こういう食べ方を、野趣(やしゅ)溢れる。というのだろうと思います。昨日の丸焼き。解体が終わった部位を再び、火の中へ。不思議な事に、タレなど何も付けずとも美味い。雰囲気の演出もあろうかと思いますが、こういうことは絶対に家庭では出来ないので、やはりイベントの醍醐味だと思います。そこに行かないと感じられないし味わえない。脂が美味しいからバラだとか、赤味のモモが良いとか、そんなの全く関係なし。どの部位を食べても美味い。ロースは高い、スネは安い...というのも単なる既成概念に過ぎない。とこれ食べて改めて感じました。ただ焼いただけですが、どの部位もシットリとして、濃厚な味わい。“ただ”焼いただけ。と書きましたが、この“ただ”がクセ者。シンプルな料理ほど奥が深いです。調理に当たった方々が一昼夜という時間を掛けて作った作品。調理法はシンプルでも、相当の手間が掛かっております。こういうのを見ると反射的にロースのところとか、肩ロースのところを。とおっしゃる方がおりますが、これあくまでも既成概念。普段知っている部位の“値段”=美味しさの優劣と考えてしまうと、こういう場で美味しいものの発見を逃してしまうかもしれません。魚も同様だと思います。トロだけのマグロはいないし...。あばら骨の周り、スネ、肩関節の周辺....味付けをしていないはずなのに....。沢山の発見がありました。