銚子・角巳之・三代目

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大アジ

2008年05月31日 | 銚子の魚

Img_3122 大アジ、その味が“大味”なのかどうかわかりませんが、大きな(いや特大という表現が適切でしょうか)、アジが揚がってました。銚子のまき網船(小型の二艘巻き)にて。40㎝くらいあったでしょうか? 私も初めて見ました。何事も過ぎたるは及ばざるが如し...。一般的に魚は小さいものより大きい方が美味しい...。でも大き過ぎると美味しくない...。と言われます。以前、船主の方に食ってみろと30㎝近くあるアジを頂いた事がありますが、感想は、いがいの意外とうめえですね...(大きいアジ、意外と美味しいですね)...。因みに銚子弁で大きいの意味は、“いがい” 我々、銚子一中付近の人間はこれに加えて、“すてっぱず” 昨日市場で、こんなすてっぱずなアジが揚がったどえ~。これで笑えれば、銚子弁達人の域であると私が太鼓判を押して差し上げます....。銚子でも海沿いのお年寄りや、一部の人間しか使わない表現ですが....。何で“すてっぱず”? 由来は?私には皆目見当が付きません....。銚子の読者の皆様方、教えて下さい....。


連載900回!

2008年05月30日 | ブログ

Img_3132 本日、連載900回を迎えました。皆さん有り難うございます。以前恐れ多い事ながら、1000日回峰行になぞらえて当面は1000回を目標などと書きました。本当に恐れ多い事ながら....。銚子での再出発同様、すべて条件が整ってスタートした訳ではなく、結局のところ何処に行きたいんだろう?という懸念が抜けないまま、すべて見切り発車....。信じるのは格好を付けて言えば自分の内なる声のみ....。走りながら行き先を決めよう。とにかく何か始めよう...、そして何があっても継続してみよう....。ホラ吹きと呼ばれるほどの大きな目標はあります。厳しい現実も受け入れられるようになってきた。大きな目標と、足元の対応だけでは気持ちを維持し続けることは出来ない...。それ故、3年とか、1000回なんていう中間目標を立てました。石の上にも3年と言うし....、比叡山の荒行にあやかろうとか、そういう不埒な根拠のみなんですが....。でもこれは効く。継続してみたからこそ分かるものも多い....。自分の弱さも思い知る。思い知ったが故に、思い知らなければ行けない所もある....これまた通る道.....。“100里を行くものは90里をもって半ばとす” 1000回続くと何かいい事あるのか?と聞かれたりします。....良く分かりません。分からないけれど、自分の中で何かが変わってきている事は感じております。じゃあその何かとは何だ?....これまた良く分かりません....。ただ、花は半開を看(み)、酒は微酔に飲む。この中に佳趣(かしゅ)あり。濃艶の地味は短し、清淡一分なれば、おのずから一分を悠長にす....(菜根譚)少し、この意味が分かるようになってきたかな....と。写真は銚子大橋。架け替え工事中で、ここの風景は日々変化しております。橋そのものが変わり、周りの風景も変わり、見ている人の心も日々変化する....。1000回を越え、銚子大橋の架け替えが終了した頃、この連載900回の記事を読み返した時、何故か笑っている自分がそこに見えるような気がしております。苦笑いかもしれませんが.....。引き続き宜しくお願い致します。


金輪際③

2008年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3138 二日ほど訳の分からない(本人至って正気なのですが...)ことを書いてしまったようです。自分には荷が重い内容を、感情に任せて書いてしまう....。これまた慢心(非常にレベルの低い慢心かと)....。ただ人間生活が“無常”である事は良く分かりますし、気を付けていたとしても、エアポケットに落ちてしまうことだってある...。その時、初めて分かることもある....。世界的に見ると、他者を否定しない仏教が大きく見直されているようです。世界的に起こっている食糧・環境問題...。解決の糸口の一つは豊葦原の瑞穂の国の今、そこにある“田んぼ”だったりして....。田んぼは単にお米という食糧を作るだけでなく、治水・利水に利用され、様々な生き物を育み、心の原風景を維持している....。害虫ですら益虫のエサと考える...。他者を否定せず、多様性を認める日本の田園風景の維持・存続はその試金石。修羅、畜生、餓鬼の状態で田園の美しさ、その価値には目が行かない...いわんや地獄の状態で.....。今、後継者問題等、日本の農業が金輪際の際にまで落ちてしまっているのでしょうか?洋の東西を問わず、愛情の反語は憎しみではないと言います。じゃあなんだと言うと”無関心”...。憎むべきは無関心....。相手との関係性。仏教で言う観音様であると。観音様は三十三(無限の意)の姿に変化して、その状況や相手に対応する。人もそうありたい....。できないけれど観音様にあやかりたい....。実は人間にはみなその観音力が備わっているのだそうです。雑誌にその観音力を呼び覚ますお経が載ってました。観世音・南無仏・与仏有因・与仏有縁・仏法僧縁・常楽我浄・朝念観世音・暮念観世音・念々従心起・念々不離心....。延命十句観音経というそうです。


金輪際②

2008年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3139 まず昨日、漢字間違いを指摘されました。“無限”地獄ではなくて、“無間”...。大変失礼しました。無間です。お恥ずかしい限りです....。さて、みな心の中に地獄や天国、修羅や餓鬼を持っている訳です、常に穏やかな人間でいたいけれど世の中無常....。何かの拍子で落ちる時がある...。すべて時間が解決してくれると金輪際を待っても、確実に跳ね返りがあるのかどうか....。“無間”地獄に落ちるのではないか...。こんな事書きながら、パラパラとプレジデントの最新号を眺めてたら、そのものズバリ、迷いが晴れる禅の手引き....。とありました。これまた邂逅(かいこう=出逢い)かと、しばし読み耽っておりました。今日はなにも嫌な事が起きていないのに、過去の忌わしい記憶を付着させて相手を見る。忌わしい記憶など忘れてしまえと言ってもそう忘れられるものではない。忘れろより、記憶しない努力なんだそうです。吾喪我(われ、われをうしなう)...禅の世界ではそう呼ばれているようです。昨日笑ったのと同じことに今日笑える事、昨日怒ったことに今日また怒るのも良し。問題は昨日の怒りの記憶の上に、今日の怒りを塗り重ねて行く、昨日の笑いの記憶のせいで今日笑えない....なのだそうです。禅問答と言われるくらいですから何のこっちゃとお思いでしょうが、具体的な事柄を重ねていくと見えるものがある...。怒りの記憶の上に怒り....。やがて憎しみの連鎖となり、憎しみの連鎖は加害者を被害者に、被害者を加害者にさせ、お互いを地獄に突き落とす...。すべての感情も記憶もすべて“無”にリセット、禅で言う“前後際断”の境地になると“日々是好日”であると。人間は当然の事ながら一人では生きて行けず、他者との関係性の中で生きている。すぐに慢心し嫉妬する。関係性であるので、相手のとんでもない行動にも少なからず意味があることに気付く。(我慢も慢心の一種なんだそうです)相手の態度も自分次第。仏教で言う相互依存とはそんな事から派生し、その人が“した事”ではなくて、その場で発生した“出来事”と捉えるのだそうです。続きは明日。


金輪際(こんりんざい)

2008年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3137 田植えの追跡レポートはこれから節目・節目で行って参ります。豊葦原の瑞穂の国の今。とでも題しましょうか。瑞穂の国は仏教の国であり、仏教は日本の風土と溶け合い、身土不二であるとともに、心の原風景を形成する非常に重要な場であったはずであると....。すべて考え方一つ、心の在りようが決める....。さて、仏教において、人間の心の在り方を六道(りくどう)などと呼んだりします。最悪の状態である地獄から餓鬼・畜生・修羅・人間・天と六段階に分かれております。人間は“じんかん”とも読み、読んで字の如く、人間関係を指すのだそうです。その関係が上手く行くと、天にも昇る。けれどそこは無常の世界。無常とは“常”が“無し” これが日常、通常と思っても、良くも悪くもずっと同じ状態ではいられない....。天に昇ってもそこは“有頂の”天であって、慢心からすぐに引き摺り下ろされる....。修羅に落ち、開き直って畜生となり、周囲が見えず餓鬼となり、いっそ死んでしまいたいと思い詰める....これが地獄なんだそうです。地獄の底には“金輪際(こんりんざい)”という際があって、最後はそこで跳ね返って再び上昇するのだそうですが、誰もその反発力を知らない。再び天まで昇る人、無限地獄に落ちていく人....すべて心が決める....と。仏道の世界から人を遠ざけるものは、慢心と嫉妬。慢心と嫉妬は比較しようも無いものを無理に比較した時に起こるんだそうです。確かに....。本日は突然何の話だ....と。思うところありまして。続きは明日。


考え方一つ....

2008年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3135 この数週間、いろいろな事がありました。すべて考え方一つ....。昨日、印旛の帰りに映画“最高の人生の見つけ方”を観て.....。やはり考え方一つ。考え方(想いともいうのでしょうか)が変わると行動が変る。行動が変ると....。一時的に辛くなるけど....。写真は小見川の田園地帯に沈む夕陽。印旛の帰り、あまりにも綺麗だったので。田植え体験その他詳細は明日以降、ボチボチと掲載させて頂きます。


田植え体験②

2008年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3090 調子に乗って田植え機を運転させて頂き、後ろを振り返ったら曲がりに曲がってしまいました....。こりゃ責任とって貰わないといけないよ(笑)という事で、この田んぼ、追跡レポート&収穫...食べるまで責任となりました。コメントも賜りました。有り難うございます。はい、責任持って追跡します。八十八の手間を含めて追跡レポートさせて頂きます。以前、日本人一人が年間に消費する米は約1俵と言われていたそうです。最近はどうなんでしょうか? 私は間違いなく1俵以上食べていると思います....。ご飯茶碗一杯の米は稲約3株くらいなんだそうです。その周りに無数の生き物....。ご飯茶碗の向こうに無数の生き物、八十八の手間、田園風景、作っている人の顔....沢山見えるようになると良いですね。本日土曜日、私は印旛のグリーブさんに出没しております。


田植え体験

2008年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3086_2 印旛にて、田植え体験して参りました。千葉を代表する米どころ。ただ農業世帯700軒のうち、専業は10%の70軒にまで落ち込み、平均年齢は64歳なんだそうです。食糧危機に関する話題に事欠かない昨今、体験の機会を得るのは有意義な事。印旛のみなさん有り難うございました。1反(300坪)の田んぼから収穫できる米は8俵前後、米価は1俵1万2000円前後ですから、300坪の作業して10万円に満たない...。これで農業継ぎますか?という事であります。食糧自給率39%、後継者不足は国の根幹を揺るがす由々しき事態だ....。全国の農業従事者の平均年齢は65歳前後。40歳以下の農業従事者は全国で2万人を割り込んだ....。統計資料などから全体像を論じるのはたやすい事です。すでに2万人“しか”いないか、“も”いるか....。少ないながら農畜水産業の現場に後継者、若手は存在している。自給率を上げようとか、そんな事考える余裕も無く、ただ必死に...。体験など交流を通じて、いつしか環境が変って行く....。ある団体の見解。100万回無農薬を叫ぶなら、1本の無農薬ダイコンを買って下さい。全くその通りと思います。流行の地域活性化の議論にも通じるかと。100万回活性化を叫ぶなら、1個の地場商品を。すべて結果としての活性化であり、自給率の向上....。体験するのは良い事だと思います。問題はその後。体験して何を思い、その後の行動がどう変るのか? 自分自身に問うております。


臥竜&なんじゃもんじゃ

2008年05月21日 | 銚子の風景

Img_3117 Img_3120 昨日の写真・なんじゃもんじゃの木(ナンジャモンジャとカタカナ表記が正しいのでしょうか)かなり反響が大きかったです。投稿の他、沢山のメールを賜りました。私、地元にいながらこの木(花でしょうか)の存在を全く知りませんでした。38歳にして人生初の5月病に掛かり、著しいパワーダウンの最中、いつも大変お世話になっている先輩から、妙見様に面白い木があるから見ておいで....。と。で、臥竜の藤(写真左)の隣に、白い花が咲いており、むしろ名物の藤より惹き付けられるものを感じました。それがナンジャモンジャ(写真右)あとで地元紙に掲載され、詳細を知りましたが、やはり地元民は地元の事を実は良く知らない。地元以外の方々に教わる事が多い....。自分の事も実は良く知らず、他者との関係などを手掛かりに日々新たな発見....。すべてに通じる事かと妙に納得しております。


連載888回!

2008年05月20日 | ブログ

Img_3120 本日連載888回。語呂が良かったので....。写真、“臥竜(がりゅう)の藤”で有名な銚子・妙福寺(通称:妙見様)に咲く白い花...。“なんじゃもんじゃの木”というそうです。花を愛する先輩に聞いたところ、この木は東京・御徒町公園に咲いていると。神宮外苑に咲いていた親木から全国に根分けされたそうです。この季節の神宮界隈は本当に清々しい....。銚子は田舎ながら、その神宮まで車で2時間...。丁度良い距離感かと。そこに住んでいつでも行けると思うとなかなか行かない。だんだん良さに気付かなくなる....。ちょっと離れて、時々出掛けると思わぬ感動が....。人間は勝手なものです....。そんなこんなを考えても(そんな事考えなくても)確実に時間は過ぎて、本日888回。大阪の友人から、こんなに続いてお前はアホちゃうか?....。多分アホなんです....。これからもボチボチやっていきまっせ。ボチボチが1000回になって、その時に、今にして思えば....。何かが変わっていると、勝手にそう思っております。


ショウサイフグの唐揚げ

2008年05月19日 | 銚子のうまいもの

Img_3095 トラフグの唐揚げは絶品でありますが、写真・銚子で揚がったショウサイフグの唐揚げもまた絶品であります。ショウサイ....お手頃で美味しい優等生です。今回のシリーズ...銚子港前浜で朝揚がったという素材の良さもありますが、やはり食べ物は、誰と食べるか、いつ食べるか、どこで食べるか....。特に誰と食べるか? 食べねば生きていけない人間が、“食べる”という行為は、如何に生きるかと同義語。食べるの前に“作る”があって、その前に農畜水産業の現場があります。“食べる”と“作る”の距離。あるいは食と農の距離....。この距離感、食を巡る諸問題の根源かと...。