銚子・角巳之・三代目

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南天の(実)

2024年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

南天は“難転”(難を転じる)に繋がることから縁起物...。事務所には各所に配置しております。
生来の凝り性ゆえ、色々な種類の南天を育ててみるも、枯らしてしまい、また新しいものを...。
ヒイラギ南天(葉っぱがトゲトゲ)というものを育てていましたがこれまた枯れて...。

写真は細葉ヒイラギ南天というそうですが、ヒイラギ南天とは別の種。マホニアコンフュ-サ
という格好の良い名前があるようです。秋に黄色い花が咲くと教わりました(実際、咲きました)
春先にブルーベリーのような青い身を付けると...(これまた実を付けました:写真)

植物も“生き物”ですから、出来れば購入したすべての植物、花を咲かせ、実を付けさせてあげたい。
しかしながらどうしたことか、枯れてしまうものも多い...。。植物は口を聞けませんので、これは
植物の状態を見極めてあげられなかった自分(私)の責任...と深く反省しております。

正しく育てば、花を咲かせ、実を付け、また新たな命を宿すものを、置いた場所(環境)、世話
をする人間...等、周囲の環境によって枯れてしまうことが多いこと、人間世界の縮図だな~と。
少し飛躍しました...。本日3月31日...、明日から4月です。

梛&金太郎

2024年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

神社に行くと露店が出ていることが多々あります...。そこに絶対あるのが花屋さん(植木屋
さん)。こういうところで縁起の良い植物を見るとつい購入したくなってしまう性分で今回、
一言主神社で見掛けたもの“梛”の木と、金太郎という多肉植物...。

まず梛の木...。神が宿る神聖な木として神社等で良く植えられているそうです。悪霊をなぎ倒す。
に繋がるとか、凪(なぎ)にも通ずることから平穏無事を。とか、葉の表裏がともに美しいこと
から正直、表裏が無い...等々に通じるようです。無事に育つと数十mにもなるようで...。

多肉植物、金太郎はまさに見た目がそう...。桃が割れて桃太郎が飛び出してきたような感じが
致します...。あまり手が掛からない植物だそうで、水やりも1ケ月に1回くらいでOKとのこと。
これから事務所の“一員”として毎日成長を見届けたく思っております。

植物の有る生活は良いものです。時に枯れてしまい、それは恐らく可愛がり過ぎ(水のやりすぎ等)
なのですが、鬼門方向で枯れた木は人間に変わってマイナスエネルギーを受けてくれたからだ...等、
勝手な思い込みも...。それでも...、植物のある生活は良いものです。

一言主神社

2024年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

いつもの如く、“そこに”行ったら、“他に”何があるんだろうと思わずにいられない性質でして...。
常総市、常総市と考えて浮かんできた答え、一言主(ひとことぬし)神社...。高名な神社で
いつかは行ってみたいと思っておりましたが、今回がそのタイミングだったようです...。

常総という言葉があります。常陸(ひたち)と下総(しもうさ)を合わせて常総。もともと
常総市は銚子と同じ下総の国であり、銚子のように周囲270度が海・川である場所と違い
隣接地が多い常総市は下総であっても常陸(ひたち)の国との関係深い、いわば緩衝地帯...。

一言主神社...。縁起を見ますと今から1,200年以上前の創建。この地に光が降り注ぎ、
その場から忽然と筍が生え、瞬く間に三岐(みつまた)の竹へと成長。村人が神事を行うと
我は大和の国(奈良県)葛城山の一言主なり。この竹を私と思い末永く祀りなさいとの啓示...。

一言主は言行一致の神と呼ばれているそうです。良きことも悪きこともよく聞き分けてご利益
を頂ける神様として、また一言の願いでも疎かにせず叶えてくれる万能神として。奈良の神様
が何故茨城に...。これが歴史ロマンと言うべきものですが、今回は“言行一致”肝に銘じて...と。

道の駅(話題店)②

2024年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

“アグリサイエンスバレー構想”とは常総市のHPなどを拝見しますと...。圏央道周辺の約45haに
農地エリアと企業を誘致する都市エリアを形成し、生産、加工、流通、販売が一体となった地域
産業の核となる産業団地を作る...と。実際、周辺には企業群(物流基地等)増えております。

食と農と健康をテーマに六次産業化を軸とした“まちづくり”と地域活性化を目指すプロジェクトを
推進...と。すでに国内最大級と言われるイチゴ農園があり、道の駅を核として隣には大型の書店、
今後は温浴施設も開業されるとのことです。食・農・楽を経験できる一大観光スポット(HPより)

この常総市というところ、都内から約50kmと近くそれでいて農産物の生産が盛んなところ...。
県内ではつくば市等とも(距離が)近く、千葉の柏・野田、埼玉・春日部からも1時間は掛から
ないだろうと思われます。ここにきて各地、圏央道はじめ新道路の開通が相次いでおります...。

概ね車で1時間...くらいの距離感が丁度良い...のだろうと思います。昨今の道の駅の特徴はその機能
(防災等)を維持しつつ、インター近くで複合的に...。根底にはまちづくりの指針あり、集まった
人からまた“次の何か”が生まれる仕掛け...。どんどん進化する道の駅であります...。

道の駅(話題店)①

2024年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

地方暮らしをしていると、週末の道の駅通いが趣味...と言う方多いと思います。私の周囲にも
沢山おります道の駅マニア。その方々をして是非行くべきだとお勧めの場所(写真)道の駅常総。
最近、仕事で土浦方面に行くことが多く、さすれば足を延ばすか...と行って参りました。

その場所は、茨城県常総市(首都圏中央連絡自動車道:圏央道)常総インターチェンジを降りて
すぐのところにありました。昨年の4月にオープンし現在も大繁盛店として各所で話題になって
おります。ここは道の駅という“部分”ではなく一体開発の“象徴”のようなところ。率直な感想です。

常総市は8年ほど前の鬼怒川堤防決壊において大きな被害を受けたところ。常総市のHPには、
防災設備を整えた新たな道の駅が復興のシンボルに...と書かれておりました。水害は一つの契機
としても、従前から“アグリサイエンスバレー構想”なるものが存在していた...ということも。

道の駅というところ都内在住の頃はよく分からない場所でしたが、銚子に戻って直後から10年
ほど、銚子の水産物を販売させて頂く場としてとてもお世話になりました。現在は各地訪問し、
時間あれば探して訪れる(訪問必須の場)として。道の駅どんどん進化しております(続きは次回に)

天保年間⑤

2024年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

写真は東庄町にあります“逆水門(河口堰)” この少し上流に大利根河原の決闘の地があり
ます。悠久の時を経て流れる利根川...。銚子商業の校歌、一番は余りに有名ですがその二番に
流れて絶えず新たなる・利根の流れは汪洋と・千古の歩み絶えずして・不易の姿を現わせり...と。

言いたいことは、この歌詞にすべて凝縮されているように思います。“地域”ということ、その
時代、時代に天変地異等...様々なことがあるも時代は流れ、常に“今”が一番新しい...。そして
その流れは汪洋(広大な、ゆったりとした)として、究極的に千古不易...。

千古不易とは永遠とか、不滅などと解釈すると思います。その場所で、その時代に。人々は
限りある時間を懸命に生きる。後世の人々は記録や記憶から先人たちがどう振舞ったかを知り
それが今を生きる原動力となる。そういうことかと(50代半ばの)現時点での私の感想...。

天保年間というのは、明治維新という大きな時代の変革期(そのちょっと前)...。繁蔵・助五郎
と同じ時代、場所で生まれたのが大原幽学による先祖株組合(協同組合の祖)、同時代には
二宮尊徳による報徳思想...。最近私の周囲では天保年間に学べ...と。この話題またどこかで...。







天保年間④

2024年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

天保水滸伝において、幕府の威光を笠に着た(岡っ引き)飯岡助五郎は悪で、笹川繁蔵は善で
ある...。こういう流れが感じられるのですが、これは日本人の判官びいきや、それぞれの立ち位置
ものの見方が関係していると思われます。しかしながら飯岡助五郎...調べれば調べるほど“偉人”です...。

これは笹川繁蔵も同じ...。一般的に言えば博徒であり、良くない人たち...ということになるかも
しれません...。“侠客”という言葉があります。義侠心を持って地域の人々の窮地を救う等と解釈
されるようです。この文脈で言えば飯岡助五郎も笹川繁蔵も天保年間、我々の地域に生きた侠客。

この時代(天保年間)、江戸三大飢饉に数えられる天保の大飢饉...。鎖国をしていた訳ですから
外国から食糧を緊急輸入しましょう...なんてことは出来ない訳です。名君と言われた為政者がおり
常日頃から備え怠らなかった地域もあったようですが、殆どの地域で餓死者急増...。

元々この地に殿様はおらず、お国の緊急支援など望むべくもない...。詳細は省略しますが助五郎、
繁蔵ともに地域の危機を救う様々な足跡が記されておりました。因みにある一時期、助五郎の
ところに身を寄せていたのが“座頭市”だそうです...。さてこの話題、次回で一区切りと致します。



天保年間③

2024年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

平手造酒を描いた作品は数多あります...。完全無欠のヒーローよりもどこか“影”がある人物に
惹かれるのは今も昔も変わりがないからだと思います。中央で活躍していた人が挫折する...。
消えてしまいたい衝動に駆られながらお江戸を後に、あてどない旅に出る...。

平手造酒は銚子へ向かい、銚子の手前・東庄町で笹川繁蔵に出会い世話になる。そこに飯岡
一家の殴り込み...。繁蔵に恩義を感じている造酒は笹川方の助っ人として喧嘩に加わる..。
かつての千葉道場・師範代も、落ちぶれて用心棒となり下がり闘死...さぞ無念...と。

史実と脚色が混在しておりますが、いつもの如くそれはさておき。それぞれの頭の中で登場
人物の心情に想いを致す。これが歴史を学ぶ醍醐味と思っておりますので。当時は鎖国をして
いた訳で海外に逃げることは出来ず、島国ゆえ中央から離れればやがて海の近くに辿り着く。

“最果て”という言葉があります。これより先は無いという意味かと思います。最果てへ向かう
道すがら、出会った人の人情に触れ義によって立ち、闘死した人生は無意味か?ということで
あります。写真は岩井不動尊(龍福寺)の森.。三枚目は何故か龍の顔に見える...。(続きは次回に)


天保年間②

2024年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

写真は岩井不動尊境内。弘法大師像があり、奥には“滝”があります。不動真言を唱えながら滝行
を行うところ...。縁起によるとこの場は修行だけでなく、時に病院のような役割を果たしていた
のだそうです。一心不乱に滝に打たれ不動様の力で病気を退散させる...。

さて、狭い地域内で顔役が2人。方や幕府公認の十手持ち(岡っ引き)。メンツ...とメンツが
ぶつかればやがて...と言うことであります。顛末は東庄の笹川繁蔵...、飯岡助五郎の勢力に
よって首を刎ねられ、清滝佐吉はじめ一家はお江戸に移送されて処刑される...。

平手造酒(ひらてみき)という名前は天保水滸伝における裏主役のようなものかもしれません。
お江戸・千葉道場にて腕を磨いた剣客もお酒で身を崩し“銚子”へ向かおうとする。どうもこの
銚子という街はお江戸での生活に疲れた方々が最終的に流れ着くところ(の一つらしい...)

男なら銚子へ行くを東慶寺。なる詩をある書物で知りました。東慶寺とは鎌倉にある縁切り寺。
当時、女性は現実から逃れるために出家しなければならないが、男であれば銚子へ行けば良い。
そんな解釈かと思います。様々な人間模様が交錯する舞台です...。(続きは次回に)


天保年間①

2024年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

清滝トンネル開通の話題から、場所、時代へと飛んで参りますので本日からタイトルは天保
年間と致します。まずは場所のこと...。律令時代にこの一帯(銚子を含めて)下総と呼ばれて
いたところ。下総は広く千葉北部・茨城南部を中心に東京、埼玉、栃木、群馬の一部も...。

関八州という呼び名があります(上野、下野、常陸、安房、上総、下総、武蔵、相模)...。
時代劇などでお馴染みかと思います。この地域、幕府天領(直轄地)に加え私領(旗本等)、
寺社領などが混在し、A地点で悪さをしてもB地点に逃げ込めばお咎めなし(だったらしい)

地域の治安は乱れ今でいう警察の力も広域に及ばず、これらに対応するため幕府は関東取締
出役という制度(俗にいう八州廻り)を作り監視に当たらせる。しかしながら関八州は広く、
地元に精通した協力者が必要であったことから、いわゆる“岡っ引き”の力を借りる...。

清滝を含む一帯の“岡っ引き”が、飯岡助五郎。天保水滸伝等では幕府の力を背景にやりたい
放題の嫌な奴(のような)描かれ方をしておりますが、これは立ち位置、見方...の問題かと。
写真は岩井不動尊の仁王門と境内...。“雰囲気”のあるお寺です。(続きは次回に)

清滝トンネル開通③

2024年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

清滝トンネルの近くにあります、龍福寺(岩井不動尊)に行って参りました。昨日掲載のように
様々なことが気になり、繋がり始めて参りまして、一度そう思い立つと調べないと気が済まない
面倒な性格ゆえ、これから暫く清滝という場所から天保年間と飛んで参りますがご容赦を...。

この場所、かつては門前町として大いに栄え、栄えれば富が集中しその富を巡って様々な利権
絡みが出てくるものです...。この一帯を支配していた清滝佐吉。天保水滸伝の中でも人情味の
ある好人物として描かれております(花も実もある良い男)。若い佐吉が頭角を現してくると...。

この一帯、東庄と飯岡の中間地帯ですが、地理的には飯岡に近い...。飯岡には飯岡の助五郎と
いう親分がいて、関東取締出役制度(警察の出先機関のようなところ;詳細後日)による
十手持ち(時代劇に出てくる“岡っ引き”)。佐吉にプレッシャーを掛ける...。

佐吉は飯岡の反対側、東庄の親分、笹川の繁蔵の子分となることで身の保全を図ろうとする。
このことが天保水滸伝に描かれる“大利根河原の決闘”の遠因だと言われております。利権が絡む
両隣に、それぞれ強大な力を有するリーダー...。まさに地政学の領域で...(続きは次回に)



清滝トンネル開通②

2024年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

さて暦の上では春分...。昨年よりも桜の開花は遅れているようですが、季節はまた一つ進んで
参ります。少々格好をつけた言い方をすると、この絶え間ない繰り返しが歴史であり、歴史は
その時代、とある場所で、人が作るもの...。清滝トンネルの開通に際し時代、場所、人のこと...。

時代は天保年間(江戸時代)西暦1831年~1845年...。1868年を明治元年とすると
天保末期はいわゆる幕末に近い時期...。坂本龍馬はじめ名だたる志士たちが生まれた年代であり
時代の大きな変わり目...(そのちょっと前の胎動期)。今から150年から200年前のお話。

その天保年間、銚子を起点とすれば利根川沿いに東庄町。九十九里側に飯岡町。トンネルの
開通した清滝地区はそのちょうど中間あたり(やや飯岡に近い)の場所...。利根水運、漁業で
栄えた両地域、清滝には岩井不動尊(龍福寺)があり門前町のような賑わいがあり...。

岩井は清滝に隣接する地名(現在は旭市)。龍福寺は真言宗・智山派の寺院で恐らく紀州・
和歌山との繋がりも深いと推察されます。流行りの地政学...の領域かもしれません。栄えて、
富が集中すれば、人が集まり、人が集まれば勢力争いが起きて...(続きは次回に)

清滝トンネル開通①

2024年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

先週、銚子⇔旭を結ぶ、清滝トンネルが開通しました...。成田方面から銚子へ向かう広域農道
終点の場所(旭市岩井地区)、従来は山(丘と言うのかも)にぶつかるT字路で、ここから
銚子に入るには、T字路の左右、(左:東庄側・利根川沿い)、(右:飯岡側・九十九里側)

このどちらかへ迂回しなければなりませんでした。それがトンネル1本で直通できるように
なり、大幅な時間短縮となりました。報道発表資料などを見ますと距離にして2.6km。
具体的にどれくらい短縮になるか測定していませんが、感覚的に相当早く感じる...。

千葉県のHPを見ますと、県都1時間構想という基本方針が掲げられております。これは
千葉県内の主要都市から県都・千葉市までの到達時間を概ね1時間圏内に。ということで
この清滝トンネルの開通によって、銚子から千葉市まで1時間と(ちょっと)くらいに...。

私にとって感慨深いのは、時間短縮だけでなくこの場所のこと...。地名の清滝(きよたき)
であり、東庄(利根川)・飯岡(九十九里)の緩衝地帯・“天保水滸伝”の舞台であり、協同
組合の始祖・大原幽学が活躍したところ...。この話題、少し続けます。

不易流行!

2024年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

先日の“温故知新”に繋がるかと思いますが、古民家カフェやレストラン...全国各地で大盛況だ
そうです。個人的に古民家を再利用した取り組みを行っている知人が多く、その方々は流行
云々ではなく、“何十年も前から”それを行い、そういう生き方をしております...。

ブランド...という考え方にも通ずるかと思います。ブランドとは刻印されたマーク等のこと
だけでなく(究極的に)そこに至る作り手やそれを支援する様々な方々の不断の努力、或いは
生き様のことであります。故に、古民家見ると“不易流行”と想いを新たに致します...。

長年続く老舗の店主さん達と話をしていると、必ずこういう言葉が出てきます。我々は変わら
ない為に変わり続けております。いつ聞いても深い言葉です。まさに不易は流行と見つけたり。
本質は変わらず、時代と共に新しい考え方・手法は積極的に取り込んでいく...。

人口減だ、空き家が増えただと、そんな話を聞くことが増えた昨今です。それら状況は都合が
悪い...そんなニュアンスで語られることが多いですが、果たして...。温故知新であり不易流行。
さらには脚下照顧...。写真は過日の笠間市にて。店内の雰囲気、そして器も最高でした...。

天赦日③

2024年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

こういう話題(熱くならないで下さいよ...)に過剰反応している自らが“大人げない”のかも
しれませんが、当ブログは開始当初より、自らが地域生活で見たり、聞いたり、感じたり
...を感情にまかせて書き記す...。更新されているうちは生きてますので...そんな感覚です。

熱くなるのはクセのようで、時に行き過ぎて後に後悔...この感覚がパワ〇〇の元凶ですと
諭され反省もしているのですが、なお以て違和感が残るのは何かと考えておりました...。
出てきた結論、“温度差”...。熱いのが良い。冷たい(冷静)は悪い..ではなくて状況の捉え方。

今まさに、自らにとって大切な人が海で溺れかけている。例え極端かもしれませんが私には
生きるか死ぬかの状況に追い込まれている中小・零細企業に重なる...。必死にもがく方々に
まあまあ、そんなに熱くならないで...。自らが当事者だったらどう感じるだろうか...と。

さて天赦日という話題から、いつものことながら大幅にズレました...。これも天赦日に免じて
ご容赦を。私自身、感情に任せながら違和感の正体が温度差であること腑に落ちて参りました。
と同時に、寒暖差調整の必要性も...。今年、元旦に次ぐ2回目の天赦日にて...。