”と題して掲載させて頂いた物です。別名ノドグロ。日本海の赤い宝石と呼ばれる魚。太平洋の赤い宝石はキンキ...。写真左はクロムツ、これに別名があるのかどうか分かりませんが、いわゆる高級魚。しかも超が付く高級魚として一般に認識されている魚だと思います。これらすべて釣りモノ。釣りキンメと一緒に水揚げされております。市場での評価も非常に高いようです。高級魚、絶品....、と言われておりますが、残念ながら私はまだ食べた事がありません...。東京で食べた事があるかもしれませんが、その時は現物の姿形すら分かっていなかったろうと思います。切り身か何かでムツだと...。ムツにも沢山あって、クロムツ、アカムツから、ただのムツ、食用禁止のバラムツやアブラソコムツ...。“ムツ”と言ってウソではないのでしょうが、種類も評価もまちまちです。やはり本名で、素性を明らかに。これはアカムツです。高級魚です。姿形は赤い宝石と呼ばれるほど美しいです...、と言われて食べると、不思議なもので頭の中は“美味いもの”という指令で一杯になり、正確な評価が難しいかと。同様に松坂牛だ、神戸牛だ...。と書くのは私の負け惜しみでしょうか。まあ本日は目の保養まで。


銚子ドルフィンズ!

2007年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1752 ミニバスケットボール(小学生)のクラブチーム、銚子ドルフィンズ。結成3年目を迎えております。ドルフィンズが結成されたのは私が銚子に戻るちょっと前。地元有志の方々が、それこそ寝食を忘れて立ち上げた...。会社であれ、クラブチームであれ、組織を“立ち上げる”に際しては凄まじいパワーを必要とします。そのエネルギーが創業、創部の原点であり、3年目を迎えたドルフィンズ(選手もスタッフも)の皆さん、益々活発に活動されております。私もミニバス出身です。銚子でミニバスが始まったのは私が小学校4年の時と記憶しております。今から28年前。千葉県で28年前にすでにミニバスが始まっていたのは、千葉の中央部を除けば僅かだったと思います。その時はクラブチームではなく、小学校単位。中央部に負けるな!を合言葉に、熱血先生方が本当に熱心に指導してくれた事を思い出します。月日が経過して、....その熱血先生方、今は教頭先生、校長先生です。ミニバス以前に行われていたのはポート・ボール。ポート・ボールがどんな競技か分かる方、私と同世代か先輩方ですね。台の上に乗った人にボールを渡す、下には邪魔する人がいる...あの競技です。クラブチームの指導はすべて地元有志のボランティア。仕事や家庭の事情を繰り上げながら、週三回の練習、週末には練習試合....。本当に頭の下がる思いです。保護者の方々も非常に熱心....。ただ、私もそうでしたが、小学生の時に、仲間やスタッフの大人と一緒に汗や涙を流す...。これ間違いなく“心の原風景”として、心の指針となっていく事と思います。ドルフィンズの結成と私が銚子に戻ってきたのがほぼ同時期。ドルフィンズの歩みに負けないよう私も努力、努力です。ドルフィンズの掲示板が出来ているようです。詳細は以下アドレスをご参照下さい。みんなでドルフィンズを応援しましょう。http://blogs.yahoo.co.jp/himawari322001/857470.html#1498931


出る“杭”③

2007年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1784 東京の会社に就職してまもなくの頃、幸運な事に日本を代表する総合商社の方々と一緒に仕事をさせて頂く機会を得ました。そのご縁はずっと続き、退社した今でもなお、いろいろな事を教えて頂いております。本当に有り難い事と思っております。社会人になって右も左も分からないうちにお会いしたのが、この方々。社会人生活のスタートから劣等感の塊になった事、良く覚えております。違う、違い過ぎたんです。仕事が出来る、語学が堪能で....云々という事より、仕事に対する姿勢とか想いとか。聞いたら私と殆ど歳の差がない....。ダブルパンチです。総合商社というのは利にさとく、口で誤魔化してサヤ(利益)を抜く.....。そう聞いておりましたが、全然違いました。ここで同年代の方々が語っていたのは“食糧安保”や、歴史観....、で、時々会社の綺麗なお姉さんの事....。むろん仕事となると凄まじい気迫でありました。会社名を聞けば、あそこの方々と比べる方がおかしい。となるのでしょうが、新人だったもので、こんなに違ってよいものだろうか?と悩みました....。現在、その先輩方は本店の要職にあったり、関連会社の役員、社長も。みなさん30代後半、40代前半。同年代です。個人の資質もさることながら、この方々の上司が素晴らしかったのだと思います。みんなを“出る杭”にしておりました。敢えて過酷な状況に置く(そこで見守る・気付かせる...)。そこで磨かれた...。ある畜産農家さんとお話していたら、子牛のうちに草を沢山食べておけよ...と。子牛のうちに沢山草を食べておかないと胃袋が強くならず、胃袋が強くない状態でいくら上等な飼料を食べさせても、消化不良で肉が付かない。どころか死んでしまうものも出てくるようです。ここのお話、一部の特殊な事例を持ち出して、思い出話に浸る...という事では全く無く、自らの経験則に照らし合わせ、かつて一緒に仕事させて頂いた方々が現在大活躍されている事を鑑みるに、能力は求められるステージごとに異なり、そのステージに上がる前に出る杭となって磨かれてこそ輝くもの。との思いを新たにしているところであります。磨かれずにステージを上がると、自分が辛いだけでなく、周囲に迷惑を掛ける...。また恵まれた能力を持ちながら埋没してしまった事例も多数かと。やはり何事もまずそれに取り組む姿勢や想いありき。なんだと思います。あとは若いうちに草を沢山食べる事......。心身の健康。これ重要ですから。38歳が若いのかどうか分かりませんが、水産業に転じて2年。未だこの業界では小僧のようなものですから、とにかく沢山、草を食べて胃袋を強くしよう。そんな毎日です。


出る“杭”②

2007年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1737 “出る杭は磨かれる”“沈んだ杭は腐る”....。視点を変えると実に様々な見方があるもんだ。と感心しております。一寸先は...闇、ちゃいますねん、光です。とも言ってました。仕事と思うな人生と思え。とも。数年前から、この方に社員再教育の依頼が殺到しているようです。しかも名立たる、いわゆる大企業ばかり....。何故なんでしょう。優秀な方ばかりなのに...。さて、ある国の首相交代劇に際して、ピーターの法則なる存在を耳にしました。曰く、階層社会(会社など)において、その構成員は各自の器量に応じて“無能のレベル”に“達する傾向”にある(ちょっと難解ですが)と。私は新聞で読んだレベルなんですが、この考え方は米国の教育学者が数十年前に提唱したもので、日本でも訳本が出ているようです。是非読んでみたいと思っております。新人の時は優秀な社員だと言われていたのに、課長になったらダメになった。優秀な課長だったのに部長になったら、役員になったら、トップになったら....。という事のようです。階層によって求められる姿は違っており、優秀な課長が優秀な部長になるとは限らない。もう限界なのに、無理に無理を重ねなければならない状況に追い込まれ....。価値のモノサシに付いては何度も言及しました。平社員より課長の方が偉い。課長より部長の方が....給料が..。世間体が...。その呪縛から離れられず、気付いた時には心身のバランスを喪失していく....。米国の教育理論を持ち出さずとも、日本の格言。若いうちの苦労は買ってでもしろ。近所のお年寄りに毎日のように言われております。続きは明日。本日の写真。市場で“やどかり”を見付けました。やどかりは自分の身丈に合った貝を探し、貝が小さくなったと感じたら、またちょっと大きな貝に移って行くのだそうです。自分の身の丈を知る。実は非常に難しい....。


出る“杭”①

2007年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1699 俗に“出る杭は打たれる”と申します。ちょっと革新的なことをしたり、出過ぎた真似?だと思われたりすると、徹底的に叩かれる。洋の東西、今昔を問わず、人間がいれば何時でも、何処でも....。さて、印旛に向かう道中、“安食卜杭(あじきぼっくい)”という表示を見掛け、ずっと気になっておりました。卜(ぼく)とは“占い”に通じ、大昔の人々が印旛沼周辺に大きな杭を立て、星の動きや杭の“朽ち方”などを手掛かりに、吉凶判断などをしたのがその由来と地元の方々に聞いたことがあります。安食は銚子から車で1時間足らず。非常に歴史が古く情緒ある街です。“出る杭は打たれる”....。この言葉は、だから出ない方が良いよ。と続きがあるようです。この言葉を発する際は、必ず後ろに“否定的な”言葉が続く。あるいは何もしないための“言い訳”...かも。“出過ぎた杭は打たれない”と、他者の批判をものともせず、猪突猛進して行った方が、根本からポキッと折られた....。なんて話も枚挙に暇が有りません。以前、荒廃した中学校を何度も立て直した先生の講演を拝聴しに行った事が有ります。生徒が恐喝、暴行に及んでいるのに、同僚は見てみぬフリ....。何とかせねばと立ち向かった熱血教師に周囲は、出る杭は打たれるよ....。そんな事したって給料は同じだよ....。この先生の返答。“出る杭は(磨かれる)”んです。見てみぬフリを繰り返していると、杭は沈み、“沈んだ杭は(朽ちる・腐る)んですよ...と。この先生、現在は教師を辞め、日本を代表する上場企業の社員教育を多数手掛けているようです。出る杭を恐れて沈んでしまった方々が、まさに腐り始めている.....。続きは明日。印旛にはもう何十回も通っております。が、この安食卜杭から印旛沼を抜ける道、未だに迷います。昔の名残、霊的な何かが残っているのでしょうか?一昨日も迷いました。お前が方向音痴なだけだ。という仲間の言葉を無視し、これ、今は迷いに迷いなさい。最後には必ず目的地に着くから...。という神託だ。相変わらず自分の都合の良いように解釈しております。何事も。


塩焼き!

2007年09月25日 | 銚子のうまいもの

Img_1695_2_1 Img_1698 9月も後半を迎え、銚子港にもサンマ船の入港が増えて参りました。昨年同様、押し寿司でしょ、なめろう、刺身、ソテー、佃煮、そうそうツミレも...。サンマは本当に料理用途が広い。塩焼き一辺倒ではもったいないですよと、生意気にも昨年、そんな事を書いたか、と思いましたが、やはりサンマの塩焼きは美味いですね~。堪りません。写真は銚子大橋近く、絶品の押し寿司を出してくれるAさんで食べた塩焼き。あまりに美味いので、左の塩焼きは右のような姿になった次第であります。プロは焼き方が違うんでしょうか。外はパリパリ、中ジューシー...、ちょっと言葉がありませんでした。ところで魚の食べ方。私はもともと魚を食べるのが苦手で、作ってくれた方に申し訳ないような食べ方でありました。魚の味や食べ方に目覚めたのは、皮肉にも銚子ではなく、以前住んでいた東京・新宿の割烹料理店さんであります。刺身のツマはねえ、飾りじゃないんだよね~。魚を食わせりゃお前の程度が分かるよ....。色々言われたんですが、曰く、プロの料理人は刺身のツマ一つにまで魂込めており、それも含めて一皿の料理。刺身や焼魚の真ん中だけ食い散らかして、評論家のような事を言ってるやつぁ下の下だね....。まあ金払って貰ってんだから文句は言わないけど...。刺身のツマまで綺麗に食べてくれると、この人は料理人の苦労が分かるんだな。から転じて、仕事の場でも配慮が出来る=仕事が出来ると見てるんだよ....。まあ私は全然出来ておらず、お前はダメだね~と言われていたくちですが.....。今、出された魚を綺麗に食べ尽くすのに深い意味は有りません。単純に美味いからであります。魚好きにとって、確かに銚子は天国です。でもちょっと、作ってくれた方に思いを致す。そうすると尚美味しく感じるのは気のせいでしょうか?


サンダー!

2007年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1617 機械を修理する必要に迫られ、先輩のところからサンダー(写真)を借りて参りました。正式にはディスク・グラインダーとか何とかという名前があるはずですが、一般的にサンダーと呼ばれております。金属を削る時などに使いますが、火花が出るからサンダーなのかもしれません。中小零細工場ではちょっとした機械の故障は自分で直す。これ鉄則。大工場で資金が潤沢にあるなら、そんな事せずに機械屋さん呼んだ方が...。となるのでしょうが、中小零細でそんな余裕が有るところは稀です...。私、学生時代に故有って食品製造機械メーカーさんでアルバイトしてました。サンダーで鉄板の角を丸めたり、バリ取りしたり...。バリとは金属の切断面に出るクズのようなもので、これを素手で触ると怪我するので、サンダー掛けて滑らかにし、サンドペーパーでひたすら磨く。いつか役に立つからと言われましたが...、あれから15年。確かに役に立ちました....。ある酒蔵さんとお話させて頂いた時、長期熟成酒が売れてるんだよね~。という事を聞きました。長期熟成酒とは、5年とか10年とか樽で貯蔵したモノなんだそうです。10年前に、10年後は売れる。と確信が有って仕込んだんですか?と聞いたら、全然....。分かるわけ無いでしょ....。ではどうして....という事ですが、曰く、売れるか売れないか分からないけれど、仕込んで無ければ売れないよ....。確かにその通り。売れるかどうか分からないけれど、仕込んで無ければ、売れる時にモノが無い訳です。サンダー掛け同様、何事も無駄な事は一つも無いようです。バカにしてやらないか、嫌々やるか、将来役に立つだろうと進んでやるか....。それだけの違いのようです。


連載650回!

2007年09月23日 | ブログ

Img_1717 昨日、連載650回を迎えました。皆さん有り難うございます。600回から650回に至る約2ケ月も激動でありました。自分の意思とは無関係に、いろいろな事が起こるものです。真剣に聞かないといけないところを流して失敗。流してよいのに深く考えすぎて.....これまた失敗...。試行錯誤を繰り返し、色々な方にお世話になりながら銚子の日常を過ごしております。写真は犬吠埼を長崎海岸付近から。銚子の原風景だと思います。さて先般、東京の知人から書籍を賜りました。京都の超有名企業の会長さんが書かれた“生き方”という本です。企業経営を仏教の教えに基づいて検証していく。曰く企業経営は、それに携わる人の生き方そのものである。動機は善なりや。私心無かりしか?を問えと。本の中で、経営の神様と言われた松下幸之助さんの講義に、まだお若い頃の著者の方が参加する場面が描かれておりました。ダム式経営(好況の時に蓄え、不況の時に吐き出しながらバランスを取る)を提唱する幸之助翁に対し、参加者からは、それが出来ないから苦労している。ダムを作る秘訣は何ですか?と聞いたら、そんなんありませんな~。それを聞きに来ているんじゃないですかとの質問に対しては、まず作ろうと思わんとあきまへんな~。会場からは失笑が沸き起こる中、筆者はその言葉に接し、カミナリに打たれたような衝撃を覚えた。とありました。まず“想い”が無ければ何も始まらない。本田宗一郎さんの講義の際は、開始時間になっても本田さんは現れない。定刻を過ぎて登場した本田さんは油まみれの作業着姿。満座の聴衆に向かって一喝。こんなところで浴衣着て、酒飲みながら経営が学べるか?さっさと帰って仕事しろ。と言いながら本当に帰ってしまったそうです。お二方とも私などがお名前を出す事すら恐れ多い偉大な経営者。お二方とも役者でありますが、語られた言葉に対して、失笑するか? 気付くか? バカにするなと思うか? 気付くか?....。 “気付く”という事。本当に重要な事と思います。“一葉落ちて、天下の秋を知る”と申します。身近な物事の何気ない変化を手掛かりに、大局観を。その気概だけは持ち続けて参りたいと思っております。引き続き宜しくお願い致します。


はじめに売価ありき⑤

2007年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1723 上流がインフレで下流がデフレ、挟まれた中流域は堪ったもんじゃない...。ところで利根川、もともとは東京湾に流れ込んでいたそうですが、徳川家康の江戸入府によって、銚子へ。と流れを変えたのだそうです(以前掲載しましたので、詳細省略)それまでの坂東太郎(利根川の尊称かと)は度々氾濫を起こし、中流域の方々はその都度、甚大な被害にあった。といくつもの文献に記載されております。もともとは自然のままに流れていたもの。被害に遭う。とはそこに人間が住むようになってから。自然が先で、人がそこに住むために開発をしてきて、都合が悪くなったので流れを“変えて”いった訳です。ちょっと脱線しました...。さて、モノの流れは川の流れの如し。であります。現在の上流・下流の相反する現象に、その場、その場の最適を重ねて行っても限界があります。まさに合成の誤謬であります。ならば、最終消費者が一番大切なんだ。という事で、はじめに売価ありき。と経済的価値(端的に言えば値段、しかも先入観に基づいた値段)のみで、流れ全体を制御しようと試みたけれど、どうも上手く行かないようです。川はいつも豊かな水量を湛えて流れ続けるとは限りません。上流の水源が枯渇する事だってある。中国産は嫌だ、やはり国産よね。と言った所で、食品に限ってみても自給率は40%以下...。この領域はもはや、モノの値段は誰が決めるのか?という流通の根源的問題すら飛び越えて、今そこで生きている人間の生き方そのものが問われているのでは?と思わざるを得ない状況に度々遭遇する今日この頃であります。


はじめに売価ありき④

2007年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1729 最近、有名な食品メーカーさんの商品“値上げ”に関する話題を良く耳にします。反対に大手量販店さんの“価格据え置き”宣言も。食品の流通は川の流れの如く。上流から下流へのスムーズな流れを期待したいところですが、先般の台風同様、上流で台風被害が出れば、下流域にも影響が出てくるのは当たり前の事であります。銚子の利根川河口は未だに水は茶色く濁ったまま...。上流が悪い。そんな話をしているんじゃなくて、当たり前の事、現実を。最近は川上=インフレ、川下=デフレなんだそうです。川上とは生産者側を示し、川下は小売店・消費者を示しているようです。インフレとは、貨幣価値の下落を意味しています。モノの(経済的な)価値がどんどん上がり、相対的に貨幣価値が下がっていく現象。昨日まで100円で買えたモノが、今日は200円になる。明日は300円に....。端的に言ってしまえばそういう事です。デフレはその反対。100円で売れていたモノが90円、80円に...。戦後は急激なインフレが襲い、紙幣は紙切れ同然....。幾らお金を持っていても“買えない”訳ですから、食べモノすらです...。さて、川上=インフレの主原因は原材料の高騰。大豆、小麦などの原料から、包装資材、燃料費、はたまた労働力の確保が難しい、後継者問題だ....。いつか来る。と言われていた問題が、その姿の一端を見せ始めているようです。“変化”はその時が来るまで決して姿を見せませんが、様々な予兆を伴って警告を発しております。続きは明日。写真は2日前の銚子・名洗(なあらい)海水浴場付近。夏に戻ったかのような毎日ですが、季節はもう秋。誰もいない海に、誰かが作ったであろう砂山が...。1時間ほどこの場で考え事をしておりましたが、刻一刻と砂山が波に飲み込まれて行って....。世の中の人と住みかとまたかくの如し。かと。この砂山は壊れても、この砂はどこかに行って、また誰かが砂山を作る事でしょう。


はじめに売価ありき③

2007年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1654 “はじめに売価ありき”とは、最終的な商品の“価値”からモノの値段を決めて行く“システム”を示す象徴的なフレーズ。と私は理解しております。食品は人が生きていく上で必要不可欠のもの。一部の高級品を除き、生活必需品については、価値云々の前に、生活防衛のため一定の歯止めが掛かって参ります。“価値”から逆算するはずが、いつしか“価格”のみで逆算されるようになってきた....。最終商品の価値から逆算する事に全く異存はありません。その価値を高めるために作り手には不断の努力が必要な事も...。食品販売の中心的存在であるスーパーマーケットなどでは、お客様の一回の食事メニュー&予算から逆算して、単品の値段が決められていく。下流(消費者側)から情報を上げる。中流で繋ぐ。上流(生産者)ではその情報に基づいて、知恵を絞る。地域内のお客様の1回辺りの食費は4人家族で~円以内。そこからメニュー提案して、自社の利益も確保して...。上流の資源は無尽蔵ではなく、資源を維持するためには木の伐採とか、雑草取りとか、いろいろ重労働があるのだけれど、最近は上流から人がいなくなり、お年寄りだけではこれら作業が難しくなってきた。経済的価値だけ、端的に言えば労働内容と給料“だけ”で比べたら、こんな作業やるよりもっと割りの良い仕事は沢山ある....。益々人が出て行く訳ですね。余談ながら“仕事”と“稼ぎ”は違うのだそうです。生活の糧を得るために、山の作物などを採って売る事などが“稼ぎ”、その作物が将来に渡って採り続けられるように、山の維持(伐採や雑草取りなど)をすることが“仕事”なのだそうです。本日も横道に逸れてしまいました。続きは明日。写真はある日の銚子第三漁港付近。何とも幻想的な雲が出ておりました。季節や天気によって姿を変える雲。この雲も地域の“財産”だな~と、漁港の行き帰りにそんな事を思っております。


はじめに売価ありき②

2007年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1648 ロゴスの反対をカオスと言うそうです。カオスとは、混沌(こんとん)などと訳され、まとまりがなく、各々が右往左往している姿かと。そのカオスの中から、ある一定の“まとまり”を探し、一つの方向に誘導していく事。これ“システム”と呼ばれております。システムとは日本語にすれば、“仕組み”とでも訳しましょうか。“カオス”....、現代の様相を表す言葉では無いでしょうか?カオスから将来に対する希望を示す“システム”が構築されていない、或いは、機能が古くなってきたのに、新しいものに取り替えられていない....。進化論で有名なダーウィンの言葉、最も強いものが生き残る訳ではない、最も賢いものでもない、生き残るものは“変化”出来るものだ....。本日も冒頭から脱線しました。ただカオス、TV,新聞を見ても、何気ない日常生活の中でも、ああ混沌、混沌...?という場面に多々遭遇します。混沌はチャンスだ。と見る人もおりますが、混沌は人間の保守的傾向にも拍車を掛ける。モノの値段は最終商品の“価値”で決まる。先入観とか、既成概念とかを排除して、価値基準に多様性を。と言ったところで、混沌とした状況の中では、益々、経済的な価値一辺倒の傾向が強くなっているように思います。が、やはり振り子の揺れ。混沌とした中で保守的傾向となるその反作用でしょうか、ちょっと待てよ。という方が増えていることも事実です。不特定多数1万人より、“熱狂的な”想いを持った仲間100人の強み。“大きく、広く、浅く、薄く”から、小さく、狭く、深く、濃く....、という時代の変化を感じております。続きは明日。写真はある日の犬吠埼。砂浜が浸食され、波打ち際でこの波の高さ(2mほどあるでしょうか)でした。波の恐ろしさ、砂浜の浸食問題はさておき、豪快な自然の力強さ。少々嫌な事があっても、この場に30分もいれば、すべてこの波が洗い流してくれるようです。


はじめに売価ありき①

2007年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1646 “はじめにロゴスありき”聖書の一節にそんな記述があります。ロゴスとは、理性などと訳し、そのロゴスがある事。それが人間と他の動物を分ける境界線になるのだそうです。昨日のお話、商品の価格形成メカニズム。これ多くの場合が、はじめに“売価”ありき。という構造であります。原料~生産~販売....に至るすべてが、各々自分達が得たいだけ利益を上乗せしていったら、最終の販売価格は恐ろしく高くなっていくことでしょう。公共経済学の項目でも言及しましたが、食品など、公共性が強い商品で特に顕著な特徴です。食品は世の中に溢れているように“見える”けれど、自給率は39%まで下落。主要穀物の自給率に至っては10%台。それに拍車を掛けるように燃料費の高騰、後継者不足....。コスト積み上げではなく、最終商品の“価値”から逆算して行く。これが生活必需品の価格に一定の歯止めを掛けてきた事は事実。最初にこの商品は198円で販売。この大前提が有り、販売側の利益、原料、包装資材、製造に関わる人件費....。すべからく、“198円で販売できる”範囲内で1円、50銭単位の交渉が行われている訳です。商品の最終“価値”から逆算して価格形成。これに異存はありません。ただし、モノの価値基準が少なく、結局“値段”となってしまう傾向が強い昨今、この考え方にも制度疲労が来ているようです。サンマとか、ダイコンとか...、豊漁・豊作“貧乏”と言われる“食べ物”があります。現在稲刈りの真っ最中、今年の米価はどうなんでしょうか?続きは明日。写真はある日の犬吠埼。地元サッカー少年団のバーベキュー大会が行われていた場所で、ご覧のような雲が出ておりました。雄大な空と海....、スタッフや保護者の方は大変でしょうが、これまた“心の原風景”となっていくことでしょう。


商品の物語...③

2007年09月17日 | イベントに参加

Img_1383 Img_1682 みんな“先入観”を持っております。あいつは~なヤツだ。私は....だ。どうせ...、結局....、出来っこない。先入観は不思議な事に殆ど消極的、否定的な言葉を伴って使われることが多い。さつま揚げは....なもんだ。1枚~円だ。.....。こういう先入観の呪縛に支配されると、これまた不思議な事に、それを逸脱しようとする物事にブレーキを掛けようとする見えない力が働く....。川の上流から下流に押し出す流れ、専門的にはトラッキング。反対はトレース。最終的に食べる方の、その食卓のお皿の上からトレース(遡って“着想”する)。それから遡って、販売の場所があり、流通があり、製造工場があり、原料があり、漁師さんに辿り着く....。本日は冒頭から意味不明な書き出しで申し訳有りません。でも、何を言わんとしているか、お察しの方も多いことと思います。何度も“価値のモノサシ”に付いて掲載して参りました。すべて“経済的な”価値基準・一辺倒で良いのだろうか?という事を。これは....なモノだ....。現在の流通システムにおいて、価格決定のメカニズムは至って単純。“はじめに売価ありき”であります。川上から製造コスト積み上げで、最終的に~円。ではなくて、この商品は198円で販売する。それから遡って流通過程のコストなどを差っ引き、じゃあ幾らで納品できますか?となる訳です。製造から販売に至るすべてが、自分達の欲しいだけ利益を上乗せしていったら、特に食品の価格はすぐに高騰し、仮にそれが許される世界なら、多くの国民の生活は逼迫していくでしょう(この辺は明日以降に掲載します)。この商品は地域の仲間との食事会の中で生まれました。生みの親が沢山おります。商品は製造者“のみ”が造るにあらず。甘やかしすぎず、叱りすぎず?皆さんと一緒に育てて行きたく思います。時期が来たら、可愛い子には旅をさせよ。との格言通り、銚子以外の皆様方の元へも旅をさせようと思っております。その節は何卒宜しくお願い申し上げます。


商品の物語...②

2007年09月16日 | イベントに参加

Img_1396_4 Img_1675 写真左の食べ方例。あれは何だと問い合わせを頂きました。これ、私の頭からは絶対に出てこなかったであろう食べ方。やはり商品は色々な方(作り手や同業者だけでなく、広く地域の方々、あるいはすべてのお客様)にご批評頂いて、自然発生的に出来上がっていくもの。特に地場産業はその傾向が強いかと。さて左ですが、右のモノを①沸騰したお湯で30秒ほど湯がく。②取り出して即座に氷水で〆る。③食べ易い大きさに切る(切断面が大きくなるよう削ぎ切り&若干薄めに切るのがベストだと思います)④お好みの薬味(ネギ・ミョウガなど大量に)⑤ポン酢を掛けるか、ワサビ醤油で食す....。ウッ....。なんだこれ。一同の率直な感想でありました。絶品であります。しかも当日は同級生のマグロ・スペシャリストからバチマグロの中落ち到着。紅白で何とも縁起良く、赤・白・緑のコントラストは見た目にも美味しさを演出しておりました。中身はどうでも良い。とは全く思っておりませんが、やはり見た目も大切です。続きは明日。