銚子・角巳之・三代目

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冬の刺身&ヤリイカ

2010年01月27日 | 銚子のうまいもの

004 007 冬らしい気候の毎日。銚子の魚も一段と輝きを増して参りました。左は小ダルマ(バチマグロの小さいもの)、沖ベーボ(つぶ貝の一種)...。すべて銚子港で揚がり、刺身、あるいはボイルで。刺身の左下に見えるのは“アンキモ” 口の中に入れて3秒で無くなりました....。アンキモも、もちろん銚子港で揚がったもの..。右は旬を迎えたヤリイカ。銚子沖でこの季節だけ、漁師さんに聞くと、銚子港からそう遠くない魚場の中層(それでも水深100メートル近いらしいのですが)でヤリイカの群れが形成されるのだそうです。本当に今の季節だけ。日本人はイカ好きと言われます。確かにマイカ(スルメ)も美味しいし、スミイカ、ダルマ(関西ではケンサキかと)、ヒイカ、アオリ....何でも美味しいですが、この季節のヤリイカは別格のような気がします。刺身で良し、煮ても、焼いても良し....あそこで売っている炊き込みご飯も.....。私はたまたま水産関係の仕事をしており、銚子港で何が揚がっているのか、相場はいくらくらいか?について、一般の方々より少々知っているつもりですが、20代、30代の方々に聞くと、銚子でこんな魚揚がってるんすか?....と。銚子にいても、すべての人が水産関係者じゃないしな~とは思いますが、地域のこと、実は地元の人間もなかなかわかっていないな~。これ実感であります。


仁過ぎれば....。

2010年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

014 長官!敵は降伏しております。発砲をお止め下さい....。が、しかし連合艦隊司令長官・東郷平八郎は撃ち方止めの命令を下さない....。坂の上の雲の表現をお借りすれば、“これを勝利と言う曖昧な定義付けをしてよいものだろうか....、ロシア帝国の威信をかけて欧州からはるばる極東に遠征してきたバルチック艦隊が消滅してしまったのである....” 完全な勝利の瞬間。しかしながらその作戦を自らの精神を歪めるまでに心血を注いだ秋山参謀は正視できない。これまた前掲書によれば、その姿、子供の頃 母親から聞かされた地獄絵図そのままである....。あるものは腕をもがれ、あるものは背中を割られ.....。もう耐えられない...。秋山参謀はさらに詰め寄る....。長官!武士の情けであります。何卒発砲をお止め下さい.....。これまた前掲書....東郷長官曰く、(鹿児島弁で)本当に降伏すっとなら、敵は白旗を掲げ、艦を完全に停止せにゃならん。じゃっどん、敵はまだ前進しちょるじゃなかか?.....。国際法に基づく正式な処置。秋山参謀はすでに情に流され法に基づく判断が出来ない。もし敵への憐憫の情が先走り、敵のだまし討ちを食らったとすれば、自らが危険に晒される....。さて、本日ある高校の先生と話をしていたときに出てきた話。坂の上の雲、本年末まで待ちきれないね~。から始まって上記の話。ちょうど儒教などでいう仁・義・礼・智・信...の話の発展。伊達政宗の言葉、義に過ぎれば固くなり、仁に過ぎれば弱くなる....から。奥州制覇の野望を胸に、肉親をも殺さざるを得ない状況のなかで、一国の主として非情な決断をしなければならなかった正宗の言葉...。天才といわれた秋山参謀も、その場において、仁に過ぎて弱くなったのだ...と。仁・義....(詳細省略)も人間が生きるに大切なこと。なれど、リーダーたるもの、その場の感情に惑わされず、時に非情と言われようとも....と。歴女と言われる、歴史好きの女性も加わり、マニアックな会話が続いていたのでありました.....。でも、カモメはカモメ、孔雀や鳩やましてや女にはなれない...と言ったら、何それ....と。名曲の一節なのに.....。話が前後しました。すいません。


ソース昆布!

2010年01月25日 | 銚子のうまいもの

010 実は銚子の隠れた逸品....。“ソース昆布” 私と同年代か、先輩の世代であれば、30年位前に公園などの遊び場に、紙芝居のおじさん....がやって来て、最後にクイズか何かをやって正解するとくれたやつ.....。これをパンダ印(正確にはなんと言うのでしょうか?)のせんべいに挟むと....。郷愁を誘う味であります。先日これがビールの“ツマミ”に出まして.....。一口食べた途端、懐かしい味とアルコール....不思議な感じが致しました....。これ、ダシを取った味も何もない昆布。多くの場合は捨てられるのでしょうが、これをトンカツソースに浸して1週間ほど...のものなのだそうです。子供の頃は、こんなに美味い食い物があるのか...?と思っておりました....が。素材、作り方はともかく、久しぶりに食べて、これは美味い..と。本当に美味い。商品にして売ろうか?とか、流行のB級グルメにエントリーを...という邪心は全くなく、美味い。美味い。ただそれでいいじゃねえか。と....。最近の心境であります。


幻シリーズ!

2010年01月19日 | 銚子のうまいもの

001 002 写真左、茹でたキンチャクガニ、右はヤナギムシガレイ、メイタガレイ、カワハギの干物....。これら銚子でかつては、それこそ“はいて捨てるほど”揚がって、食卓にいつもあったモノ....。いつしか水揚げ激減となり、気が付けば幻シリーズの仲間入り...。カワハギはまだ沢山見掛けますが、それでも往時に比べれば....。上記すべて、大人は何故こんなもの食べるんだろうか? そんなものより肉だ肉。肉、肉、肉....と頭の中は完全に肉モード。ハッキリ言って、子供の頃、魚は嫌いでありました。それが、自らがかつて眺めていた大人たちの年齢になり、少々お酒をたしなむようになると、ああやっぱり魚はいいね....と。20代前半から30代半ばまで食肉担当をしていた私であります。肉好きは今も変わりませんが、銚子に住んでいる事、年齢も関係するのでしょうか、魚の頻度が非常に多くなりました。で、それを満喫できるはずの銚子生活ながら、次から次へと幻シリーズの仲間入り....。銚子に住んでいても滅多にお目にかかれない魚も多くなり....。何故獲れなくなったのか? 乱獲、漁場の荒れ、潮や気候の変化....様々な理由が喧伝されますが、実際のところ海のことは良くわかっていないのが実情のようです。難しいことはさておき、少なくとも揚がった魚はすべて食べつくそう。それを生業としているなら売りつくそう、手間を惜しまずに加工すれば価値が見出せるなら手間を惜しむまい、とにかく色々な手をつくそう.....。少なくとも捨てられる魚はナシにしよう。資源管理、漁獲枠、相場回復のための休漁....そういう船の話ではなく、やはり食べる人が変わらないと....。この魚はいい魚、これは×.....勝手にランク付けせず、すべての魚に関心を。上記幻シリーズ....、少なくとも30年位前まで“なんだこんなもの”と言われていたような....。折りしも30年前と言えば日本の水産物自給率は100%に近かった頃、それが今では50%付近に...。何事も、それが潤沢にある時に次の一手を。と言うことでしょうか。それはなかなか難しいことですが、これから先は選択肢が非常に少ない....と思っております。


深夜の入港

2010年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

005 ブログの更新が相変わらず滞りがち....。写真だけはどんどん溜まっていくのですが....。毎度の事ながら誠に申し訳ありません....。さて昨夜の帰宅途中、第二漁港の前を通りかかりましたら、深夜にも関わらずすでに まき網船の入港が。どの船も船体を大きく海に沈めての入港。大漁である事は一目瞭然でありました。サバかセグロイワシなんでしょう。水揚げ日本一の報に接してから数日。記憶しているだけでも3度、数千トン単位の(サバ)水揚げがありました。数千トン....、それはどのくらいか?と言うことなんですが、要するに、いっぱい、たくさん...です。という事であります。サンマのように魚体がほぼ均一なら、1尾200gとして1000㌧なら約500万尾です。となりますが、サバのように大きさが不揃いのものはなかなか具体的数字の類推が難しい...。でも、凄げえいっぱい。であることに間違いなし...。それにしても、深夜の漁港は寒い....。今回、職質は受けませんでしたが、こんな寒中、月並みですが、漁師の皆さんお疲れ様でした....と。


託す!

2010年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

001 015 本年正月、紫紺にMマークが箱根往路を快走し、山の神様に抜き去られるまでしばし夢を見ておりました....。かつての名門が堕ちていく....。名門であればあるほど這い上がるのに苦労する。いつしか負け犬になり、どうせ....なんか....となって、戦う前から負けた時の言い訳を探すようになる....。それを復活させる。選手、スタッフの心労は計り知れません....。中継地点でトップ通過は61年ぶりと聞きました。私は仕事の傍ら、時々ラジオ、TVに目を通すだけでありましたが、この姿に感動した方々多かったのではないでしょうか(OBだけですかね...)、さて61年前。61年前って言ったって生まれてないし、実感ないですね~と選手のインタビューがありましたが、まさにその通り。でも確実に伝統の力は生きている....。その61年前、箱根のゴールを紫紺にMマークが飛び込んだ時に、銚子市では銚子半島駅伝大会が始まった訳であります。戦後復興期、自信を無くした日本人、地域の人々に勇気を与えよう...と、銚子在住、出身の諸先輩方が尽力され始まった大会。すっかり銚子・新春の風物詩になりました....。恒例となりましたので私は交通整理係の一員として、仲間と一緒に出動していました。持ち場は例年と同じく、スタート地点付近。スタートに際して、大会役員から選手紹介などがあり、そこで.....。駅伝のタスキは“渡す”ものではありません...。“託す”のであります.....と。新春早々、なるほど~と、感じ入っていた次第であります。託すと言う言葉。これは非常に重い....。箱根を見てもそうでした、繰上げスタート等、タスキを渡せなかった選手の無念...。渡せなかったというより、託せなかった....想いを繋げなかった事への無念...。でもそれらは下級生がじっと見ていて、翌年、また新たなドラマが生まれていくわけですが....。渡すのではなく“託す”.....。仕事はじめ、何事にも通じることだな~。と、その言葉が頭から離れません。銚子半島駅伝参加81校の中学生の頑張り....。いや~箱根に負けていませんでした。この中から将来箱根を沸かせる選手が出てくるかもしれませんし、何よりも、他人に託す事が出来る人材の排出....。一生懸命走る中学生を見ながら、お前は人に託せる人間か?....と問われているようでありました。


新年おめでとうございます

2010年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

006 みなさん、新年おめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。年末・年始と相変わらず各地を回っておりました。新年のご挨拶が遅れ申し訳ありません。昭和44年生まれの私にとって、今年は数えで42....と言うことで“厄年”にあたります。厄除け、厄払いに....という声がある一方で、厄は受けろ....という声も。大難は困るけれど、小難はむしろ“有難うございます”と言って受けるのがよろしい....。何かとせちがない世の中でありますが、“小難”ラッキー....と思えるような“姿勢”も大切なんだ....と。確かにそうかもしれない。ひと傷も負いたくない....という姿勢で過ごしていると、やがて大難が降りかかり、それ致命傷....というケース非常に多いんだそうです。誰しも傷を負いたくはありませんが、こんな時代だからこそ、傷を負うのを恐れずに...“前へ”....。そういえば、この“前へ” 年末・年始の全国紙に何度も登場して参りました。今の世代が一歩前に出ないと、次の世代は二歩も三歩も前に進まねばならず....。TVドラマ・坂の上の雲の一説をお借りするなら、明治と言う時代、すべての日本人があらん限りの勇気をふりしぼり、欧米列強に戦いを挑み、自立を勝ち取ったが、その後の日本人は、その成果を食い散らかして.....。とにかく今、“前へ”....。1ミリでも前へ....。小難ラッキー....と思いながら....。さてそれでは、今年もボチボチと更新して参ります。引き続き宜しくお願い申し上げます。