銚子・角巳之・三代目

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河童(共生のこと)最終

2022年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

河童という妖怪(想像上の生き物)見る“まなざし”...。想像上であるが故にこれは心の有り
様を写し出す鏡のようなもの。信じるか?信じないか?ではなく、極論すれば河童の存在
を認めないということは、共生という概念が理解できないに等しい...。

また目に見えないものへの“畏れ”...。義理人情...等々、共生と言う言葉とセットで考えると
物凄く多くの共通項が見つかります。嫌味な言い方になりますが、共生を唱える人の多くは
自らが寄生者となっていることに気が付かない...。当然、義理人情もお互い様もない...。

共生と言う言葉は、そこに暮らす人のことを第一義的には指しておりますが、広く捉える
と、地域周辺やあらゆる生き物、生物、時間軸で言うと知らない先人達、まだ見ぬ未来の
人々、伝統・文化...そして河童(のような想像上の生き物=心の写し鏡)すべて網羅する...。

生きるにはお金が掛かる。故に共生とはお金の分配の事である...こんな意見もありました。
確かに一理はあるだろうと思います。ただし十分条件ではない。今回、河童像を見てから
この共生と言う言葉が連想された意味...。これから嚙み締めて参ります....。

河童(共生のこと)③

2022年02月27日 | SDGs

河童は妖怪(想像上の)生き物...。ゆえに人の心や願いが写し出された産物であると思われ
ます...。人と河童を繋ぐ背景に見えるもの、どちらか一方の利ではなく、共生...。以前掲載
したかと思いますが、そこでいう相利共生。お互いに良くなる共存の道を粘り強く探す...。

決して寄生(どちらかが利益、どちらかが不利益)ではない。また目に見えない“畏れ”も
その背景には色濃く残されております。防波堤等のインフラが十分に整備されていない時代、
海での操業や、海辺の暮らしはある種、祈る他ない...世界であったと思います...。

河童がいたずらばかりするので木に縛り付けてお仕置きした...。河童は懲りて謝罪し、今後
二度と致しませんと改心していたようなので、それを信じ離してあげた。その後、河童は
周辺の草刈りなどをするようになり、地域に“居場所”を見付けた...。

共生...、読んで字の如く共に生きること...。その生きるに、例えば海の仕事など危険が伴い
祈る他ない状況であってもどこかユーモラス...。これは極めて重要なことで、窮地にあって
ユーモアを忘れない、昔の人の逞しさ気品(気骨)を感じます。河童の仮の姿を使って...。

河童(共生のこと)②

2022年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

調べてみると全国各地に河童伝説が山ほどありました...。妖怪なのに何故か憎めなく、恐ろしさ
どころかユーモアすら感じる。このユーモアということ、ただ笑いを取るだけでなく品格や気遣
いなど、人の気持ちの深いところを知らなければ決して表現できる領域ではありません...。

頭の上に皿が載っており、これが渇くと死んでしまう...から始まって、河童の生態(想像上の)
枚挙に暇がありません。いたずら好きで悪さもするけれど、改心するや今度は人のために田植え
や稲刈りなどを手伝うなど、義理堅い一面も多数、全国の河童伝説に描かれております...。

この場(写真)は、碑の文章通り...。ここは河岸であり漁業者が多く集まっていたところ...。
かっぱハウスの案内を見ると、母子河童の子供を客人がふざけて傘で叩いた。河童は夜に再び
やってきて、悪いことをしていないのに何故いじめたのか?と咎めて利根川に戻って行った...。

河岸の人々は、河岸の船や働く人を守ってくれる河童に悪いことをした...と謝った。以降、
この河岸では怪我をする人も難破船もなく大いに繁盛した...と。さらに河童は綺麗な水にしか
棲まない...。人と河童が共生できる水環境、銚子の町おこしを記念して...と(続きは次回に)



河童(共生のこと)①

2022年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

事務所のすぐ近くに河岸公園があります。そこに立っている河童像...。事務所並びには有名な
かっぱハウスがありまして...。さて岸壁をウロウロしておりましたら、ここに着いた...という
次第です。特に目的もなく歩いていたのですが、立ち止まると目の前に河童像がありました。

そこに河童像があることは知っておりましたが、足を止めることは無く、今回どういう訳か
足が止まり、見入っているうちに河童のこと知りたくなりました...。ということで数日、この
河童の話題と致します。河童...河(川)の童(わらべ)...妖怪ながら可愛さもあって...。

河童の好物はキュウリなのだそうで、だからキュウリを巻いたお寿司はカッパ巻き...。女の子
の髪型でおかっぱ頭...、陸へ上がったカッパなる格言もあって、これは環境や活動内容が変わ
って、それまで通りの実力を発揮することが出来ない...の例えに使われております。

名称や格言などが多いということは、それだけ親しまれてきた証拠であるし、何とも言いよう
がない姿で描かれておりますので何故か憎めない...。憎めないと言いながら実物を見た人は
おらず、あくまで想像上の生き物。しかしながら流行の“共生”という言葉の象徴かもしれない...と。

インフラ!

2022年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

普段、何気なく使っている用語...インフラ。すでに和製英語のような扱いと思ってますが、
直訳すると“下部構造”...と。インフラが下部を意味し、ストラクチャーは構造物、略して
インフラ...。見えないところにありながら、社会生活にとって必要不可欠のもの....。

先日、(銚子のお隣)旭市において大規模な断水が起きました...。老朽化した水道管が破裂
したのが原因のようです。復旧には2日ほど掛かり、たった2日ながら市民生活に大きな
支障が生じました...。断水や停電...、備えよ!と言っても、いざ起こると大混乱です...。

スイッチ一つで電気が、水道栓を捻れば水が...。特に何も考えず、当たり前だと思っていた
ものが止まると想像以上のストレスであります...。否、こういう感覚を改めねばならない
昨今なのかもしれません。見えない所のインフラ...全国的に老朽化が進んでいるようです。

何か教訓めいたことを感じました。表面上を如何に取り繕うとも、中身が腐っていれば、
やがて崩壊する...。見えないところ“も”ではなく、見えないところ“こそ”...こう思った次第
です...。インフラということ、構造物だけでなく人の心もかくの如しか...と。

ほどよく...(最終)

2022年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ほどよく...というタイトルで3日ほど。何のことだと思われたかもしれません...。田沼意次、
松平定信と言う歴史の教科書に載っている人物にちなんだ話、おこがましいですが、日本
の歴史の有る一時期、両極端の施策を振り返り作用があれば反作用が働くということを...。

昨今、脱炭素、カーボンニュートラルという話題に事欠かず、これまた時代と時代の移り
目であります。そして移行期は矛盾期...。その時代を生きている我々(立場に関係なく)に
とって必要なことのひとつ、ほどよく...と勝手に思っているからであります。

お江戸に行けば何とかなると思ったけれど、そのお江戸も困窮しており今度は田舎に帰れ
(人返し令)。命令されても帰るところが無い...。生活に困って乱暴狼藉を働いて、鬼の
平蔵に捕まって...。鬼平の上司(松平定信)は捕まえられた者たちを人足寄場に入れる...。

人足寄場...今でいう更生施設。ここで技術等を習得し、社会復帰するための教育を受ける。
ここで得た技術を持って田舎に帰り、荒廃している地方のお役に立って...。さて、今回も
ちょっと(だいぶ)横道に逸れました。先が見えないときは歴史に学ぶということでした...。

ほどよく...②

2022年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

田沼意次は大胆な財政再建策を次々と断行し成果を上げる。しかしながらその輪に入れなかった
人々は妬む...。家の相続など期待できない地方の次男、三男は、お江戸の景気は良いらしい...と、
みなお江戸を目指す...。拝金主義から農業政策がないがしろになり、農地は荒廃する...。

そこに天明の大飢饉が起こる(田沼時代末期)...。天明の大飢饉、日本近代で最大の被害をもたら
した飢饉として名を留めております。特に東北地方では餓死者が数十万人、死んだ人間の肉すら
食べ、まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)地獄に落ちた亡者が責め苦に耐え兼ね泣き叫ぶ姿...と。

当時・同じ東北・白河藩の藩主であった松平定信はかねてより、農業をないがしろにしている
田沼政治を批判し、領民には質素・倹約を説き、農地の開墾を奨励していた。結果、白河藩では
一人の餓死者も出さず、この手腕を持って田沼に変わり老中の座に就く....。

時が進んで、松平定信・寛政の改革期...。その末期の落首が昨日の冒頭、白河の...であります。
松平定信は質素・倹約、武士道の伝統を重んじながら、立派な成果を上げた改革者ながら、今度
はその厳しすぎる施策が人々の反感を買い、失脚に追い込まれることとなり...(続きは次回に)

ほどよく...①

2022年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

白河の清きに魚も棲みかねて・元の濁りの田沼恋しき...。江戸時代後期、寛政の改革半ばで失脚
した時の老中・松平定信に対する江戸市中の落首(=らくがき)だそうです。白河とは定信が
以前、白河藩主であったことに由来し、清きとはその清廉さ(反対に言うと厳しさとでも)...。

元の...とは定信以前の政治であり、濁りとは賄賂等の横行した世の中、そして田沼とは時の老中
田沼意次...。田沼意次の行った政治は、大胆な財政改革によって市中経済を活発化させ、幕府
の税収(年貢等)を上げる...。いわゆる大きな政府であり、中央集権化...。

田沼意次以前の幕府運営は、それまで積み重ねられた江戸の豊富な資産をただ食い潰し、財政
が悪化し続けていたようです。当時の税は年貢である米...。鎖国をしていた訳ですから米が不作
でも外国から輸入することが出来ないゆえ度々飢饉が起こる...。税収どころか生きて行けない...。

ここにメスを入れて大胆な改革を行うも、今度は特定の人間に利益が集中するような形になって
しまい賄賂が横行し、武士道は廃れた...と。何事もそうですが、何かの作用が有ると反作用が働く...。
田沼意次は近代日本の先駆者と言う評価をされておりますが...(続きは次回に)

自主性!

2022年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

ある会合にて...。会社が成長していくためには自主性を持った社員が数多く存在することが
必要だ。言われたことしかできない社員はやがて、言われたことも出来ない社員になって
しまう...。これは多くの場合、社員の資質ではなく会社のマネジメント力の問題だ...と。

仮に自主性を持った優秀な社員がいたとしても失敗は起る...。この失敗に対して感情を露わ
にして怒ることは避けねばならない。そうすればやがてチャレンジする社員はいなくなり
自主性は失われる。実生活、人間関係でも全く同じだなと思いながら拝聴しておりました。

人間は他者の失敗を責めることを快く思い、満たされた状態では変化を好まないという本質
がある...。これまた同感。社員に権限を委譲しながら仕事のやり方まで細かく指示し、思う
ような結果が出ないと感情剥き出しで怒る...。これはマネジメントの独裁と言わざるを得ない。

そんな状況から社員の自主性は失われ、組織は崩壊に向かう...。昨日の話と被りますが、
大企業や組織ではなく実生活そのものの戒めとして。自ら考え行動する...とお題目を掲げても
人間の本質は他者の失敗を願い、満たされれば変化を嫌うもの...生々しいけれど真理か...と。



15%ルール

2022年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

先日TVにて、15%ルールなる特集を見ました...。何のことかと言うと、仕事の中でその
15%相当の時間を、自らの職務と別のことに費やすように仕向けること...。その時間は
やらなければならない仕事ではなく、やってみたい仕事(その準備など)にあてる...。

実際、15%ルールを取り入れている会社の業績は良く、社員が自発的に考え行動する
ようになったとのこと。これは大きな会社だからできるということではなく、どんな組織
でも、あるいは個人の生き方にもあてはまることと思いました...。

商品の寿命を説明するプロダクト・ライフ・サイクルなどと言う概念があります。曰く、
商品の導入・成長・成熟・衰退...。それぞれが導入から衰退に向かい、やがて退場する。
これは避け得ないけれど、そこに新たな始まりはあるのか?ということであります。

現在の成長領域があるうちに、これはやがて衰退すると心得て、事業の“芽”のようなもの
を如何に見付け育むか...そういう事だろうと...。既存の思考回路の延長線上に芽を見付け
ることは難しく、ある種の気付きを得る時間、それが15%ルールかと思います。





安房・上総・下総...。

2022年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)...。千葉県内の旧区分(律令時代の)呼び名...。
見慣れた日本地図を見ると、南から安房、上総、下総...。北から見たら順番が逆じゃないか...と。
これは律令時代から国の中心は都(みやこ:京都)そこに近い方が上...の名残らしいです。

新潟でも南から上越、中越、下越...。これも上記と全く同じ考え方のようです。千葉の話、安房
現在の館山市付近が都に近いと認識されていたとすれば、これは海路を使っていたということ。
現在の館山から海路・三浦半島や伊豆半島に上陸し、その後陸路を進んだのだろうと思います。

今年から始まった大河ドラマ・鎌倉殿...、毎回楽しみにしております。先日の回では頼朝が挙兵
し、惨敗...。石橋山の山中を逃げ・彷徨い、海に出て安房に逃れる場面が描かれておりました。
安房(千葉)に上陸し、地元の豪族との出逢いから再び...。これから大きな山場です...。

安房の地名は阿波(徳島)にちなんだもののようです。物の本によると、阿波の方々は麻を求めて
黒潮を遡り、最適地である安房(館山)付近に辿り着いた...と。外房(上総・下総の太平洋沿岸)
には紀州・和歌山から...。写真、旭市(飯岡)刑部岬から太平洋を...。歴史ロマンです。

食と新技術...。

2022年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、食と新技術に関する話題が多いです...。今まで新技術と言うといかに美味しくするか?
とか、賞味期限を延ばすとか...。昨今の技術はそれに留まらず、解凍後の食味を飛躍的に向上
させたり、3Dプリンターを使って形を復元させたり、AIによって予測を立てたり...。

SDGsとその周辺の考え方が購買行動を変え、食品工場を変え、産地を変える...こんな循環か
と思います。食べ方についても、ある種の偏見を払拭するようなデータも。納豆+プリン、
バナナ+シラスの食べ合わせ...。AIによるとこれらは美味しい食材の組み合わせになるのだとか。

野菜をパウダー化し3Dプリンターで形を復元と言うことも聞きました。介護食に使うようです。
介護食なら流動食のままで良いではないか?ということですが、これは現場や当事者の気持ちが
分からない証拠だと。病気になっても食べ物はその形のままが良い(みないずれ感じる事です)

需要予測の精度は飛躍的に上がり、売れ残りを少なくする(無駄を省く、資源を大切にする)
やがて魚もパウダー、フレーク化して復元。そんな時代が来るかもしれません。そういえば干物
蒲鉾は冷凍・冷蔵流通が発達していなかった時代に魚を無駄にしない手法...。やはり温故知新です。

ご当地ハンバーグ

2022年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

千葉県の某有名ハンバーグ、ミートボール製造メーカーさんが作ったご当地ハンバーグ。過去に
おいても何度か掲載致しました...。白子たまねぎハンバーグ(千葉)、姉崎ダイコンハンバーグ
(千葉)...。枚挙に暇がありません...。千葉県以外の産地商品も多数...。企業姿勢なのだと思います。

ご当地商品...、それ自体は全く否定しておりませんが、多くの場合、何か強引な手法でとにかく商品
を作りさえすれば良い...。そんな感覚が散見されます。とにかく作れば良い何て時代はとっくに過ぎ
その商品の物語、確かな製造技術、意思表示等々、にわか〇〇ではダメですよ...ということです。

確かな技術を持ち、商品の物語に賛同頂ける工場は...と探すと、全国的に見てもそれほど存在して
いないのが実情...。このメーカーさんは数少ないそんなメーカーさん(船橋市)であります。今回は
三浦のキャベツと、京都の九条ネギ...。あれ...銚子のキャベツじゃないんだと...ちょっとひがみ...。

神奈川県・三浦市も銚子同様、キャベツの大産地...。先般報告のキャベツ・ウニはじめ先駆的な取組
が多数見受けられます。キャベツ作りました...だけでは厳しいのかもしれません。もちろん生産技術
がシッカリしていることが前提ですが、プラスアαが必要なのか~。ご当地ハンバーグ食べながら...。



預貸率②

2022年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

預貸率という指標が、高ければ良いというもんじゃない。けれど、低すぎるのはどうしたもの
ですかね~という感覚ならば、せめて半分以上。ここでは人間関係での貸し借りを比喩的に
表現しておりますので、一生のうちに受けた御恩のせめて半分はお返ししたい...。そうなります。

ただ、人に何かしてあげられるのは、その人に力があることが前提...。ここでいう力とは腕力
のことではなく、仕事の技能とか資金とか、究極的には人生を通じて経験したことを基にした
知恵(智慧)...。相手の望む時に、望むもの(こと)を、さりげなく...。

経験や技能を積むには時間が掛かるので、多くの場合は年長者から受けた御恩となりますが、
お返ししようとしたときにその方々はすでにいない(場合が多い)。そんな時は後輩とか、
広く社会全体とか...。在りし日を思い出しながら、自己満足と言われようとも...。

高ければ良いというものではない.。とのことですが、一般的に言って預貸率の低い金融機関
はすでに地域内での役割を終えたと見做される...。預かったのはお金ということのみならず、
地域住民の人生、地域の将来だからだ...と。人生の預貸率を50%以上に。ささやかな目標です。

預貸率①

2022年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

預貸率...。金融機関がお客さんからお金を預かる(預金)。その預かったお金のうち貸し出
しに回す割合を示した指標であります。この数字が高ければ貸し出しに積極的であるし、低
ければ消極的。特に地域金融の場合、この数字の高低が地域経済の姿を現す場合が多い....。

金融機関の友人に聞くと、高ければ良いってもんじゃないけど、低すぎるっていうのもどう
かね...。ちょっと曖昧ですが、そんな感じらしい(感度は伝わってますが)全国金融機関の
預貸率ランキングなる表を見ましたが、上は80%台から下は10%台まで...。

ふと人間関係の貸し借りについて考えました。金融機関の業務や考え方に付いては私、全く
の素人ゆえ言及避けますが、この預貸率とは人間の一生における、他者から掛けられた御恩
とその恩返しのことではないか? そう考えるに至っております...。

他者から頂いた御恩(ご縁でも)を預金、他者に対して行った善行(例え自己満足であれ)
を貸し出しとした時、人生の終末でその預貸率はどのようになっているだろうか...と。例え
適切かどうか分かりませんが、そんなことを考えております(続きは次回に)