銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

竜馬・140年①

2007年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2005巨星堕つ...。2週間前の11月15日は坂本竜馬の没後140年だったのだそうです。竜馬の誕生日も同じく11月15日....。司馬遼太郎さんの“竜馬が行く”。多くの方が熱狂した本だと思います。私もその一人、学生時代にそれこそ穴が開くまで何度も何度も読み返したのを思い出します。その最後の一節...“天に意思がある。この若者の場合、そうとしか思えない。天がこの国の混乱を収拾させるためにこの若者を地上に下し、その使命が終わった時、惜しげもなく天に召し返した....” 身分を越えた多くの仲間に囲まれ、一介の浪人でありながら“国家意識”を持つ。身分に寄らず、みんなが楽しく暮らしていける世の中を願う。“まだ時期が早すぎるのだ....。次々と死んでいく同志達を想い竜馬は涙にむせぶ...(前掲書)” 時代の大転換期、若者達は新しい時代の扉を情熱の限りを尽くして開けようとするけれど、旧態依然の勢力がそれを阻む。国がどうなろうと、重要なのは自らの安泰....。世界は帝国主義(弱肉強食)の時代。くだらない内輪揉めしていたら欧米列強の餌食となる....。危機感を持って血気にはやる同志達が一人、また一人と死に急ぐかのように倒れて行く....。仲間の無念を全て背負い、竜馬は獅子奮迅の活躍をする。その一つ“薩長連合”....。まあ、私が竜馬を語るなどおこがましい事この上ない。というのは承知の上で、芋焼酎の余韻の残る初冬の夜でもありますし、これから2~3日、竜馬の事を書いてみたいと思ってます。写真は外川港の夕陽。竜馬140年と聞き、この風景眺めてたら、かつて暗証するくらい読んだ“竜馬が行く”の一節が次々と頭の中に蘇り、何故だか涙が出て参りました。


満面の....。

2007年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2107 こういうのを“満面の笑み”、というのでしょう.....。連休中の土曜日、千葉ニュータウンにお住まいの先輩のところに泊めて頂き、久しぶりにバックス君(写真)と対面致しました。バックス君に関しましては昨年夏に詳細を掲載してありますのでそちらをご参照下さい。それにしても彼(オスなので)のこの笑顔。この笑顔に接し、嫌な事、全部忘れてしまいました....。犬のいる生活は本当にいいものです。因みに彼は自分の事を犬とは思っていないようですが。北海道生まれの彼は、雪のない千葉で、優しい飼い主さんや周囲の方々に可愛がられ、喜怒哀楽を全身で表します。それを見ている人間はすべて癒される....。本当に犬のいる生活はいいものです。


かもめ大橋の早朝

2007年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2090 先週末くらいからめっきり寒くなって参りました。風邪を引かれている方も多いようです。皆さんお大事に。かくいう私は時々半袖姿。お前はバカだ、季節感が全くねえ~。という周囲の声を尻目に、汗をかいている自分を鑑みるに、やっぱり自分は異常体質なんだろうか?といささかの不安を覚える30代後半の初冬であります...。さて写真、かもめ大橋からの朝日です。連休初日、いつものように印旛へ通う道中、あまりに綺麗だったので思わず車を止めました。車を降りると、初冬の刺すような冷気の中に、暖かな一筋の旭光...。利根川最下流域一帯の闇が切り裂かれ、静寂が刻一刻と破られていく...。いつものことながら、こういう風景を言葉でお伝えする事は不可能です。その場に立って、何かを感じる。何故だか知らないけれど活力が湧く、元気になる、満ち足りた気分になる...。そういう風景が日常の中にある幸福(早起きすればですが)。銚子・あるもの探しの大きな成果であります。素晴らしい日の出は元旦だけではありません。ご覧のように何気ない日常のひとコマにも感動的な姿に接する事が多々あります。首都圏を朝4時頃出発すれば、2時間後には写真のような風景に出会えます。これまた一期一会の朝日であります。


2007年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2070 最近、市場の待ち時間などで、空を見ていることが多い。周囲の方々から、お前狂ったのか?と言われる事もあるんですが、本人いたって正気。何で?と言われても、綺麗だから。見ていたいから。ただそれだけであります。雲は季節ごとにその姿を変える。1日の中でも様々に変化する。そんなの見たって1円にもならねえぞ。という声もあるんですが...。仕事は人間がするもの。人間がするものなので、まずは心身ともの健康が第一。最近は特に精神の健康が叫ばれておりますが、その精神の健康を保つために綺麗な風景がその一助となるとすれば、そんなの見たって1円にもならねえぞ。という意見には反論出来る...。ちょっと理屈っぽいですが...。週末など、東京から来た方々がボーっと空を眺めておられる姿に遭遇します。何してるんですか? 空見てるんですよ。何か心が洗われるようで....。そんな会話が続きます。銚子とも縁が深い、高村光太郎は、東京には空がない。と喝破しました。“空がない”この表現、改めて深いな~。と思っております。最近空を見上げたことありますか?


お気に入り

2007年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2082 最近、ブログの更新時は少量の芋焼酎と共に...。こういう機会が増えました。もともと大酒飲みなんですが、不思議な事に飲まなきゃ飲まないでいられる。基本的に家では殆ど飲まない...。肉体労働後のビールは何物にも代え難いくらい美味い。美味いので飲み過ぎる....。そうするとブログの更新が出来なくなる...。このブログは私の中でそれくらいの位置付け、健康維持?にも役立っているような....。さて最近のお気に入り。銚子のT酒店さんには全国の銘酒が揃っております。写真の“明るい農村”以前、東京の全農さん(大手町)の地下売店で見つけ、さすが農協の総本山と思ったものでしたが、銚子にもありました。T酒店さんだからなんですけど。“明るい農村”と“農家の嫁”、ユニークなネーミングとは裏腹に、どちらとも半端なお酒ではありません。胃袋だけでなく、頭まで直撃という感じです。で、非常に美味しい。アルコールがちょっとだけ入った状態で1日を振り返り、ブログを更新して寝る。毎日の日課でありますが、最近何故か、そんな1日の終りに心地良さを感じております。


科学大にて

2007年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2080 銚子に開校した千葉科学大学。開校に至る経緯、援助等による市の財政悪化...その他諸々、いまだに賛否が分かれますが、すでに4年生まで学生が揃い、学生さん達はそれぞれ学生生活を謳歌しているように見えます。銚子にはアルバイトする場所がない、遊ぶ場がない、ない、ない、ない...と地元の人間が言っているのを尻目に、これもあるじゃないですか、これも、ああこれも....。という学生さん達の意見、大変貴重であります。やはり街を変えるのは若者・バカ者・よそ者...(前掲のようにすべて良い意味ですので...)。バイトする場が無いので、夏休み等の長期の休みを利用して東京に出稼ぎに行くとか、地元水産会社、キャベツの収穫、はたまた犬の散歩...などなど。逞しい学生はいつの時代にもいるものです。新設校ゆえ、色眼鏡で見られる機会も多いようですが、少なくとも私が知っている学生さん達は、みなそれぞれ自分の目的を持ち、日々一生懸命です。地域内に若い方が増えるのは良い事です。長い目で見れば間違いなく科学大がある。という事はプラスになると思います。先日、銚子市内の社会人バスケットチームと科学大さんが練習試合。それを観戦に行ったついでにキャンパス内を歩いてみましたが、写真のようなイルミネーションが点灯しておりました。この写真の反対側には屏風ヶ浦を一望できる高台があり、何度か掲載してますが、ここから見る夕陽は絶景以外の何物でもありません。ない、ない、ないと嘆くより、あるものを探しましょうよ。そういう学生さん達に接し、本当、その通りだよね。と思う今日この頃であります。


漁港整備

2007年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2077 写真は銚子第三漁港に隣接する一帯。水産加工団地の最前線であります。長らく工事していて、最近このような姿になりました。聞くところによると、ここに5000㌧級の船舶が接岸出来る港が出来るのだそうです。日本国内の港を中継する内向(ないこう)船なんかが接岸可能だそうです。水産物の輸出入にも使われるとか。さてこの場所ですが、自分の出身中学校の近くであり、この場に立つと往時が懐かしく思い出されます。私の中学時代、ここは天然の磯でありました。日曜日など、運動部の練習が終わったら、家に帰らずここに集合する。天然の風呂で汗を流してから、潜ってみるとそこにはアイナメやカサゴが見えておりました。まさに天然のいけす。そんな磯を潰して漁港に。その開発の是非。批判をすることはたやすいですが、銚子港は全国に国産水産物を供給する最重要港のひとつ。この恩恵は銚子市民というより、首都圏を中心とした全国の方々が受けるものであります。農業、畜産業の現場...、原発問題もしかり。噴出する食の問題も根源は同じかと。皆さんはどうお考えですか?


お知らせ

2007年11月22日 | ブログ

本日はお知らせを一つ。24日(土)、25(日)と二夜連続で放映される、テレビ朝日開局50周年記念ドラマ“点と線”(松本清張さん原作)のロケの一部は銚子で行われていたようです。聞くところによると、銚子の街並みはドラマの舞台・昭和30年代そのまま。というところが多いからだそうです。何度か掲載させて頂いております、アンコウ鍋で有名な海鹿島のN・Yさんの玄関先も収録されているようです。出演者は一流揃い。原作は非常に有名で何度も映画化、ドラマ化されておりますが、どこかで銚子の街並みが....。と見るのもまた一興ではないでしょうか?本日はお知らせまで2本目の投稿をさせて頂きました。


明日から

2007年11月22日 | イベントに参加

Img_2066 明日から印旛のグリーブさんでイベントです。私は24日(土)、25(日)と売り場に出没させて頂きます。いつも何が起こるか分からないグリーブさんのイベント。早いもので、銚子から参加させて頂くようになって3年となります。ペーパードライバー同然の状態で、印旛に初めて(車で)行った緊張感。今でも覚えております。先日掲載させて頂いた日野市にて。昨年の今頃なんですが、初めての高速運転。これまた緊張で朝まで眠れませんでした....。今年は東京に何度か行きましたが、すべて車。利根川上流の水上まで高速運転も。だんだん慣れて参りました。グリーブさんのイベント初参加は3年前秋の収穫祭。3日間とも生憎の雨でした。銚子からツミレ持参。勇んで参加しましたが、全く売れない...。当たり前と言えば当たり前。知名度ナシ、実績ナシ、準備不十分....。かつての同僚や後輩、仲間の多くが助っ人に来てくれましたが、惨憺たる状況でありました。大量に残ってしまったツミレ。持ち帰るには惜しいし、捨てるなんてとんでもない...。じゃあ、今から反省会でツミレ鍋にするか?....。とある方のツルの一声。反省会で大量のアルコールが入っていたからでしょうか、お客さんに浸透するまで、店頭でツミレ鍋やるか?という事で始まった、グリーブさん軒先をお借りしたツミレ鍋。もう3年になります。それから千葉ニュータウンその他、県内のイベント会場をみんなで転戦した事、昨日のことのように覚えております。やる。と決めたのはいいけど誰がやるの?という事になって、私も行ける範囲で行くので...という事でありましたが、結局、生産者の方々や納品のドライバーの皆さん、その他多くの方々のお力を得て今日に至ります。商品は作れば良いというものじゃない。これまた当たり前の事ながら、何処で売るか、誰と売るか、どうやって売るか...そんな試行錯誤の中、知恵が付いてくる。一連の経験からそんな気がしております。大根の葉っぱ、ネギの青いところ...こういう普段は捨てられているかもしれないものが、ツミレ鍋の主役になっております。本当は捨てるところなんか何もないんですね。人の評価も同じかと。価値に気付かない、そういう経験がない...。何事も経験です。それでは週末、印旛でお会いしましょう。http://www.grebe.co.jp/index.html


ミシュランガイド!

2007年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2012 “ミシュランガイド東京版”が出版される旨の新聞記事を読みました。明日だかあさって発売だそうです。ミシュランガイド・フランスのタイヤメーカーが主催するレストランガイドです。三ツ星とか。そういう評価が付いているやつです。そもそも料理に権威付けを行って、こちらは三ツ星、こちらは一つ...、なんてやる事に何の意味があるのだろうと思っているへそ曲がりの私でありますが、その審査方法、基準などには“なるほど”と思うところが多いです。まずこのガイドブックの審査は匿名で、通常のお客さんとして来店した審査員が“日常”をありのままに評価する事。まずは審査員がそこに行って評価してみようと思わせる何か(魅力)を持っていること。故に、星の数に関係なく、掲載されたお店はそれだけで注目に値するものを持っているという事らしいです。で星の基準。①一つ星はそのカテゴリー(フランス料理とか和食とか)の中で特に美味しい料理を出す店。②二つ星は遠回りしてでも訪問する価値がある素晴らしい料理を出すお店。そして最高位三ツ星の基準は、その味が忘れられなくて、そのために旅行する価値がある卓越した料理を出すお店。なんだそうです。いつか掲載したと思いますが、フランスの三ツ星はパリに集中と思いきや、殆どは郊外にあるんだそうです。ちょっと逸れますが、スローフードの(世界の)総本山があるイタリアの街はローマではなく、ピエモンテ州ブラという地方都市。首都には全国、全世界から美味しいものが集って参りますが、素材によっては産地にいないとその本当の美味しさに出会えない。というものがあります。銚子にもそういう素材が多い....。料理の評価基準としてではなく、星の基準など、観光の基準にそのまま当てはまるな。と思ってます。料理に限らず、サービスとか、風景とか...。すべてに当てはまると思います。これまた以前掲載しました、アイドマの法則。人はそれに注意を引かれ~興味を持ち~それが欲求となり~記憶あるいは確信となって~行動に移す。でも私(自分)は飽きっぽい。新しい商品が出たと思えば興味が沸くし、美味しいお店があると聞けば行ってみたくなる...。以前、ある老舗菓子メーカーの社長さんの講演を拝聴させて頂く機会を得ました。そこでのお言葉、我々は“変わらない”ために常に“変わり続けている”...。進化論で有名なダーウィンの言葉、最も強く賢いものが生き残るのではない。生き残るのは変化できるものである。三ツ星だけでなく、10年前、20年前から掲載し続けられているところはどこか?なんて視点でガイドブックを見ると新しい発見があるような気がします。


日野市にて

2007年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2047 関東では先週末に木枯らしが吹き、季節は本格的な冬を迎えました。夏が終り、秋は何時来るんだと言わんばかりの暖かい(暑い?)日々が続いておりましたが、秋を飛び越えて冬の到来です。海外ではサイクロンの被害、国内でも大雪...。異常気象、温暖化の影響か?と評論家のような事を言っていられない昨今であります。さて先週の日曜日(11/18)、昨年に引き続き東京・日野のイベントに参加して参りました。日野市・落川交流センターで開催された収穫祭。この日までは、日中は半袖で居られるくらい?の陽気で、銚子から持参のサンマあり、日野市内の生産者の農産物あり...。暖かい日曜の昼下がり、昨年同様に美味しい料理、意欲的で真摯な市民活動に感動し、懐かしい方々との再会...。有意義な時間を過ごさせて頂きました。関係者の皆様方、有り難うございました。日野市は東京都内でありながら、美しい自然を残し、近隣に農業、畜産業の方々も多数おられます。市内小中学校の給食は日野市内で生産された食材でほぼ自給され、生ゴミの排出量の少なさは全国トップクラスとの事。大人が模範を示し、子供が学ぶ。一緒に学ぶ、一緒に楽しむ...。まさに理想的な地域です。落川交流センターではホタルも復活し、今後はビオトープ(生き物のためのため池のような場所)なんかも作っていくようです。これ、東京の話です。東京の。地方に居るから自然に恵まれて...、と言う話がありますが、それはウソだと思います。地方に居ても人心が荒廃すれば自然は破壊されます。東京に居ても、みんなが協力すればホタル(綺麗な環境でしか生育しないと言います。環境の指標生物です)ですら復活する....。日野の皆さんが行ってきた市民活動に思いを致す時、ふと犬吠埼が浮かんで参りました。“一隅を照らす。これすなわち国宝なり”伝教大師・最澄の言葉です。日野市の活動も当初は小さな一歩からだったそうです。一灯はまた一灯を呼び、それらは万灯となり、地域全体を明るく照らすようになる....。循環型社会、リサイクル、ごみ減量....。様々な事が言われておりますが、理屈の前にまず一灯を。日野市の活動を見るたび、切にそう思います。


邂逅(かいこう)!

2007年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2024 邂逅(かいこう)...。非常に難しい言葉です。思いがけない出会い。巡り会い。の意だそうです。人生は一度きり。どんなに偉そうな事を言っても、強がり言っても、所詮人間は他者との関係の中で自らを染めたり、染められたり...。どんな出会いをしてきたかで人生は決まる。とは恩師の言葉。何で今まで出会わなかったんだろう? 何で今、出会ってしまったんだろう?...。見えないところで何らかの因果があるのでしょうか?多逢聖因(たほうしょういん)縁尋奇妙(えんじんきみょう)、先日投稿頂いた“波佐木”グループ(小学校から高校までの同級生3人組)から贈られた言葉です。良き出逢いから良き事は生まれる。良い縁は更に良い縁を呼び込む。故に人との“縁”は大切に....。人生の終焉を前に、鬼のような形相の方がおります。一方で非常に穏やかな顔の方も。何故そうなるのか?という事ですが、一つ確実に言えることは、穏やかな顔の方の周囲には穏やかな顔の仲間がおります。鬼のような形相の方の周囲には仲間がいない....。前者が他者を許し、否定しないのに比べ、後者は許さず、否定する....。で、類は友を呼ぶ。良き出会いを。と言ってしまえばそれまでのことですが...。良き出会い...、今まで社交辞令かと思ってましたが、非常に深いんですね。邂逅!最近この言葉が頭から離れません。その人を知りたければ、その友を見よ。名言であります。


グローカル④

2007年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2021 97年、タイタニックの大ヒットから10年。当時より食糧自給率の低下は由々しき問題で、農畜水産業の後継者不足は国力を急速に弱める。何か手を打たねば...。という“議論”は沢山なされておりました。でも殆ど議論のみ。かくいう私も安全地帯から評論している傍観者だったのだろうと思います。今でこそ、国産、国産と言われておりますが、10年前はどうだったでしょうか?当時は畜産担当者だったのですが、この97年の口蹄疫(こうていえき=家畜の病気)の蔓延で、日本が多くを依存していた台湾の豚肉産業が壊滅。その後、0―157問題、そしてBSE(狂牛病)....、それらと時を同じくして、数々の偽装事件...。食の安全・安心という事が叫ばれ始めた時代です。輸入品は嫌だ、やはり国産だ。と言ったところで、気が付けば自給率は40%台(現在は40%割れ)まで落ち込み、国内生産者は高齢化し、後継者が激減を始めました。欧州のBSEに関するショッキングな映像が度々TVで放映されるたび、牛肉消費は下がり続け、風評被害が多発。肉類に代って、水産物人気が世界的に高まり、それまで日本の独断場であった(世界中の)水産物の買い付け量が下がり始める。そこに中国の“曝食”(10数億の胃袋を充たすための食糧争奪戦)....。水産練製品(蒲鉾など)という小さな対象を前提とし、これを地球規模で考えると、世界的な気候変動による原料魚(タラなど)の水揚げが激減。にも拘らず世界的に需要は急拡大。練製品の主原料・アラスカ産冷凍スリ身などは、価格が高騰というより、数量確保もままならない状況。それらを踏まえて、地域で何を行動?という事なんですが、水産練製品は元来が、前浜で揚がる魚を無駄にしないための手法。地域内に沢山あるじゃないですか?という事なんです。その代わり恐ろしく手間が掛かったり、恒常的人手不足に悩まされたり...。タイタニックですら沈む、その教訓を踏まえて、自らの周囲を見渡すに、グローカルという言葉は非常に重いです。大言壮語でも何でもなくて、非常に身近で避け得ない命題であります。尻切れトンボのような文章になってしまいました。続きはいずれまた。


グローカル③

2007年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2011 長らく休養していた歌手のセリーヌ・ディオンさんが復帰。という新聞記事を読みました。映画・タイタニックの主題歌などで世界的に有名な方です。タイタニック直後に休養し、その期間は10年。という事はタイタニックの大ヒットからもう10年になるんですね。当時私は28歳ですか...。仕事に慣れた入社5年目、沢山後輩も出来て、何をやっても仕事が面白くて面白くて仕方ない。そんな時期だったと記憶しております。ちょうどその頃、母校・運動部のスタッフに入って、週末は殆ど御茶ノ水(の体育館)...。タイタニックみたいな軟弱な映画見てる奴らの気が知れねえ~。と言ったら、周囲の全女性陣から総スカンを喰らったのを良く覚えております。あとで見直したら確かに秀逸な映画だとは思いましたが...。97年は当時、日本の輸入豚肉の半分を依存していた台湾で口蹄疫(こうていえき)という病気が発生し、台湾の外貨獲得手段の確か第二位であった豚肉産業が壊滅的打撃を受けた年。その年は金融危機が叫ばれた年でもありました。忘れもしない97年末、某上場企業に勤務されていた先輩から忘年会しようぜ。と誘われ、指定場所で待っておりました。待っても、待っても来ない...。お店に電話があって、......会社が倒産した....。この会社、非常に有名な会社で、本業は増収増益を続けておりました。子会社が金融取引で多額の焦げ付きを...、そんな状況になっていることなど全く知らなかった....。で、タイタニック。絶対に沈まない船と言われながら、処女航海で沈没...。世の中に浮沈艦なんてないんだよな~。と改めて思った次第です。グローカルを語る前提条件。誤解を恐れずに言えば、地球はタイタニック号。沈みかけているのに、俺は一等客室だ、お前らは船倉だ...。沈んでしまったら、一等も何もないのに....。やはり、Think globally ! Act Locally(地球規模で考えて、地域で“行動”)が必要だと思うゆえんであります。セリーヌ・ディオンさんの“My Heart Will Go On”(タイタニックの主題歌・直訳で私の心は生き続ける)の美しい歌声と共に...。